差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

観桜会

2011年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

_dsc0998 _dsc1003              嫁いだ娘のご家族に神代植物園にての観桜会に招待される。こころのこもったお持て成しを頂き感謝、感謝である。深大寺境内も植物園も観桜客で賑わっていた。そうした方々とも花を愛でる心を共有でき、豊かな気持ちで帰宅した。


ネットオークション

2011年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01386 会に寄贈のレコード活用のためプレイヤーを求めていたところ、息子からネットオークションで求めたとの知らせ、金額にしてはなかなかのものである。

届けてくれたので早速視聴する。レコードはLPでの復刻盤なので昔の蓄音機で聞いているような懐かしさがある。会員の方々に楽しんでもら得ると思う。

 それにしてもネットオークションと言うのは、使い方を誤まらなければの話ではあるが、重宝な仕組みである。しかし、時代遅れの者にとっては手を出しにくいな。


藪にウグイス№2

2011年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

_dsc0930  昨年の4月20日にも書いたが、藪にウグイスと言われるように、例年巣を作っていた集会所近くの篠竹の藪、今年は綺麗に刈り取られてしまった。そのためウグイス夫婦がどこかへ転居。いつも縄張り宣言で近くの我が家まで来て囀りしていたのに、今年は聞けない春になってしまった。わずかばかりの藪、残してほしかったな。今は池のヒキガエルの鳴き声で目を覚ますのだが、やはりウグイスのほうが、、。


編集完了

2011年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 _dsc0888pg 老人会の広報誌、ようやく終了し業者にUSBメモリーステックにコピーし送る。何時もはメールで送るのだが、今回は8Pにもなったので郵便にした。人様の原稿粗相があっては申し訳ない。神経使うものである。今ホッとしているところである。ワードの活用その都度勉強である。覚えと忘れが競争しているが、、。


60燭光の電球

2011年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も市の防災無線で、計画停電の放送をしている。いつまで続くのであろうか。暫くは忍耐の時である。

 停電で思い出すのは、電気メーターなど各戸についてなかった昔の電気の使い方である。そのため決まった電球を使う契約したのである。大抵の家は居間に60燭光の電球を1つ使う契約をしていた。電球が切れると電灯会社と契約した店にその電球を持っていって、何かしかの代金を払って交換してもらうのである。電球がよく切れて行かされたものである。中には誤魔化して100燭光の電球でも使うものなら見回りに来た電灯会社に違約金を取られたという。そのうち二又ソケットが使われるようになり多くの電球を使われるようになった。その後、電灯会社はどう対処したか記憶が定かでない。そんな時代もあったのである。知る人も少なくなったが、、。

  燭光と言う単位は、今では使うのを禁じているらしい。それにしても昔の電球はよく切れたものである。


祈り

2011年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

_dsc0850  八百万の神々を信じ、社では拍手を打ち寺の境内では合掌し、宗教的なまくらに生きている者であるが、自然に対する畏敬の念を強く持ち意識している。この度の惨事、大地讃頌の歌詞ではないが大地に生かされていることの感謝を忘れてはいけないし、祈ることも、そう思うこの頃である。

ヤシオつつじ(五葉つつじともいう)何時の間にか咲きだしていた。

 


新たなスタート

2011年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

1 2  今年度も依頼され迷ったが嘱託を受けることにし新年度のスタートを迎える。

 奉仕できることに感謝し勤めようと心新たにする。

 庭のスイセンたち、厳しいこの災害を知らないように咲き誇っている。やがて咲き競うであろう自然の美しさにも励まされ、大きく立ち向かってくれることを信じよう。頑張れ日本!!。