どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

テスト・コースの青春(4)

2009-03-29 10:27:50 | 連載小説



 四月に入って最初の日曜日に、雄太はエッちゃんとデートした。
 約束どおり土浦駅の観光案内所前で待ち合わせをし、バス乗り場から北条大池に向かった。
 桜川堤のサクラもきれいだけれど、ちょっとだけ遠出をしてみないかと行き先変更を提案したのだ。
 北条大池というのは出入りの業者から聞いた桜の名所で、筑波方面へ向かう路線バスの途中、有名なゴルフ場にも隣接する風光明媚な場所にあるとのことだった。
 エッちゃんは、プリント柄のワンピースの上に薄ピンクのスプリングコートを羽織ってやってきた。
 手に提げてきたクリーム色のバスケットには、手づくりの弁当が入っているとのことだった。料理に手間暇かけたらしく、バスに乗ってからも膝の上に載せて大事そうに抱えていた。
 池の周りを散策し、桜の樹の下にビニールシートを敷いて腰を下ろした。
 雄太は、わずかな傾斜を利用して足を投げ出した。真向かいに正座したエッちゃんが、ナフキンを広げてサンドイッチや稲荷寿司を並べはじめた。
「洞口さんは、レンコンが好きなんでしょ?」
 この日は甘酢漬けではなく、チーズのはさみ揚げが用意されていた。
「エッちゃんのつくるものって、ほんとに美味しいね」
 雄太はハムサンドや揚げ物を摘まみながら、眩しそうに女を見た。
 女性にしては丸みに欠ける肩が気にかかった。事情を聴かなくても生い立ちが窺えるような、屈折した輪郭を帯びていた。
 その肩越しに、光を浴びた大池が広がっている。
 青空と対岸の桜が水面に映って、単調な風景を華やかにしていた。
「わたし、継母に育てられたの」
 本名は悦子と教えてくれたエッちゃんが、問わず語りにしゃべりだした。
 彼女を見つめる雄太の目の中に、あるいはそうした問いが含まれていたのかもしれない。
「・・・・中学を出て、すぐに鹿島の活魚料理店に奉公に出されたの」
 古い映画を観るような話で驚かされたが、呑ん兵衛の父親の飲み代を理由に、給金のほとんどを継母に吸い上げられていたらしい。
 父親が死んでいったん玉造町の生家に戻ったが、継母とはそりが合わず、家を飛び出した。多少なりとも遺産相続の問題があり、解決するまで目を離すわけにはいかなかったようだ。
 近くの小川町には自衛隊の百里基地があり、とりあえず地元の小料理屋で働くことになった。
 鹿島のときとはちがって、女将から酒席でのサービスを要求されることがあり、それが負担になって一年余りで辞めた。
 仲立ちする人があり、遺産争いのけりもついた。突っ張っていた心の張りが失われ、エッちゃんは故郷を見切った。
 義母の許からできるだけ遠く離れたい思いで、シャレードに転がり込んだ。幸いママとは遠い縁戚にあたる関係で、料理好きのエッちゃんを受け入れてくれた。先行きに不安はあったが、一生義母といがみ合っていくのは耐えられなかった。
 悦子はカウンターの隅で、黙々と働いた。
 客の目にはホステス見習いと映っていたが、いつまでも素朴さが抜けない女であった。
 客の中には、そんな悦子に関心を示す者もいて、なんとなく好かれる存在になっていたようだ。
 雄太は悦子という女性を目の前に置いて、彼女の語る身の上話の重みに戸惑っていた。
 高校時代に付き合った恋人もそうだった。雄太がたじろぐほど、ありのままの生地を曝け出してくることがあった。
 結果的に恋が成就することはなかったが、原因は雄太が女の生真面目さを受け止めかねたことにあった。
 一年以上付き合って、男として責任を果たせる実力がないことを悟ったことは確かだからだ。
 いつか別れが来るのを意識しながら、そのことを激しく怖れた。
 どこかで破綻が来るのではないか。・・・・雄太の自信のなさが相手にも伝播した。しだいに女の素直さが覆い隠され、行き違いのまま恋の終焉を迎えた。
 苦い経験の中で、思い出すのはひたむきな女の特性だった。
 いま、悦子の話を聴きながら、最後は雄太への不信を隠そうともしなかった恋人のまなざしが甦った。
 恋を失った悲しみの感情が、悦子の身の上に重なるように波となって打ち返してきた。
(なんて無防備なんだろう・・・・)
 悦子を軽んじるわけではないが、あっさりと自分の生い立ちを曝す女に戸惑いを覚えていた。
 信じることにも疑うことにも、あまりに全力すぎはしないか。
 雄太は、再び出会った女性の純粋さに感動するよりも、相手の人生をそっくり預けられるような負担を感じ始めていた。

「エッちゃんが喜んでいたよ」
 赤羽から伝えられたとき、雄太は自分が認められたような悦びを感じる一方、最初の恋の記憶が甦って、そのままはしゃぐ気分にはなれなかった。
 雄太の思いを知らない赤羽は上機嫌で、この日も仕事を理由に雄太を借り出し、内緒で市立病院に送らせた。
 こっそり教えてくれたところによると、淋病治療がその理由だった。
 いまは抗生物質があるから、ときどき検査をすればいいのだとさほど気にしている様子はなかった。
 赤羽が雄太に心を許していることは確かで、雄太もまた赤羽のためならできるだけの便宜を図ろうとした。
「あの女、俺に操を捧げるなんて言ったくせに、土産をよこしやがって・・・・」
 きわどい話をしながら、懲りもせずに笑っている。
 大人の男の格好良さを見せ付けられて、雄太はいっそう赤羽に対する心酔の度を深めるのだった。
 五月に入って、直線走路の舗装が始まっていた。
 繋がりつつあるバンクの外壁はコンクリート、走行部分はアスファルトと、計算に基づく材質の選択がなされているように思われた。
 梅雨明けを待っていたように、外周道路の取り付けも始まった。
 まだ全貌は見えないが、既存の国道や県道から、テスト・コースの施設へと誘導する跨線橋が、林の中に見え隠れしている。
 日々接していても、ジグソウパズルの一片がいつ嵌め込まれたのか、容易には見つけられないほどの大規模工事が、一日中唸りをあげて進行していた。
 雄太は普段コースの南側に位置する仮事務所に詰めていて、大手の建設会社から出向している職員の出動要請に応えているのだが、作業が進捗するにつれ自前の車両を用意する会社が多くなり、しだいに利用者は限られるようになっていた。
 ときどき東京からやってくる神山のお供でテスト・コースの内側に入ってみると、かつてセイタカアワダチソウが視界をさえぎっていた荒野は、表土を剥がされて北端へ向けて道を付けられていた。
 作業用道路の消える先には、古くからの松林が残されている。そのため長円コースの北側バンクに至るには、特殊車両の駐機場まで入り込む必要があった。
「ほう、大分格好がついてきたな」
 神山の言うとおり、ほぼ築堤が済んで、バンクに並行する作業道から乗り出すような形で、アスファルト舗装が試されていた。
 神山の話では、最高時速に合わせた傾斜角部分の舗装には、吊り下げ式ローラーが使われるはずだという。
 走路側からの作業は無理で、専用の作業車を駆使して上部から舗装がなされるようであった。
「ところで、おまえ赤羽の仕事が多いようだな」
 作業日報を点検したのか、疑わしそうな目つきで雄太の顔を見た。
「そういえば、そうですね。このごろは各社とも持込み車が増えてますからね」
 内心ギクリとしたが、表情を変えることなくはぐらかした。
「うかうかしてないで、クルマの稼働率をあげろよ。田代に声を掛けて幅広く利用してもらわないと、肩身が狭くなるからな」
 神山設計事務所の存在意義が薄れることを、ひどく気にしている様子であった。
 南端のバンクを視察したあと、管理棟の地鎮祭に立ち会った。
 大手施工会社の現地事務所や仮事務所、作業員宿舎、出向者員寮など雑多なプレハブ建築物が並ぶ中、これからテスト・コースの本格運営を担う司令塔づくりに着手することは、一歩青写真に近づいた証であった。

 真夏の一日、雄太は田代所長の用事で水戸まで遠出した。
 県庁に出向き、帰り際には土浦の裁判所にも立寄った。ところが、田代所長はいずれの建物からも浮かない顔をして出てきたのだ。
 ときおり黒革の鞄から書類を取り出したりしていたが、雄太が訊く訳にも行かず気詰まりな時間が流れた。
 田代を待っているときは、退屈で飽き飽きした気分に陥っていたが、運転しながら無言の客を乗せている時間も辛いものだった。
(きょうは厄日かも・・・・)
 気分的にそう感じるのだ。
 悦子と寝たことも、身の重さを意識させた。
 つい一週間ほど前のことである。柳田以下、同じようなメンバーを接待した神山の仕事でシャレードを訪れた際、買い物を言い付かって十時ごろ抜け出してきた悦子が、雄太の待機するクルマに乗り込んできた。
「ママが時間をくれたの」
 気を利かしたつもりの女主人のおかげで、思いがけない進展となってしまったのだ。
 そうなれば、行き先はおのずから定まった。桜川堤に腰を下ろして、短い時間デートを愉しもうと思った。
 上から見ると、他にも何組かのアベックがいた。抱擁したまま動かないもの、激しく口づけを繰り返すもの、人目をはばからない男女の行為に触発されないわけはなかった。
「いいわよ」
 ボート小屋の陰に隠れてキスを交わした雄太の手に応えて、悦子は体をよじり草むらに横たわった。
 危険なにおいを感知していたが、自らの運命を試す気持ちもあって悦子の体をまさぐった。
 欲望を解き放った満足はあった。
 すぐに悦子をシャレードに連れ戻さなければとの焦りもあった。
 帰りが遅くなればママはほくそ笑むかもしれないが、神山を初め田代や赤羽にも勘付かれて何を言われるか分からない。
 一瞬の悦びのあとに、支えきれないほどの重みを抱え込みそうな予感がした。
「背中よごれてない?」
 悦子が微笑みながら訊いた。
 女が気にするような姑息な行為をした自分よりも、いつまでも悔やむ自分を許せない気持ちが強まっていた。
(もしかしたら、本当に厄日かも)
 背後にいる田代を意識しながら、すっきりしない身の処し方が感染してしまいそうな惧れを持った。
 雄太の感覚では、互いに重宝しあって続ける彼らの関係に不潔さを感じてしまうのだ。
 好きなら好き、嫌いなら嫌いと判りやすい関係がいい。あるいは、嫌われていると分かっていても突進する無謀さ、恥をかくのが見えていてもアタックする悲惨さのほうがよほど好感が持てる。
 赤羽に憧れる分、田代に対する評価は冷たいものになっている。このところの不如意な気持ちが、おのれを棚にあげた形で田代に向かっていた。
 土埃をあげる県道に入り、松林を抜け、谷田部郊外の離れ小島のような集落を通り過ぎて、雄太は深く息を吐いた。
「おお、もうこんなところか・・・・」
 田代もやっと面をあげて、窓外に目をやった。「一日ご苦労だったね」
 タメ息をついたつもりはないが、田代に気づかれたことは確かだった。
 テスト・コースを包む林の中から、残土を積んだダンプカーが身を揺すりながら出てきた。少し進むとまたもダンプだ。
 いまだに掘削し、敷設する工事が盛んに行われているのだ。
 メイン施設もこれからだし、継続して取り付けているコース外周のフェンスもまだ未完成だ。
 その外側には目隠しのための植木も植えられていく。適度に樹高を揃えた緑樹が運び込まれ、花壇をにぎわすツツジなどの花木も梅雨の期間に根下ろしが済んでいた。
「お疲れ様でした・・・・」
 雄太の挨拶が済むかすまないうちに、建物から飛び出してきた男が田代に興奮した様子で声を掛けた。
「所長、きょうは大変なことがあったんですよ」
 田代の所属する建設会社の現地事務所だから、中から出てきたのは部下と思われた。
「どうしたんだ」
「セスナ機が、いきなりテスト・コースに着陸しようとしたんです」
 誰もがトラブルによる不時着を予想して、顔色を変えたという。
 滑走路に似ているとはいえ、走路幅は比較にならないほど狭い。上手く接地できなければ、テスト・コースに及ぼすダメージは計り知れないものがあった。
「それで、着陸したのか・・・・」
 何かを確かめようとするのか、出迎えた社員の先に立ってずんずんと事務所に入っていく田代の声が途切れ、答える社員の昂ぶった声もドアによって完全に遮断された。


     
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テスト・コースの青春(3) | トップ | テスト・コースの青春(5) »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ついに・・・ (知恵熱おやじ)
2009-03-30 23:28:44

エッちゃんと本当の男と女の関係に踏み出して・・・。
コースにセスナ機が!

ついに物語がダイナミックに動き始めましたね。
これからどう展開していくのかワクワクです。
次回を楽しみにしています。

知恵熱おやじ
返信する

コメントを投稿

連載小説」カテゴリの最新記事