端午の節句にサクラ満開
かつて弘前公園で見たサクラは、桜花の耀きが違っていた。
関東のソメイヨシノとは種類が異なるのか、白色の艶が匂うようだった。
色は光の表情だから、清らかでみずみずしい古木の佇まいは、城山を包む空気と歴史の反映かと思われた。
白砂川の橋を渡ってすぐの集落に見つけたサクラは、群集に誉めそやされることはなくても誇らしげに咲いていた。
この家の繁栄を祝福し、代々つつがなく子孫を繋ぐことを願って咲き続けてきたのだろう。
東京より一ヶ月以上遅い開花だし、満開の期間もおそらく長いだろうから、端午の節句が追いつこうとしている。
風のないうららかな昼時、屋敷の一角に揚げた鯉のぼりが桜花と会話しているようだ。
「すくすくと成長してよかったね」
「物騒な世の中だから、まだ安心はできないよ」
授かった男子を、家族のみならず集落をあげて見守るまなざしを受けて、庭木も幟も同調の念波を出している。
女子は女子で、すでに心をこめた雛祭りを祝ってもらったに違いない。
『三つ子の魂百まで』
共稼ぎで働くより、しっかりと育てることの利を知っている。
<利>は<理>でもある。
戦後誤った道を歩き続けたツケが、いまの社会に噴出している。
村人は口に出さなくても、そのことを感じ自ら実行してきたのだと思う。
理屈で終わるのは嫌だから、今日も画像を観ていただきたい。
次回も六合村からお届けする。
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