秋の一日、おれは、木更津まで本の納品に行く多々良社長に同行して、ドライブをすることになった。
写植の仕事は、紺野ともう一人のパートナーに任せ、軽自動車に自費出版の歌集五百冊を積み込んで、飯田橋を出発した。
京葉道路から国道十六号に入り、海岸沿いの工場地帯を経て、袖ヶ浦を通過するころには、もう昼の十二時半を過ぎていた。
「いやァ、渋滞ですっかり時間を食ってしまったね。ところで、きみ腹が減ったんじゃないか」
「はい。でも、我慢できますよ」
「いや、このままお客さんの家に行ったら、食事をする暇がなくなるよ。どこか、車を停められそうな店があったら、そこで食べていこう」
おれは、まもなく藍染の暖簾を下げた蕎麦屋を見つけ、ここでいいかと多々良に了解を求めた。
店の横に、ニ三台停められる駐車場があり、おれはそこに軽自動車を乗り入れた。運転席から降りると、着地する足の感覚がおかしくなっていた。長時間アクセルとブレーキを踏み替えていたため、筋肉がその動作以外の動きに反応し辛くなっていたのであろう。
「知らない街で食べ物屋を探すときは、昔からのお蕎麦屋さんに入るのが一番だといいますよね」
「ほう、きみ、ずいぶん古風なことを言うね」
「そうですか。たしか、誰かの随筆で読んだような気がするんですが」
おれは、そうしたことを書きそうな作家やエッセイストを何人か思い浮かべてみたが、どんな作品に出てきたのか探し当てることは出来なかった。
紺絣の座布団に、メニューの表紙も布張りである。おれが想像した以上に格式のありそうな蕎麦屋だった。
多々良は躊躇なくザルそばを頼み、おれは大盛りそばに未練を残しながらもカツ丼を注文した。
偉そうなことを言った手前、蕎麦屋ではそばを食うのが筋だとは思ったが、これから客のところで五百冊の本を降ろすことを考えると、見栄を張ってばかりはいられないとカツ丼にしたのだった。
薊や桔梗など、テーブルごとに置かれた一輪挿しが、店の心意気を示していた。奥で茹で上げたばかりのそばを洗う親爺の様子を横目で見ていると、丼物を頼んでしまったことが心苦しく感じられる。
せめて、清楚な花の風情を讃えようと、どんぶりを運んできたおかみさんに声をかけた。
「あの吾亦紅は、どなたかが取ってきたんですか」
「ええ、昔から裏庭に生えているのを、わたしが摘んでくるんですよ」
「野生のものじゃないんですか」
「先代のころ庭に移植したのでしょうが、いまじゃあ草ぼうぼうで、山裾と変わらないぐらい野性化しています」
なるほど、商売というものは半端な気持ちでは出来ないものだと、すっかり感じ入ってしまった。
おれが食ったカツ丼も、これまでで最上の味だった。豚カツそのものに厚みがあり、玉子も地鶏の有精卵らしく見るからにふっくらとしていた。
自家製の香の物と、あっさりした白味噌の蜆汁が、カツ本来の味をよく引き立てていた。おれは、はやばやと食べ終わって蕎麦湯をすする多々良を前に、急かされるような気持ちで飯を掻き込んだ。
支払いをしようとすると、今日は奢りだと社長が言った。
長時間の運転と、これからの荷降ろしを思えば、まあご馳走になってもいいかと、素直に好意を受け入れた。
「ほんとに、おいしかったです」
おかみさんに一声かけて、店を後にした。
久留里線の踏切を越え、すぐに右折した。直進すると、そこからは館山方面へ向かう別の国道だった。
電話を聞き書きしたメモを見ながら、多々良の指示が続く。十六号を今度は左折するようだ。海岸通りには海の匂いが満ちていて、やっと工業地帯を抜けた実感が湧いてくる。それもそのはず、鼻先の信号機には、右矢印でフェリーターミナルの標識が掲げられていた。
めざす医院は、すぐに探し当てた。木更津駅に通じる繁華街の一郭だった。
ちょうど昼休み中で、午後の診療開始時刻までに無事歌集を納品することが出来た。
「いやいや、ホッとしたよ・・」多々良は、思いのほか短時間で決済まで済んだことを喜んだ。「何より本の出来がいいから、先生ご機嫌だったじゃないか」
「そうですね。装丁も好かったですよ。やっぱり、お金のある人は、費用を惜しみませんからね」
多々良社長が、著名な装丁家を薦めたいきさつを知っているので、そんな感想が口を衝いて出た。
「どうだい、富津岬まで行ってみようか」
「いいですね。さっき海の匂いを嗅いだら、急に七尾で過ごした子供時代のことを思い出してしまって・・」
おれは、本を下ろして軽くなった車を飛ばして、岬の根元まで到着した。
駐車場に軽自動車を置き、嘴のように突き出た富津公園に足を踏み入れた。木と草と海光の道を、おれと多々良は先端をめざして進んだ。
この日も天候に恵まれ、海は穏やかに広がっていた。
東京湾を行き交う船の往来がよく見えた。漁から戻る小型の釣り船が、西日のなかできらきらと波を起こして進んだ。
タグボートに曳かれた運搬船が、釣り船のあとを追うように、湾奥をめざして平らな体を移動する。ちょうど外海に向かう貨物船とすれ違って、微かなうねりに揉まれているようだった。
ひとしきり続いたラッシュの合間を縫って、フェリーがターミナルを出航していった。対岸に渡るべく、狭い湾内を斜めに横切るコースをとるはずだった。
危うさを秘めた航路と考えるのは、おれの主観だろうか。これほど恵まれた視界の好さは、限られた季節だけのことで、荒れた気象の日には、何が起こっても不思議はないではないか。
順調な運行に水を差すような不安を抱いたのは、やはり、おれの潜在意識がもたらしたもののようだ。
ミナコさんと自動車内装会社社長の関係は、ミナコさんが契約解除を申し立てたところで、そうすんなりと解決するはずもなく、あれからひと月あまりくすぶっている様子だった。ミナコさんは多くを語らないが、おれにはそう思えた。
ミナコさんは、週末ごとに訪れて来るので、表立っての心配は無かった。ただ、カネが絡んだトラブルにでも発展したら、おれはどう対処したらいいのかと、自分の力の無さに不安を覚えることはあった。
おれは、おれの未来を見極めようと、遥かな目つきになる。
すぼめた視線のかなたに、三浦半島が一望できる。
あのあたりは横須賀で、こちらは逗子、そして横浜はこの辺と、懐かしい湾の眺めが胸を熱くする。
七尾の眺めも同じだった。
小学生の時も、中学生の時も、七尾の海辺に立って、対岸の能登島を眺めた。能登島は、おれの憧れだった。あの島へ行けば、おれの見たこともない、聞いたこともない、夢のような世界があると思い込んでいた。
街の図書館で、地方紙の三面記事を確かめるまでは・・。
一度は封印し、押入れの下段に押し込んだものが、しばしばおれの意識に上り始めている。ミナコさんが、勇気を見せているのだから、おれも逃げてばかりはいられない。ミナコさんを支えるためにも、おれは、おれの現実に向き合う必要があった。
(続く)
写植の仕事は、紺野ともう一人のパートナーに任せ、軽自動車に自費出版の歌集五百冊を積み込んで、飯田橋を出発した。
京葉道路から国道十六号に入り、海岸沿いの工場地帯を経て、袖ヶ浦を通過するころには、もう昼の十二時半を過ぎていた。
「いやァ、渋滞ですっかり時間を食ってしまったね。ところで、きみ腹が減ったんじゃないか」
「はい。でも、我慢できますよ」
「いや、このままお客さんの家に行ったら、食事をする暇がなくなるよ。どこか、車を停められそうな店があったら、そこで食べていこう」
おれは、まもなく藍染の暖簾を下げた蕎麦屋を見つけ、ここでいいかと多々良に了解を求めた。
店の横に、ニ三台停められる駐車場があり、おれはそこに軽自動車を乗り入れた。運転席から降りると、着地する足の感覚がおかしくなっていた。長時間アクセルとブレーキを踏み替えていたため、筋肉がその動作以外の動きに反応し辛くなっていたのであろう。
「知らない街で食べ物屋を探すときは、昔からのお蕎麦屋さんに入るのが一番だといいますよね」
「ほう、きみ、ずいぶん古風なことを言うね」
「そうですか。たしか、誰かの随筆で読んだような気がするんですが」
おれは、そうしたことを書きそうな作家やエッセイストを何人か思い浮かべてみたが、どんな作品に出てきたのか探し当てることは出来なかった。
紺絣の座布団に、メニューの表紙も布張りである。おれが想像した以上に格式のありそうな蕎麦屋だった。
多々良は躊躇なくザルそばを頼み、おれは大盛りそばに未練を残しながらもカツ丼を注文した。
偉そうなことを言った手前、蕎麦屋ではそばを食うのが筋だとは思ったが、これから客のところで五百冊の本を降ろすことを考えると、見栄を張ってばかりはいられないとカツ丼にしたのだった。
薊や桔梗など、テーブルごとに置かれた一輪挿しが、店の心意気を示していた。奥で茹で上げたばかりのそばを洗う親爺の様子を横目で見ていると、丼物を頼んでしまったことが心苦しく感じられる。
せめて、清楚な花の風情を讃えようと、どんぶりを運んできたおかみさんに声をかけた。
「あの吾亦紅は、どなたかが取ってきたんですか」
「ええ、昔から裏庭に生えているのを、わたしが摘んでくるんですよ」
「野生のものじゃないんですか」
「先代のころ庭に移植したのでしょうが、いまじゃあ草ぼうぼうで、山裾と変わらないぐらい野性化しています」
なるほど、商売というものは半端な気持ちでは出来ないものだと、すっかり感じ入ってしまった。
おれが食ったカツ丼も、これまでで最上の味だった。豚カツそのものに厚みがあり、玉子も地鶏の有精卵らしく見るからにふっくらとしていた。
自家製の香の物と、あっさりした白味噌の蜆汁が、カツ本来の味をよく引き立てていた。おれは、はやばやと食べ終わって蕎麦湯をすする多々良を前に、急かされるような気持ちで飯を掻き込んだ。
支払いをしようとすると、今日は奢りだと社長が言った。
長時間の運転と、これからの荷降ろしを思えば、まあご馳走になってもいいかと、素直に好意を受け入れた。
「ほんとに、おいしかったです」
おかみさんに一声かけて、店を後にした。
久留里線の踏切を越え、すぐに右折した。直進すると、そこからは館山方面へ向かう別の国道だった。
電話を聞き書きしたメモを見ながら、多々良の指示が続く。十六号を今度は左折するようだ。海岸通りには海の匂いが満ちていて、やっと工業地帯を抜けた実感が湧いてくる。それもそのはず、鼻先の信号機には、右矢印でフェリーターミナルの標識が掲げられていた。
めざす医院は、すぐに探し当てた。木更津駅に通じる繁華街の一郭だった。
ちょうど昼休み中で、午後の診療開始時刻までに無事歌集を納品することが出来た。
「いやいや、ホッとしたよ・・」多々良は、思いのほか短時間で決済まで済んだことを喜んだ。「何より本の出来がいいから、先生ご機嫌だったじゃないか」
「そうですね。装丁も好かったですよ。やっぱり、お金のある人は、費用を惜しみませんからね」
多々良社長が、著名な装丁家を薦めたいきさつを知っているので、そんな感想が口を衝いて出た。
「どうだい、富津岬まで行ってみようか」
「いいですね。さっき海の匂いを嗅いだら、急に七尾で過ごした子供時代のことを思い出してしまって・・」
おれは、本を下ろして軽くなった車を飛ばして、岬の根元まで到着した。
駐車場に軽自動車を置き、嘴のように突き出た富津公園に足を踏み入れた。木と草と海光の道を、おれと多々良は先端をめざして進んだ。
この日も天候に恵まれ、海は穏やかに広がっていた。
東京湾を行き交う船の往来がよく見えた。漁から戻る小型の釣り船が、西日のなかできらきらと波を起こして進んだ。
タグボートに曳かれた運搬船が、釣り船のあとを追うように、湾奥をめざして平らな体を移動する。ちょうど外海に向かう貨物船とすれ違って、微かなうねりに揉まれているようだった。
ひとしきり続いたラッシュの合間を縫って、フェリーがターミナルを出航していった。対岸に渡るべく、狭い湾内を斜めに横切るコースをとるはずだった。
危うさを秘めた航路と考えるのは、おれの主観だろうか。これほど恵まれた視界の好さは、限られた季節だけのことで、荒れた気象の日には、何が起こっても不思議はないではないか。
順調な運行に水を差すような不安を抱いたのは、やはり、おれの潜在意識がもたらしたもののようだ。
ミナコさんと自動車内装会社社長の関係は、ミナコさんが契約解除を申し立てたところで、そうすんなりと解決するはずもなく、あれからひと月あまりくすぶっている様子だった。ミナコさんは多くを語らないが、おれにはそう思えた。
ミナコさんは、週末ごとに訪れて来るので、表立っての心配は無かった。ただ、カネが絡んだトラブルにでも発展したら、おれはどう対処したらいいのかと、自分の力の無さに不安を覚えることはあった。
おれは、おれの未来を見極めようと、遥かな目つきになる。
すぼめた視線のかなたに、三浦半島が一望できる。
あのあたりは横須賀で、こちらは逗子、そして横浜はこの辺と、懐かしい湾の眺めが胸を熱くする。
七尾の眺めも同じだった。
小学生の時も、中学生の時も、七尾の海辺に立って、対岸の能登島を眺めた。能登島は、おれの憧れだった。あの島へ行けば、おれの見たこともない、聞いたこともない、夢のような世界があると思い込んでいた。
街の図書館で、地方紙の三面記事を確かめるまでは・・。
一度は封印し、押入れの下段に押し込んだものが、しばしばおれの意識に上り始めている。ミナコさんが、勇気を見せているのだから、おれも逃げてばかりはいられない。ミナコさんを支えるためにも、おれは、おれの現実に向き合う必要があった。
(続く)
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