紫蘭
(城跡ほっつき歩記)より
リバー電器の社長は
回転椅子の上でアグラをかき
ぼくを下目づかいに眺めて
ほっほうと笑った
わしはこれから日本橋のデパートへ行き
春蘭の展示会を観てくる
その間に小尾さんから電話があったら
頼んだ抵抗器の納期を確かめておいてくれ
シュンランってなんですか
ぼくが訊くと
社長はひとり愉しむ素振りで
説明のつかない宝物かな、と言った
透き通って凛として
うす緑色の光をうけ
葉も花も見分けが付かないほど密やかで
造物主が人の目から隠そうとする植物なのだ、と
へえーっ、それが春蘭というものですか
ぼくも紫蘭なら知っていますが、と答えると
リバー電器の社長は胡座の足首をつかみ
笑顔もみせずに ほっほうと笑ったのだ
竜王から週の初めにやってくる社長は
トランジスタ・ラジオの抵抗器が専門の商人だ
笛吹川や天竜川の河岸から仕入れてきて
規格外でハネられた製品を零細企業に商うのだ
クズ抵抗器の中から
テスターを使って良いものを選び出し
誤差何パーセントとかに揃えて客に売る
春蘭に血道を上げるのはその商売の反動だろうか
ぼくはシュンランを見る機会を得ずに退職したが
ときどき社長の言葉を思い出し
草むらの露に映るフェアリーの瞬きや
花カマキリの隠微な質感を想像するのだ
何時もご紹介いただき感謝申しあげます。
実は恥ずかしいことにシラン(紫欄)に出会ってから、その名前が分かるまでに何と3年近くの年月を要しております。
野草の春蘭には緑花のほかに白花、黄花があるようですが、シランの場合には大抵はこの紫花の場合が多いようです。
園芸種として寺院や民家の庭先で目にすることも少なくなく、その外見的な鮮やかな花色から人目をひきつけます。
その一方で開花した花弁をよく眺めてみますと、フリル状の模様からはある種の気品が漂ってまいります。
以前は自宅近くのスイミングスクールの花壇にも大量に繁殖していたのですが、施設の老朽化と子ども人口の減少などから先年取り壊されてしまい、その姿を見ることはなくなりました。
初夏のその鮮やかな生命力溢れる花姿からは、かつて子どもたちが通っていた当時の幼い時分のことを思い起こさせてくれたものでした。
一時期よく花壇や道端でシランの花を見かけました。
鮮やかな色と下向きに咲く花の様子を思い出し、なるほどスイミングスクールに出入りする子供たちのイメージにぴったりだと思いました。
今回はシランの画像を載せながら、想像を加味したシュンランの引き立て役にまわってもらいました。
シランには申し訳なく、いずれ別の場所で本来の美しさを復権させたいと考えております。
なお、春蘭の緑花が目裏に残っていて、その神妙なる風情をベースに表現した次第です。
いつも野花に関する知識をあたえていただき、ありがとうございました。