村人の入浴時間に
二ヶ月ぶりに北軽井沢へ行った。
今年の冬は寒さが厳しかったようで、永住している人の話では零下18度ぐらいまで下がったらしい。
外のテーブルに置きっぱなしにしていた分厚いガラスの花瓶が割れて落ちていたから、もし完全な水抜きをしなかったら水道管も便器も湯沸かし器もすべて同様の被害をこうむっていたに違いない。
ともあれ無事を確認して、楽しみにしていた応徳温泉に直行した。
この日は最高気温が18度まで上がって、初夏のような暖かさ。雲もなく残雪で覆われた白根山がかがやいていた。
大体そうなのだが、温泉に行き着くのは午後四時ごろが多い。日が伸びて窓外の明るい景色を見ながらのんびり湯に浸かるのはささやかな悦びである。
「やあ、しばらくだなあ」
声を掛けてくれるのは先に湯船に浸かっていた村の老人である。
「正月以来ですよ。なかなか来れなくていらいらしてました・・・・」
首まで沈めながらアーとかうなるものだから、老人が笑う。
「農作業の準備なんかはまだですかね?」
「今朝は薄氷が張ってたからな。当分ダメだわ」
そうこうしているうちに顔見知りが二人、三人入ってくる。
村の集まりや誰それの情報交換が終わると、こちらの問いかけにもボチボチ応じてくれる。
昔は反対側の山に鉱山があったことや、鉄道が引き込まれていたことなど、意外な村の歴史を聞かされたのもこうした老人たちからだ。
白砂街道のとっつきに残っている古びた鉄橋の謎が解けたのも、村人との交流があったからだ。
昼間は観光客がほとんどだが、夕方5時以降は村人の社交場になる。
夏になるとピークは一時間ほど遅くなるのだが・・・・。
ともあれ村人の入浴時間に相伴させてもらって、サルやクマ、イノシシ絡みの話を聞くのも楽しみの一つである。
「あいつらも生きていかねばなんねえし・・・・」
目くじら立てて敵対する様子はまったくみられない。
休憩室の一角には、皇太子様が登山の帰りにこの温泉に立ち寄った写真が掲げてある。平成四年というからいまから十五年も前のことだ。
二年ほど前に湯船を改修したから、皇太子様は以前の古びた木の風呂に入ったのだろう。まだ木の香が立ちのぼっていたかもしれない。
随行員も少なく、そっと来てそっと入って「ああーっ」と腕を伸ばし、体を緩めたに違いない。
温泉を訪れるたびに穏やかで若々しい青年の表情に見入っている。
この村は道路にゴミ一つなく、いつまでも清潔感が保たれている。
近くには『長英の隠れ湯』と呼ばれる赤岩温泉もあり、この一郭は養蚕で栄えた頃の街並みが保存されており、いわゆる重伝建に指定されている場所だ。
行くたびにリフレッシュされるかけがいのない村。
「ありがとうございました。今年もまたよろしくお願いします」
帰りがけに挨拶を交わし、軽トラックで帰っていく老人を見送った。
時間の流れる速さが違うような都会人である筆者と村人との会話の間合いの微妙なずれが伝わってきて、何かほんわかとした気持ちになります。
その辺で山から下りてきた動物も聞いていたりして。
皇太子がこの温泉に入りに来たというのは、この村にとっては大事件だったのでしょうね。
うらやましいようなゆったりした時間の流れる土地です。
これからがいい季節なのでしょう。
知恵熱おやじ
いいですねえ、お湯に浸かりながら、素っ裸のままで村の古老と何げなく言葉を交わすって。
そこから、小さな世界が思わぬ広がりをみせたり。
古老との会話につられてか、「皇太子様」と記しておられるのにも、その温かさが伝わってきます。
筆者が山里に惹かれていく様子が、この一文にそれとなく凝縮されているように思えます。
逆に、索莫とした都会生活なんぞいまさら、との感を深めますね。
せいぜいこれからも"命の洗濯"を!