六合村が美しいわけ
四月最後の日曜日に重伝建にも指定されている六合村赤岩地区を通り過ぎた。
いつもの春のように、足元にはポピーや水仙、シバザクラ、目の高さに海棠、山吹、れんぎょう、レンゲツツジ、木々の奥には咲きかけの辛夷と山桜。
自然環境に恵まれたいい村だと思っていた。
だが、この日通りかかって、休日の午前中から村人が総出で道沿いの整備に精を出しているのに出食わした。
ある者は雑草を抜き、一方で夏か秋かに開花する球根を埋めている。山際では枯れ枝や下草を束ね、誰もが黙々と立ち働いている。
いつも驚いて眺めた薪小屋の造形的な美しさ、これらも訪れる人への配慮なのか。同じ寸法に切りそろえた薪が、屋根までびっしり積み上げられている。
冬を越しても一本も欠けていない。
真に貯蔵なのか、あるいは見せるための・・・・。観光客へのアピールが含まれていたとしても、まっすぐな心が薪の表情ににじみ出ているようだ。
昔は共同体としての結束が強かった。いまは封建的と言われるシバリのようなものは薄れているに違いない。とすれば、みな誇りを持って作業に参加しているのだろう。
この村の清潔さ、心地好さはそうした前向きの気持ちからしか生まれないような気がする。
谷底に青々とした水をたたえた橋を渡る。橋の中央から撮った写真がこれだ。懐かしさを呼び覚まされる風景。
この風景もなんとなく在るのではなく、村人の意思があってのものと気づかされた。
この後も何枚か、村の写真を載せたいと思っている。
訪れればだれもがホッとする場所。しずかにしずかに訪ねてみて欲しい。
まず、美しい画像に目を奪われてしまいました。自然そのものの佇まいというより、ヒトと自然との共生によって保たれている風景といえましょうか。
村人の伝来の温かい心情が表れているとも思えます。
実際にはこんな村や景色がこの国からどんどん失われていっているのでしょう。だとすると、ますます重要な財産ですね。
まだこれからも同種の写真を掲載されるようで、楽しみに待ってますよ。