(ようこそ)
長野県のある町に小高い丘がある。
そこに七年ほど前、老人ホームが開設された。
幸四郎は、認知症の母親を抱え五年ほど自宅介護をつづけていたが、妻の疲れが目立ってきたため二十キロほど離れたその施設に入所させることにした。
妻の聡子は、長年にわたって母の面倒をよく看てくれた。
最初こそ単なる物忘れと区別がつかないぐらいだったが、あれがない、これがないと騒ぐようになってからは、心中穏やかでない日々が多かったと思う。
幸四郎は勤めに出てしまうから、日常の出来事は妻の報告に頼るばかりで、多くのことは憶測するしかなかった。
「聡子さん、わたしの指輪どこへ隠したの?」とか、「一万円札が足りない」とか、犯人扱いされることもあったらしい。
おまけに、ご飯を作ってくれないなどと幸四郎に訴えかけるこもある。
ちゃんと食事をしておきながら、五分もすると食べたことを忘れてしまうのだ。
これでは、日ごろ忍耐強い妻も怒りを抑えられなくなる。
時には妻が涙を浮かべながら告げる言葉を、ことば以上に深刻に受け止めなければ本質を見誤ることに気づいた。
そうした配慮をしてきたから、これまでなんとか夫婦関係を保てたのかもしれない。
徘徊も頻繁になり、近くの交番の手を煩わせるようになったことから、幸四郎もいよいよ決断する時が来た。
「どこがいいか、いろいろ調べてみたけど、やっぱり丘の上の老人ホームがいいだろう」
実はそれほど詳しく検討したわけではなく、地元のタウン誌やチラシで見た記憶をもとにイメージを描いていたに過ぎなかった。
標高二百メートルほどの丘のてっぺんに公園があり、その下の自然林に囲まれた場所に福祉施設が造られた。
花壇には季節の花が植えられ、白い建物によく似合っていた。
医療設備も充実していると宣伝されていたし、何よりも薄ピンクの看護服を着たスタッフが、笑顔で「ようこそ」と手を差し伸べる写真が印象に残っていた。
週一回のデイ・サービスの日に幸四郎も有給休暇をとり、母を預けて夫婦で老人ホームを見学することにした。
市の福祉課には、母親の認知症を説明してあった。
家ではわがままでも、介護ヘルパーから押し花の出来を褒められたことのある母は、その日いそいそと巡回サービスの車に運ばれていった。
<ようこそ緑風苑へ>
緩やかな坂を登り切る寸前に、老人ホームの愛称を示す案内板が立てられていた。
左折して広い敷地に入っていくと、無料の駐車場が三十面ほど用意されていて、そのうち半分以上はすでに埋まっていた。
幸四郎は聡子と連れ立って、第一ゲートをくぐった。
通り抜けてから分かったのだが、五メートルほどの屋根つき通路に導かれて、事務棟に至る構造になっていた。
謂わば、そこが第二ゲートにあたる場所だった。
自動ドアを通り抜けると、右手に大きなスペースを持つ受付があり、にこやかな笑顔の女性が二人、幸四郎夫妻を出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ようこそお出でくださいました」
用意された申込用紙には、面会、見舞い、その他と用向きを書き込む欄があり、幸四郎はその他の箇所に見学希望と自筆した。
あらかじめ連絡をしてくださればと言われたが、入所案内だけもらって帰るぐらいのつもりだったので、なるべく面倒な約束をしたくなかったのだ。
「ああ、突然ですみませんでしたね」
幸四郎は差し迫って訪問したわけではないとのポーズを、ぶっきらぼうな口調に滲ませていた。
「いえ、全体をご案内はできませんが、病棟の一部やスタッフ・ルーム、娯楽室など患者さんのプライバシーと関係ない場所はご覧いただけますよ」
「そうですか。それなら申し訳ありませんが、見学させていただけますか」
幸四郎は、不機嫌そうに聴こえたかもしれない先ほどの返答を打ち消すように、へりくだった物言いをした。
いつの間にか広報担当の責任者と思われる男性が現れ、受付け嬢に替わって幸四郎夫妻を面会室に案内した。
入所者とは職員を介して接触できるが、患者が勝手に出入りできないよう離れた場所に置いたのだという。
一階のスタッフ・ルームの奥に、軽度の要介護者を収容する個室が並んでいた。
面会室の隣りに娯楽室があり、テレビと長椅子が直に向き合っていた。
入所者の誕生会や、クリスマスなどの行事に使う多目的ホールもあった。
エレベーターで二階に上がると、その場所がよく見渡せた。
二階は問題のある入所者の専用フロアで、例えば徘徊癖のある患者がいきなり通路に出られないように、仕切り戸に鍵が掛けられていた。
(もしも緑風苑に入ると決まったら、母は二階の個室に収容されることになる・・・・)
施錠された向こう側の世界に閉じ込められ、自分の意志で通路に出ることはできなくなるのだ。
可哀そうと思う反面、家庭にあっても門扉を鎖でつなぐなど苦労していることを思い出し、割り切る時期が来たことを再認識した。
民間施設への入所は、誰でもおいそれと実現できるわけではない。
多額の保証金と、月々の使用料を払える資力が要求される。
幸四郎の母親は現在八十歳で、アルツハイマーに侵された脳以外はどこにも悪いところがなかった。
施設に入れるのはいいが、この先何年払い続けるのかと不安が増した。
「まあ、あと何年か経って状況の変化もあるでしょうから、その時に判断されたらいかがですか」
プランの相談に応じてくれた職員は、機を見て自宅療養に切り替えることもできると、いくつかの可能性を示唆してみせた。
差し迫っての課題は、母の徘徊を阻止することだった。
妻の共倒れを防ぐためには、老人ホームに母を預けるしか方法がなかった。
一千万円を超す入居一時金は、幸四郎の退職金を前借りして支払うことにした。
こうした納入金は、賃貸物件の敷金と異なり、退所時に全額戻ってくるわけではない。
長期にわたれば、次第に償却されて減っていく。
元来、幸四郎の家系は長命だから、母も居心地よく生活できれば百歳までも生きる可能性がある。
ひょっとしたら、老人ホームとの契約年数を超えてしまう惧れもあるのだ。
単純に長寿を喜んでいられる時代ではないことを、幸四郎は身をもって知らされた。
担当責任者との二度の面接を経て、幸四郎は丘の上の老人ホームに母を入所させた。
入所希望者は順番待ちと聞かされていたが、その割にはすんなりと入ることができた。
他人を押しのけての入所に後ろめたさを感じたものの、家庭の中に平穏な空気が戻ることを考えると、男として誇らしく思えた。
「おまえにも、苦労をかけたな」
妻の聡子に謝ってみせたが、本来家計を支えるはずだった退職金が失われたのだから、妻にとっては苦痛の種が入れ替わっただけかもしれない。
「わたし、なんだか、緊張が解けてかえって疲れちゃった・・・・」
冴えない表情で自室に閉じこもった。
福祉施設への入所は夫婦で相談して決めたことだから、いまさら不満を言うことはできない。
そんな閉塞感が、余計に聡子を苦しめる。
これでは、なかなか気分が晴れないのだろうと、幸四郎も悩むのだった。
緑風苑へは、最初のうちこそ日曜日ごとに見舞いに行った。
「あなた、ようこそと言われて何も感じない? 気になるのはわたしだけかしら・・・・」
妻の聡子は、理由をつけて幸四郎との同道を避けはじめた。
老人ホームへの訪問がだんだん間遠になった幸四郎は、緑風苑から戻っても母がどうしたといった話題を持ち出さなくなった。
「わたし、しばらく介護の現場を見たくない気持ちだったの。・・・・一緒に行かなくてごめんなさい」
これ以上、冷淡にするのはまずいと思ったのか、聡子の方から母の様子を訊いてきた。
「ああ、それが相変わらず徘徊癖が直らないらしい。介護士の目を盗んで脱走しようとするので苦労しているらしいよ」
「へえ、お義母さま、達者なのねえ」
聡子がうれしそうに笑った。
欲望のままに発散するエネルギーは、微笑ましくも共感すら覚える生の営みだった。
(お金いっぱい払ったのだから、わがまま言ってもいいわよ)
自分の手を離れてからの出来事は、まったく別の感想をもたらすものなのだろう。
聡子は小気味よささえ感じて、義母の様子をもっと聞きたがった。
久しぶりに夫婦連れで緑風苑を訪ねようと決めた翌日、幸四郎のもとに母の緊急事態を知らせる電話が入った。
夜中にベッドから落ちて、右腕を骨折したのだという。
あわてて駆けつけようとすると、すでにギブスで固定して暴れないよう眠らせているから心配は要らないとの説明があった。
翌日施設に向かうと、母は痛々しい姿でベッドに横たわっていた。
「当直看護師の報告では、深夜うめき声がしてうつ伏せに落ちていたようです。白内障が進んでいますので、床との距離を間違えたのでしょう」
寝惚けてベッドから落ちた可能性が強かったが、もしかしたら暴れる母をベッドの枠に縛り付けたのが原因ではないかと、意地悪な想像が頭をもたげた。
「おかあさん、大丈夫?」
幸四郎が呼びかけると、母はどんよりした目で息子を見た。
「こんなにグルグル巻きになってしまって、可哀そう・・・・」
妻の聡子も声をつまらせた。
「骨が付くまで、二週間ほど動かないよう身体を固定しますから」
巡回に来た若い医師が、こともなげに告げた。
見舞うたびに、母親は元気をなくしていった。
老齢による回復の遅れと、認知症治療のための投薬が影響して、ギブスが外されても歩くことさえままならなくなっていた。
「なにか変な薬を飲ませているんじゃないかしら・・・・」
義母の様子を見て、聡子が呟いた。
暴れたり徘徊したりする患者には、向精神薬を処方する例もあると聞いている。
限られた人員で、たくさんの老病入所者を管理するためには、治療に名を借りて一人ひとりの牙を抜くのかと、あらぬ疑いさえ湧いてきた。
「まさか、そんなことはしないだろう」
入所してまだ半年あまり、長生きさせてこその安定経営だろうとの思い込みがある。
管理しやすければ好い顔を見せるが、意に染まない患者は放り出して、新規の入居希望者と入れ替える。そんな魂胆で動いているとは想いたくなかった。
疑念は疑念のまま二週間が過ぎた。
母がなぜ朦朧としているのか、問い質すことはできなかった。
その間にも、認痴症の症状は進んでいるらしかった。
母の誕生会があるとの連絡を受け、幸四郎も妻と二人で参加することにした。
多目的ホールのテーブルの前に、車椅子に乗せられた母が毛布を掛けられていた。
「おかあさん、誕生日おめでとう。すこし元気になったみたいだね」
幸四郎は、お祝いに参加してくれた他の入所者の目を意識しながら、母親の手をとろうとした。
「はて、どちらさまか存じ上げませんが、ようこそお出でくださいました・・・・」
虚ろな瞳に、息子の姿はどう映っていたのか。
幸四郎は一瞬ことばを失っていた。
助けを求めるように、横に立つ聡子の顔を見た。
緊張した妻の口辺がピクピクと震えていた。
(ようこそ、ようこそ、ようこそ・・・・)
丘の上の施設へ誘う看板やカタログ。
にこやかな女性スタッフの案内用マニアルにも、「ようこそ」のひと言は組み込まれている。
(いつ、母親のスカスカになった脳に、ようこそが忍び込んだのか)
妻が感じていた不快の思いを、いまになって、幸四郎もやっと理解できたのだった。
(おわり)
本当に哀しいですね。
昔なら脳がそうなる前に肉体的な死が訪れたのでしょう。
私にとって、とてもこころの芯に染みこむ小説でした。
幸い3人の妹が札幌で近くに住んでいたため、介護のローテーションを組んで家で世話をしてくれて、最後の日まで毎日笑いいっぱいに過せたようです。
いずれにしても自分の最期など思い煩ってもしょうがないのかもしれませんが。
有難うございます。
好きな作家だったので悲しいです。
生きていたらこれからもっといい作品をお書きになっていたに違いないのに・・・。
老後の母親と息子夫婦の問題、どこにもありそうですが、こんな問題や葛藤があることをあらためて教えてもらったようです。
タイトルにある「ようこそ」の意味が哀しく訴えかけているように感じます。
そして思うに、老母は一瞬たりとも、かくなる施設では喜びや回復は望めそうにないこと。
自分にも似たような経験をしていますし、自分自身が遠くない将来、同じ境遇に迫られるでしょうから、他人ごとではなく読ませてもらいました。
とにかく、ドキッとさせられる短編ではありました。
力作、ご苦労さまでした。
(知恵熱おやじ)様、ご兄弟のチームワークでお母さまを100歳まで介護されたとのこと、周りを見回しても稀なるケースと感動いたしました。
勝手ながら、心身ともに健康な子供たちを育てられたお母さまのお手柄かとも思いました。
明るい話を寄せていただき、ありがとうございました。
また、昨日急逝された立松和平氏のこと、本当にびっくりしております。
ニュース・ステーションの独特の語り口が忘れられません。(ご冥福を・・・・)
(くりたえいじ)様、コメントを頂いたことで、それぞれの介護の現実を知りました。
「ようこそ」の一語から始まった話でしたが、介護は日本が抱える命題の一つでもあるんですね。
あらためて、自分の行く末を考えてみたいと思います。
ありがとうございました。