どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『悪童狩り』(8)最終回

2022-07-08 00:01:33 | 短編小説

 立ち入り禁止のロープを跨いだ瞬間、草に滑ってわずかに体が揺らいだ。
 ステッキでバランスをとり、なにごとも無かったように姿勢を戻した。気付かれたかどうか、少年たちの表情を確かめたい誘惑に抗して、数馬は次の一歩を踏み出した。
 築山の傾斜は、眺めていたのと違ってかなりの険しさを秘めていた。
 日ごろの散歩で、それなりの自信を付けていたはずだが、彼の自負も体と一緒に揺らいでいた。
 杖を先導に、前傾姿勢をとる。つま先に神経を集め、指をひらいて斜面を掴む。スニーカーの靴底越しなのに、紛れも無く大地に食い込んだ足指の存在が感じられる。
 子供の頃は、裸足であれ、下駄であれ、足指の先端まで意識を通わせていた。中学から高校に進む時分には、靴に慣れ、最初に覚えた窮屈な感覚が失われていった。
 小学校の教科書に、川を流れてきたキュウリが靴にはまって「きゅうくつ、きゅうくつといいました」というくだりがあって、絵とともにフラッシュバックした教室の風景が、彼の脳裏を直撃した。
 あんなダジャレのような話が、なぜ教科書に載ったのか。いきさつはともかく、当時の感覚が漠然と伝わってくる気がした。
 井原数馬は、もう少年たちの視線を忘れていた。一歩、一歩、滑らないで登ることに夢中だったし、人に対する目に見えない惧れのようなものが消えて、呼吸とともに胸の中が甘い空気で満たされていくのを感じていた。
 数馬は、丘の鞍部にたどりついて、あらためて少年たちを見た。
 何ごとかと訝しがる表情の奥に、奇態な老人に対する興味とおどろきの色が見て取れた。
「やあ、ここまで登ると、気持ちがいいんだねえ」
 荒い息を整えながら、ソフト帽のつばを上に上げた。
 額の汗を手の甲で拭う数馬の顔に、滲み出すような笑みが浮かんだ。
「キミたちは、高校生?」
「あ、はい・・」
 数馬に近い位置の少年が、答えた。
「なにかの練習に来てるのかな」
「バスケです」
 真ん中に坐っている脚の長い子が、数馬の方に顔を向けた。
「ほう、それは楽しいだろうね。ときどき試合なんかもあるんだろうし・・」
 水を向けると、少しずつ打ち解ける気配があって、地区大会で優勝したときの様子などを、口々にしゃべり始めた。
 数馬もまた、剣道の団体戦で勝ち上がっていった時の興奮を、目前のことのように話して聞かせた。「・・しかし、所詮は一対一の闘いだからなあ。キミたちのように、力を合わせて勝ち抜いた喜びとは、ちょっと違うかもしれんで」
「同じだと思います」
 別のひとりが、いたわるように言った。
「ふうん、そうかもなあ」数馬は、思い出を反芻するようにうなずいた。「優勝した時は、監督の先生も大喜びだったろう?」
「はい、さっそく胴上げですよ」
「へえ、うらやましいなあ。剣道には、胴上げなんてないし、もうこの齢じゃそんな経験する機会はないし・・」
 呟きながら、ハタと膝を打つ考えがひらめいた。
「どうだろう、キミたち、わしを胴上げしてみてくれんかね」
 さすがに、少年たちの顔に戸惑いの表情が浮かんだ。
 口に出してしまった数馬の胸を、かすかな不安がよぎった。この一言で、いかれジジイと思われたら、せっかくの友好関係も終焉を迎える。
「いいよ、やってやろうよ」
 五人の中で、あまりしゃべらなかった肉付きのいい少年が、数馬の顔を見つめながら立ち上がった。
「ここでか?」ひとりが訊く。
「いや、頂上の方がいい」肉付きのいい少年が答える。
 すぐに相談がまとまり、五人と数馬は丘の天辺に移動した。
 数馬が甘食に見立てた築山だったが、頂上にはある程度の平坦部があり、そこで奇妙な胴上げが始まろうとしていた。
「おとうさん、早く帰ってきてくださいね」
 病床から追いかけてきた妻の声が、耳元で甦る。
 少年たちの位置が定まったのを見て、数馬は帽子とステッキを離れた場所に置いた。二手に分かれた少年たちに挟まれて、彼はゆっくりと身をゆだねた。
 三人と二人、こんな変則的な胴上げはあまりないだろう。
 故意でなくとも、落とされる危険は付きまとう。
 だが、自分で選んだ以上、少年たちを信頼し、任せるしかない。
(そうだ、わしには孫がいたんだ)
 そう思ったとき、数馬の体は宙に浮いていた。

   (終わり)

 

(2006/02/06より再掲)

 

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2 コメント

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意外な結末 (ウォーク更家)
2022-07-17 14:45:36
体育館の裏の芝草の築山の風景までは、淡々とした老人のペースの展開でしたが、意を決すして築山の傾斜を登り始めたところから物語は急展開しました。

そして、意外な結末は少年達による胴上げでした。
流れとしては、自然な成り行きではありますが、全く予想出来ない結末でした。
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委ねる勇気 (tadaox)
2022-07-17 16:58:54
(ウォーク更家)様、ありがとうございます。
前半の老人のツッパリは、この展開の意外性を導くための伏線でしたので、こちらの意図を読み取っていただき感謝しています。
未知の少年たちに身をゆだねる胴上げは、心理上の障壁を自らかなぐり捨てるもので、これからの生き方の転換点になる行為でした。
『悪童狩り』のタイトルから、もっと暴力的なアクションを期待してくれた方には物足りないかもしれませんが、まだやったことのない心理的などんでん返しを実行できて満足しています。
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