差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

サンバカーニバル

2010年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaa  集団で踊る文化は、阿波踊りや高知のよさこいなど各地の盆踊りのような馴染みのものは観ているが、近頃は変わった催し物が増えている。

 昨日は娘たちのマンションの近くでサンバカーニバル(?)を見学できると言うことで出かけてみた。すざましい伴奏音楽と共に派手な衣装つけて踊りまくっていた。その迫力に圧倒されてしまった。こんなところにも外来種(?)が蔓延るのだろうか。いや、阿波踊りの変種と観ればいいのかな。


物置の整理

2010年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

013 前々から気になっていた物置の整理、休日第一目の仕事とする。普段捨てられないものを雑多に放り込んでしまう悪い癖もあって雑然としていたので大変だった。と言うのは何かには使えるのではというもったいない精神の表れでもある、、、。

 整理を始めると奥の方から30年も前に非常用にと購入した七輪が出てきた。何回使っただろうか。秋刀魚を焼くとき2,3回使ったかな。非常時に使うかも、、、やはり捨てられない。

昔はどの家庭でも(都市ガスのある地域を除いて)石油コンロがない時代は七輪で煮炊きをしていた。炭火をおこしつよく使ったものである。


消えた小川(その2)

2010年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

022 昨年の5月28日に「小川が消えた」を記したが、先月の帰省の折改めて田舎の田畑を観て廻ったがその変わり様に認識を新たにした。新しい田園風景が作られてしまったと言う感じである。

 昔と変わらないのは山ばかりと言いたいところだが、山も植林されたところが増え単一化され、色とりどりの変化を見せる広葉樹が少なくなり景観が変わってしまったところが多い。

 夢に現れる原風景いや美化してしまった心象風景をそこに取り戻すことは、もはやできない、、、生々流転。


朝の挨拶

2010年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

005 俳句の世界でいう季語では、朝顔は秋に入るらしい。我が家のアサガオたちは6月末の頃から咲き出しているので実感と違うように思うが、、。勉強不足かな?

 そのアサガオ今日は一輪しか咲いてくれなかった。一輪であるが故にひときわ目立ち、早朝の出会いに声を掛けたくなった、、、、。明日も頼むよ。


サクラ切るバカ

2010年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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 鬱陶しい日々の合間、今日は「梅雨の晴れ間」という言葉にぴったりの天気である。そこで、前々から気にしていたサクラの木の繁茂の整枝に取り掛かる。

 庭師に依頼すれば簡単なのだろが、楽しむ心で始めた。年々大きくなるので時間がかかり大変だったが、サクラは心なしかすっきりして感謝しているようである。これ勝手な解釈だな。

 サクラ切る馬鹿というが公園の枝垂れサクラは毎年整枝されているので、、、、。


観音竹の花

2010年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaa 昨秋、観音竹の株分けをしたところ、小さいほうの株から先月ごろ妙なものが出てきたので寄生虫でも付いたのかと心配した。実は花芽であるという。長いこと観音竹を楽しんできたが初体験である。写真のように花がびっしり付いた房が大きくなってきたので開花が楽しみである。Pict0001


茄子採り

2010年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgaaaaa 早朝茄子の食べごろと見て大小2本採った。ちょっと早目かなと思ったが、以前もっと大きく成らせようとして硬い茄子にしてしまったことがあったので収穫したのである。早速塩揉みと味噌汁にして食卓に載せる。なかなかなものである。あと何本採れるかな、、、。

茄子採りをしながら何故か小説「野菊の墓」の正夫と民子の茄子畑のシーンを思い出す。もう1度読んでみようか。


七夕

2010年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgaaaa 今日は七夕、残念ながら星空は望めそうにも無い。もっともこのところ、童心の頃と違って星空を愛でるようなロマンを求める生活をしているわけではないので、特にマスコミが言うほど不満があるわけではない。兄弟たちと軒端に笹を立て願い事を書いた短冊をつるしたのは、いつの日か、、。せめて今宵は星になった兄たちのことを偲ぶとしよう。

写真は池に咲いたミニスイレン。