右の銅像は、芭蕉です。「おくのほそ道」で旅している途中、芭蕉は友人の鈴木清風を
訪ねて、ここ尾花沢に10泊ほど滞在したとか。私は銀山温泉からの帰り道、ここ
尾花沢に寄ったわけですが、この資料館を見つけたのです。
「おくのほそ道」ゆかりだといって記念館だの資料館だのを作っていたら、そりゃ
あちこちいくらでも出来てしまいますなぁ^^; ま、でも、「おくのほそ道」の
全行程で、出羽国は約4分の1。そのなかで10泊の滞在は、一番長いそうです(^益^;
というわけで、許してやろうじゃないか。町おこし町おこし。
さてこの資料館は、地元の金持ち商人のお屋敷を使っているそうです。
ところで鈴木清風って知らなかったんだけど…。そのお方は、ここ尾花沢出身の
商人。金融業、つまり金貸しでお金持ちになった人だそうです。
仕事でよく江戸や京都に行っていたそうで、そこで芭蕉と出会ったとか。芭蕉は
彼のことを、「金持ちだけど卑しい奴ではない」と言ったそうで。風流を愛し、
俳諧の本などを出していたから芭蕉と交流が始まったそうなのです。
尾花沢の特産品に、「紅花」があります。清風はこれをたくさん江戸に持ってきて
ひともうけしようとしました。すると江戸の商人たちが結託して、それをみんなで
買わないように申し合わせたのです。
清風は「売れないなら」と、それを全部燃やしました。そうなると紅花は品薄になり、
値段が一気に上がってしまいました。江戸商人たちは紅花の買い漁りを始めたのです。
実は清風の燃やしたのはカンナ屑で、値上がった紅花を売りさばいて大儲けしたとか。
清風は、莫大な利益をためこんだのではなく、遊郭を3日3晩貸し切りにして、遊女
たちを休ませるためにその金を使ったという伝説が残っているのです。
…さてこれが「美談」か?
「遊郭」というのもひとつの「文化」と考えられているところがあります。独特の
作法や美学があったり、遊び方が「粋」と言われたりもしますしね。しかし、実際には
子供のような年頃の女の子が売られてきて、逃げられなくされてほとんど強姦されて
いたというのが暗い現実です。
大金持ちの清風さん、おそらくは遊郭で遊んで、その惨状を知って憐れんだのでしょう。
男の視線からは「やるねえ」と言われるかもしれませんが、女の視線からはあまり
美談にはならないでしょうなあ。どうせなら、そのお金を使って遊郭という名の
「人身売買監禁強姦システム」をなんとかしようと思わないのか?と言われそう。
そりゃ~難しいよね。その撲滅運動は、明治になって外国人宣教師などが体をはって
闘うまで起こらなかったのです。
それで思い出したのが、以前に見たイタリア映画の「国境は燃えている」だ。
ストーリーは、第二次大戦時のギリシャ。イタリア人の若い将校が、ギリシャ女を
慰安婦としてまとめて雇い、バスに乗せて戦場に配って回るという話だ。女たちは
飢えていたり家族のためだったり、やむを得ずに「強制ではなく」連れて行かれる。
道中では女が病気にかかったり、戦闘に巻き込まれて惨殺されたりするのであるが、
印象に残ったのが、若い女の子が戦地に到着して兵士たちが群がってきたときだ。
相手は憎き敵国の野獣のような兵士たち。覚悟をしていたとはいえ、無差別な輪姦を
目の前にしたときに、哀れな娘は怖じ気づき、自分を連れてきた若い将校に「私を
買って!」と叫ぶのである。
…そう懇願されたらどうする?
自分が買って、その時間だけ救ってやるか?ほとんど一瞬ですよ。清風の「3日
3晩」ですよ。見捨てるのもつらいですが、そのときだけ手を差し伸べても救いには
なりません。きっと落ち込むだけでしょう。それでヤったら地獄の業火だな(^益^;
映画では、若い野蛮な兵士たちが先を争って騒いでいるときに、化け物のような
おっそろしいジイサンの将校が無言で慰安婦の手をつかみ、自分の部屋に連れて
ゆくのでした。
尾花沢から作並へ戻る道中、「道の駅」に立ち寄りました。週末だというのに、
ガラガラでした。田舎ですからそんなものでしょう。
右に見えているチューブは、反対車線の駐車場から車道を横切ってくるための
歩道橋です。この真ん中の部分、なんと暖房がきいていました。そりゃ雪国だから
寒いのはわかっていますが、いくらなんでも歩道橋の上に暖房いれなくても
いいと思うけどなぁ~。変なサービスw