差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

厳冬?

2011年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaaa 酷暑の夏の冬は寒くなると言う通りかどうか定かではないが、今朝はこの冬一番の寒さで池にも氷が張った。 日課の一つである道路掃除も防寒対策がしっかりして済ませる。

 昼過ぎ、田舎でよく見た雪雲が出ていた。明日当たり雪が降らなければいいのだが、、、。


玉川上水

2011年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01086  いつもウオゥキングしているコース時には変えてみようと、今日は玉川上水まで足を延ばしてみた。夏鬱蒼としていた両岸の林すっかり葉を落とし寒風が吹き荒ぶ、そうした中同じような考えであろうか多くの方が歩いていた。今年も健康のため毎日4kmを目標に頑張ろう。

 玉川上水は羽村から新宿まで今から450年ほど前に水道用水のために43キロメートルを露天掘りしたものである。現在は小平水衛所まで利用されている。


名画鑑賞

2011年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 Aaaa 今日はイタリヤ映画「道」をテレビで観た。学生の頃鑑賞した名作である。人の記憶は時が経つとともにその確しさは失われるのが常であるが、歳のせいか嘗て観た名画でも「こんな場面もあったかな」という思いで観ることができる。新たな感動を味わうことが出来るから良しとしよう。

、、それとも感じ方(とらえ方)が変わってきたのかな?     

 それにしても人の業というものは如何ともしがたいものなのかな、、。鑑賞後そんな感想をもった。


新春を祝う会案内

2011年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaa 町内老人会の新春を祝う会を計画し案内状を作成した。新春を迎えた慶びを共有できる楽しい会にしたいものである。本会の仲間は多士済々で「かくし芸」なども見事なものである。今年はその仲間入りをと考え、屋根裏部屋から我が家のストラディヴァリウスを持ち出し五十年ぶりに弾いてみた。が音が出ない。まだ日があるので頑張ろう

 学生時代に求めた我が家のストラディヴァリュウスはよく16銀行(質屋)が好きで留守にすることが多くご主人様の練習を妨げたのである。上手く弾けない原因もそこにある、、。


年賀状№2

2011年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 年賀状の整理をする。現役の頃に比べて三分の一位になったが、中には40年近く会っていない友人とやり取りしているものもある。共に健康に恵まれていることであり、いつまでも続けようと思う。年賀状文化が続いている限り、、、。

 振り返ってみると年賀状作成には手書きから、謄写版刷り、プリントごっこ、パソコンでのと変わって来た。楽になったし写真なども入り内容も豊かになり楽になった。それだけに一行でもいいから手書きが添えてあるとなお嬉しいものである。そう心がけている。

 


年賀状

2011年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaaa_2   年賀状は本来、新年を迎えて書くものだろうが郵便局のご都合で「何日までに投函しなさい」と言われ多くの人が年末に書く仕来りになってしまった。本来から見ればこのところ五月雨式に届く年賀状の方が当然のことなのかな。

 そろそろ年賀状の整理をしよう。

いつも手作りの年賀状を小学生の頃から送ってくれるY子さん。おばあちゃんになったという報の驚く、おめでとう。


ブドウの挿し木

2011年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01036 暮れの晦日に沼田市のブドウ園からブドウの挿し木用の枝を9本届いた。秋に旅した折、美味しいブドウを購入したので土地の広さも考えず自分で育ててみたくなり依頼したものである。

 地中に埋めておき4月になったら掘り起こし挿し木にする予定である。果たして根付くか、鉢植えで実を成らせることが出来るか挑戦である。こんな夢を見るだけで楽しいのである。上手く行ったら友人にも送ってやろうと考えている。


旅の記念樹

2011年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaa 正月も早3日である。明日から勤めか。心新たに頑張ろう。床の間に飾った黒松、外に出して新春の陽光に浴びさせてやろう。

 この黒松は、迦葉山弥勒寺への御参りの帰り旅の記念として求めたものである。その思い出とともに旅の記念品としては貴重な存在である。これからも大切に育てていこう。

 


初詣

2011年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaaaa 正月には初詣しないと落ち着かない。小さいときからそれが慣わしであり、素朴な宗教心の現われであろうか。何時ものことながら決まった処でなくていい。今日は再建中の神社に出かける。近くに粗末な仮宮があり賽銭を上げて祈る。有名な神社仏閣もよし、近くの祠でもよし要は祈る者の心にあるのだから、、。