どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『幽霊談義』

2022-12-26 01:37:26 | 短編小説

 考古学における新発見を発表した蒲原は、大学時代の同級生だった医師の新谷と詩人の曽根崎を自宅に招いて旧交を温めることになった。
 きっかけは曽根崎からのお祝い電話の中で、かつて男子寮で夜通し語り合った「幽霊の正体」について、いまならどう思うかと尋ねられたことにあった。
「アハハ、きみはちっとも変っていないな」
 蒲原は呆れたように笑い、「・・・・新谷は医者になったというが、元気にやっているんだろうね?」と懐かしそうに問いかけた。
「ああ、相変わらず金儲けに忙しいみたいだよ。きみと違って国からの研究費が得られるわけじゃないから、自力で病院を大きくしようと懸命なんだ」
「そうか、それで安心した。あいつ学生時代から株だの為替だのに夢中になっていたから、将来そっちの方で身を誤るんじゃないかと心配してたんだ」
「たしかに、一度大失敗をして懲りたらしい。その後献身的な奥さんに出会って結婚し、苦労の末に開業していまや地域の名士だ」
「会ってみたいな・・・・」
「なんなら三人で集まるか」
 詩人の曽根崎がすかさず水を向けた。
「うん、頼むよ。悪いけどきみが一番自由が利きそうだから、上手く段取りをつけてくれ」
 そして、せめて場所だけは提供すると付け加えた。
「そういえば、きみは現在独り身だったな」
「二年前に女房を亡くしてね」
「そうだってね、後から聞いたもので何もできなかったが・・・・」
「いや、事故死だったものでバタバタしていて身内以外だれにも連絡していないんだ」
「そうか、じゃあ集まった時に線香でもあげさせてもらうよ」
 手料理とか気のきいたことはできないが、適当に出前を頼んで語り明かそうということになった。
 曽根崎はもともと干渉されるのが嫌いな性質だったから、奥さん不在の蒲原宅で寮生時代の雰囲気に浸れることを喜んだ。
 さっそく医師の新谷に電話をして、休診日の前夜から蒲原の家を訪問する段取りを調えた。
 酒は用意しておくというので、二人は乾きものや缶詰類を仕込んで揃ってタクシーに乗り込んだ。
 蒲原の家は、周囲を松林に囲まれた武蔵野の一画にあった。
 考古学者といえば貧乏の代名詞のように思われていたが、親からの相続を受けてかなり広い敷地に住んでいるようだった。
 建物も築三十年は越す二階家だが、選りすぐりの木材を使っているせいか、しっかりとした躯体を保っていた。
 (ほう、屋根は三州瓦か、なかなか風格のある家だな・・・・)
 ときおり補修をしているらしく、開け放した廊下越しの障子も西日を受けて白金色に輝いていた。
「貼り替えたばかりだぞと言わんばかりだ」
「ほんと、足利義満ばりに威張っている・・・・」
 二人は小声でしゃべりながら、蒲原宅の門をくぐった。
 邸内も樹木が多く、庭木を渡る風が真夏とは思えない涼しさを運んできた。
「おーい、いるか?」
 呼び鈴の代りに吊り下げられた銅鐸のレプリカを叩きながら、詩人の曽根崎が声を張り上げた。
「おう、よく来たな」
 すぐに玄関の引き戸が開いて、招待主の蒲原が顔を出した。
 新谷とは久しぶりの顔合わせなので、双方ともはにかむような表情をした。
「やあやあ、このたびは歴史を書き換えるような大発見をしたそうでおめでとう」
「いや、それほど大それたことをしたわけじゃない・・・・」
「そんなに謙遜しなさんな。新聞は各紙ともオドロキ混じりの称賛をしてるぜ」
「そうか、嬉しいことは嬉しいが、きみにまで誉められると照れくさいよ」
 二人のやり取りをニヤニヤしながら見ていた曽根崎が、「さあ、ご挨拶はそこまで・・・・」
 これは酒のつまみだがこんなもので好かったかなと、上がり框に買い出し品の大きなビニール袋を置いた。
「いやあ、かえって気を遣わせたな。それじゃあ、とにかく上がってくれ」
 蒲原の案内でリビングルームに通された。
 ソファに腰を下ろすと、隣接する小部屋の奥に仏壇が置かれているのが目に入った。
 左右の花器には、白ゆりと桔梗の花が活けてある。
 きょうのために、花屋で見つくろってきたものだろう。
「ちょっと拝ませてもらうよ」
 曽根崎はすぐに席を立った。足早に仏壇に近づき、線香を抜いてマッチで火をつけた。
 遺影を探したが見当たらないので、位牌に向かってムニャムニャと唱えた。
 チーンと鉦を鳴らしながら、蒲原の奥さんはどんな人だったろうと記憶をまさぐったが思い出せなかった。
 (一度も会ったことがないのかもしれない・・・・)
 それより、事故死をしたと説明されたがどんな事故だったのだろう。
 蒲原からはまだ何も聞いていないことに思い至った。
「奥さんは、普段は落ち着いた人だったんだろう?」
「ああ、どちらかといえば・・・・」
「そんな人がなんで交通事故に遭ったんだ」
 曽根崎は、それが事実であるかのように話をつないだ。
「いや、説明が遅れたが交通事故じゃないんだ。夜中に二階の寝室から一階へ降りようとして、階段を踏み外したらしい」
「ほう」
「警察の検証では、体内に睡眠薬の成分が残っていたから、もしかしたらクスリのせいじゃないかと・・・・」
 蒲原は奥さんの転落を直接見たわけではないので、当局の見解に従うしかないと肩を落として見せた。
「まあ、酔っぱらって階段から落ちる人もいるからねえ」
 医師の新谷が、商売柄よく耳にする話を披露した。「・・・・寝ぼけていたという例もあるしね」
「そうか、どっちにしても災難だったな」
 曽根崎はなんとなく部屋の中を見回した。
「さ、さ、はじめようか」
 互いの近況報告も済んだところで、手分けして酒宴の準備に取り掛かった。


 酒はビール、ワイン、ウイスキー、日本酒とさまざまの種類が揃えられていた。
 そう値の張るものではないが、日ごろ曽根崎が愛用するものよりはグレードが上のようだ。
「ぼくは、これをいただくよ」
 詩人はシーバス・リーガルのラベルを確かめながら、自ら氷の入ったグラスにトクトクと注いだ。
 途中からは皆それぞれに、自分のためのバーテンダーに成り変っている。
 焼酎や二級酒で盛り上がった寮生時代の思い出が甦って、三人はしたたかに酔った。
「おい、きょうは幽霊がいるのかいないのか、決着をつけよう」
 学生のとき夜通し議論をして、ついに決着のつかなかった話題を曽根崎が持ち出した。
 蒲原は発掘した祭祀遺跡などを例に、「古代人が幽霊を見たかどうかはともかく、魂の存在を怖れていたことは確かだよ」と見解を述べた。
「きみたちは幽霊愛好者だな。学生時代とちっとも変っていない」
 医師の新谷が言った。
「いや、だから幽霊がいるとは言ってないさ」
 考古学者が遮った。「・・・・ただ、死者の霊を鎮めるという行為は世界共通のものだから、鎮めきれないものを怖れていたのは確かだよ」
「まあ、学者らしい物言いでソツがない」
 新谷が嫌味を言った。「・・・・今度は幽霊を連想させる遺物を見つけたとか、天地がひっくりかえるような新発見を発表してくれよ」
 蒲原の今回の功績にまで、いちゃもんをつけているように聞こえた。
 患者に接していれば、多少霊的な逸話に遭遇するだろうに、新谷は決して妥協しなかった。
 昔から幽霊の存在を認めず、幽霊会社とか幽霊株主といった言葉を持ち出して茶化していたが、幽霊にまつわる遺物とはかなり意地の悪い喩えだった。
 延長再試合の機会を持ってはみたが、またも寮生時代と同様に交わることのない議論で夜が更けていった。
 出前の寿司を平らげてからは、腹いっぱいになって各々の舌鋒が鈍ってきた。「おい、埒が明かないから俺は寝るぞ」と、医者が大きなあくびをした。
「まだ宵の口だ。幽霊が脳科学の問題だというなら、誰にでもわかるように説明してみろ」
 曽根崎が新谷に絡んだ。
「もう、いい。俺はとにかく眠いんだ。ここじゃ寝れないから、どこか寝床を用意してくれ」
 連日ハードな診療が続いていたから、無理もない要求であった。
 当夜のホスト役である蒲原は、ふと素面に戻って新谷を二階の客用の部屋に連れて行った。
 あらかじめ二人分の布団を並べておいたので、どちらでもいいから好きな方を使ってくれと言い置いてまた階下に戻った。
「憎たらしい口を利くが、憎めない奴だ」
 蒲原は仕方がないといった様子で、曽根崎に笑いかけた。
 真っ向から対立する相手がいなくなって、幽霊談義にも熱が入らなくなった。
 似たり寄ったりの意見を持つふたりでは、刺激が少なすぎた。
 それに、しこたま飲んだアルコールが効いてきて、ソファの背もたれに身を預けてほぼ同時に眠りに落ちた。


 詩人の曽根崎はもともと野放図だったから、場所を選ばず熟睡することができた。
 一方の蒲原は、散らかしたままのテーブルや、二階に寝かせた新谷のことが気になって、眠りに落ちてすぐ肉体の変調を感じていた。
 何かの重みが自分の全身にのしかかってくる。
 意識はソファにいる自分を認識していて、早く起き上がろうと焦るのだが、手足が押さえられていて動けないのだ。
 (ウウー、ウウー)
 なんとか自分の苦境を撥ね退けようとするのだが、意識と筋肉の乖離が激しく何もできない恐怖に襲われた。
 近ごろ薄々感じていたものが、ついに姿を現したのかと思った。
 (佳子、許してくれ・・・・)
 一転、奈落の底に突き落とされるような感覚できつく眼をつぶった。
 階段の上から妻を突き落としたときの悲鳴が、頭蓋骨のなかで反響した。
 古代を扱う考古学だからこそ夢も持てるが、これが近世だったら人骨がぞろぞろ出てきて厭世的に成らざるを得ない。
 焼き場で拾った妻の骨片は、道路工事の際に出現する人骨とさほど大きな違いはない。


 供養して、いち早く目に触れぬ場所に移封した。
 (ぼくは考古学者だ・・・・)
 何年か前、蒲原は成功を求めるあまり、遺物発見の地層に細工をして年代を遡らせた。
 その事実を妻に知られ、激しく詰られたことから殺意を抱いたのだ。
 幸いにも妻は事故死として処理され、一拍置いて新発見を発表することができた。
 偽りであることに気づく者は誰もいない。
 自分だけが隠しおおせれば、考古学者の頂点で君臨できる。
 しかし、このごろヒタヒタと迫りくるものを感じ、気鬱に陥ることがある。
 寮生時代の仲間を自宅に呼ぼうなどと一瞬たりとも考えたことがなかったのに、曽根崎から電話があったときうっかり招待してしまった。
 あろうことか、妻の寝室だった空き部屋に友人の一人を導き入れてしまった。
 霊的なものなど欠片も信じない新谷だからよかったものの、本来近づかせたくない場所に人を呼び入れるなどあり得ない行為だった。
 現在進行中の酒宴を反芻するというのも変だ。
 わかったことは、自分がソファに押しつけられたまま、半ば覚醒状態にあるということだ。
 ただ、どうあらがっても体を動かすことができないのだ。
 その状態が長く続いたのか、短かったのか、遂に昏倒するように墜ちた蒲原にはわからない。
 地震のような衝撃を受けて目覚めた目の前に、曽根崎の歪んだ顔があった。
「おい、起きろ、あの悲鳴はなんだ」
 地震と思ったのは、曽根崎が必死で揺り動かした衝撃のせいだった。
 頭部の血管が切れるかと心配になるほどの恐怖に耐えて、蒲原は立ち上がった。
「新谷の悲鳴に間違いない」
 詩人が断言した。
 ためらう余地のない言葉に動かされて、蒲原も曽根崎の後ろから階段を登った。
「どうした? 大丈夫か」
 曽根崎がしっかりした声をかけた。
 薄暗い階段の上部から二、三段降りたところで、新谷が呆然と立っていた。
「うわっ、幽霊はこの世にいるぞ。俺は危うく鉢合わせするところだった」
 新谷が説明するところでは、白い煙のような塊がすーっと階段を登ってきたのだという。
 ムームーのようでもあり、広げたスカーフのようでもあったという。
 足があったかなかったかは見ていないが、膝を曲げるような素振りはなかったという。
「ぼくたちが幽霊の話をしたから出てきたのかな」
 曽根崎が同調した。
「おちょくった俺を懲らしめるために、現れたのかもしれない」
 新谷はすっかり怯えていた。
 それより顔色を失ったのは蒲原の方だった。
 妻がわざわざ時を選んで現れたのだ。
 友人二人に夫の犯罪を告げるため、霊界からやってきたようだ。
 新谷も曽根崎もまだ気づいていないが、早晩この家の主人の殺人と虚飾の遺物新発見を突き止めるだろう。
 薄々感じていた気配のようなものは、恐怖のあまり妻が遺した残留思念だったのかもしれない。
 蒲原は、妻の幽体に絡まれて身動きできなくなる日が、そう遠くない時期にやってくることを予感した。


     (おわり)



(2012/08/16より再掲)

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