さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

田老の津波の高さ 3

2015年09月14日 | 東北シリーズ



田老の語り部の青年は、説明をしながら車で移動し、町の主だったところを見せて
くれました。町は一面なくなっているので、見渡せるところをぐるっと回ったのです。

港の奥にある製氷貯氷施設が見えています。建物の右のほうに、黄色い印がご覧に
なれますでしょうか。建物の中ほど、一番下のが1933年の昭和三陸地震のときで
10m、下から2番目、窓の下にあるのが1986年の明治三陸地震のときで15m。
そして一番上の、屋根に届いているのが今回の東日本大震災で、17mを超えて
います。



こんなになっても、よく建っていましたね~。



裏山の斜面に白い看板が壊れているでしょう?昭和と明治の津波の高さを示す看板が
今回の津波でひん曲がりましたが、まだそのままになっているのです。



手前、港には水産業の工場が建てられていました。



こういうところを見て回り、津波の凄まじさを実感したのでした。

ひとりだというのに、語り部の方に運転して案内してもらいました。予約をするときに、
「市の復興のために協力金を4000円おねがいしております」と言われて承知して
おりました。しかし最後に駅まで送ってもらい、あちらから「ありがとうございました」
と言われてお別れになりそうになり、一旦車を降りてから「協力金をお渡しする
タイミングがいつかな、と思っておりまして…」と申し出たのです。
すると語り部の方は車まで戻って、準備してあった「さきち・様」と私の名前が書かれた
領収書を持ってきてくれたのです。こちらから言わないと、そのままになっちゃい
そうな奥ゆかしい人だったのだなあーw



頂いたパンフレットに載っていた震災後の様子です。左下の①が駅。中央上の⑦が
たろう観光ホテルで、右上の方に製氷施設が写っています。左の赤線、第一防潮堤に
囲まれたエリアにはいくらか建物が残っていますが、浸水してめちゃめちゃなので、
いまは更地になっています。前回の画像のいくつかは、3つの防潮堤が交わる
中央の×の場所から撮ったものです。



しばらく電車を待って、三陸北リアス線で宮古に戻ります。この三陸鉄道は震災直後に
大変な思いをして復旧しています。住民のために、一週間は無料開放で動かしたとか。



ここ田老は、トンネルを抜けてこの駅に入ってきます。三陸鉄道の人たちは、
あまりにも変わり果てた町の姿に絶句したそうです。。。