昨日の「夕涼み会」、第一部は二人の手品師の巧みな技とユーモア溢れる語りに、すっかりその世界に取り込まれる。招聘してよかった。後に謝礼をと準備していたのだが辞退され申し訳ない気持ちとなる、そのアマチュアリズムに感服!!
第二部は、懇談、歌、ビンゴゲームなどで大いに盛り上がる。会を盛り上げる司会のAさん、ニューフェイスながらあっぱれな進行ぶり。我が集いは人材豊富なりを実感する。
さあ、会の盛り上がりを撮った記念の写真、プリントに出かけよう。
昨日の「夕涼み会」、第一部は二人の手品師の巧みな技とユーモア溢れる語りに、すっかりその世界に取り込まれる。招聘してよかった。後に謝礼をと準備していたのだが辞退され申し訳ない気持ちとなる、そのアマチュアリズムに感服!!
第二部は、懇談、歌、ビンゴゲームなどで大いに盛り上がる。会を盛り上げる司会のAさん、ニューフェイスながらあっぱれな進行ぶり。我が集いは人材豊富なりを実感する。
さあ、会の盛り上がりを撮った記念の写真、プリントに出かけよう。
昨日、ブログ製本第7巻(2015年1月1日~12月31日間)息子からのプレゼントで届く。今回は、写真を大きくしたため402頁にもなった。写真が綺麗にプリントされているのでびっくり! アップする写真もこれまで以上に心して撮ろう。
さてさて、今日は集いの「夕涼み会」アトラクションとして手品師2名を招聘している。会員の方々に愉しんでもらえることを期待しよう。
雑草に埋もれていた石灯籠、顔を見せたのでアップする。この石灯籠、この地に家を作るときプレゼントされたものである。一部苔むしてきた。40年の歳月か。
ところで西日本方面は梅雨明けしたという。この地も間もなくか。明日から子供たちにとっては夏休み、あの歓びに充ちたドキドキ感も懐かしい想い出の一つである。この齢にとっても、夏休みを迎えるあの心躍る期待感をどこかで求めたいものである。いや心してそうするべく努力することが大切なことか。
昨日アップしたフヨウの花、今朝は萎えていた。たった一日の命である。きれいな大輪として咲いていたのに美人薄命(?)ということか。その点蘭の仲間は、長持ちするものが多い。風蘭未だ香りを放っている。
水曜日に行う集いの行事「夕涼み会」の準備で、景品買いに百円ショップに出かける。実利的な消耗品を中心に選んだが、そう種類の数の多いこと、、実に重宝だが、これで採算があっているのだろうかと余計なことを心配する。
挿し木で殖やしたフヨウ、今朝大きな花を咲かせていた。蕾がたくさんあるので暫らく愉しめそうだ。
昨日、しばらく顔を見せてなかった息子が来る。とりとめのない会話でも、なぜか心豊かになる。深層心理のなせる業か。
ところで、ネットを初めて10数年になるが、その間不便も感じることなくADSLで済ませてきた。近くこの方式が廃止になるということで光にすることを息子に頼むことにした。少しでも安価な方式で、、、。ついでにブログ第7巻の発刊も頼む(例年プレゼントしくれるので)。
ギボウシの仲間は、百種以上あるそうだが、オオバギボウシに続いてコバノギボウシも咲き始めた。こちらは紫色でも濃く花も小ぶりである。ミニギボウシは今年も咲きそうにない。
ところで今日から三連休とか。馴染にない海の日が日曜日に続いたためという。そうはいっても毎日サンデーの身には、あまり関係ないことである。それにしてもあっちについたりこっちについたりとふらふらと定まらない祝日、いったい何日あるのか。
国民の祝日の重みがなくなったように思うのは、、、。
わが家の庭の土に合ったのかアカカノコユリあちこちに殖えてきた。その中の一輪、今朝咲いてくれたのでアップする。一本で5つも蕾をつけているのでそのうち賑やかになるだろう。
ところで一昨日、突然皇位継承のニュースが流れびっくりする。しかもマスコミは横並びの報道ぶり、まるで戦前の大本営並みの報道のようである。今問題になっている堕落したマスコミの姿をみせられたようだ。
私ども世代は、天皇陛下に特別の想いがある。勝手な忖度などしてほしくない。しかも、なぜこのタイミングで流したのか。流れたのか、、、。そんなことを報道するマスコミが、ネットで見る限り1社もないことが恐ろしい。
昨日の続きの話、4年前に蒔いた2か所の山百合、日差しの強いほうの苗は早々と枯れ始めた。球根の育ち具合いを調べるために掘り起こしてみた。その成長差アップ絵でもわかるようにその違いにびっくり。米粒並みののんびり屋さんから、鱗片4,5枚もある大きなものもある。何が原因なのだろうか。
一方、半日陰の場所に蒔いたものは葉がまだ青々としている。成長や如何に?。枯れたら掘って比べてみよう。
こんなに咲くまで時間がかかる野山のユリ、ますます愛おしくなる。
都立狭山公園では、自生の山百合が咲きだしいい香りを放つようになった。大きな花は、当にユリの王様にふさわしい風格がある。
わが庭にも何回か球根を植えてみたが、数年で絶えてしまう。そこで4年前、帰省した折に採取した山百合の種を蒔いて育てているが、あと何年待つことになるのだろう。アップした写真の右隅に貼り付けたのが、その苗である。まだまだ待たねばならないようである。
盆花として野山を駆け巡って採った懐かしい花、湿地を好むミソハギ、鉢に植えて池にとっぷりとつけて育てている。その花が4,5日前から咲きだした。
この花を見ると、田舎でお盆が近づくと仏壇を飾る草花の採集は、子供たちの役目、朋を誘ってよく出かけた光景を想い出す。これ以前にも記したような気がするが、、、。
さてさて、暑気払いの季節、今朝もメールや電話でお誘いあり。有難いことである。明日への糧となる宴は大いに結構!!