さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

何が必要欠くことのできないかは人によって違うからな

2020年06月15日 | らくがき

 いつも深夜に聞いているジェット・ストリームで、機長の福山雅治が「エッセンシャル・ワーカーのみなさん、ありがとうございます」と語ります。エッセンシャル・ワーカー(essential worker)は、英国ではキー・ワーカー(Key worker)と言われることが多いようです。人間が生きていく上で「欠くことのできない」、「必須の」、つまり「鍵」、「要所」となる仕事をする人たちのことです。

 新型コロナが広がっているときでも働き続けなければならない仕事の方々というわけで、このたび注目を集めました。介護職、保育士、葬儀関係者、食べ物を運ぶトラックの運転手やゴミ収集に携わる人たちなどで、その仕事の大事さとは比例せず、一般的に収入は低い。

 エッセンシャル・ワーカーの反対の意味になりますが、ブルシット・ジョブ(bullshit job)という言葉があります。「牛のクソ(=まさにクソみたいな)仕事」とは、私が20代のときに働いた職場を思い出します。どうでもいいことの許可を得るために、書類にハンコを6~8個ももらわなければならないことがありました。それも部署の違う上司に、下から順番にもらっていかなければならないものでした(その「偉さ」の順番を示す儀式が大事なの)。さらに私の直属の上司は、さらにその上の上司に「よくやっている」と見てもらうために、会議を延々と引き延ばしていました(時間が長いほど立派だと!)。そんなことやってても、給料が出ることがむなしい。

  ちなみにクソ度が高いほど収入が高くなったりするものです。電力会社で言えば、24時間体制で働いている現場の技術者よりも、原発の利権を確保するために議員たちにすり寄っている連中の収入はきっとずっと高い。放射能汚染のデータを現場で調べて資料を作っている人たちよりも、それを東京のオフィスでチェックして、隠ぺいする決定をしたり書き換えを指示したりする連中のほうがずっと高給取りでしょう。で威張ってるクソ。

 さて何が「エッセンシャル」か。自分のしている仕事が「エッセンシャル」か?と顧みるような謙虚な人は、おそらく「たいして重要じゃないかもな」と思う人が多いでしょう(クソは威張ってたり自己満足に浸っていたり、自分がクソだとは思いもよらないことが多い)。だって人間が生きていく上で欠くことのできない「衣食住」だって、次々とモデルチェンジして流行を追った衣服の販売をしたり、凝った食材を輸入したり味にこだわった料理を作ったり、手間のかかった設備や装飾を施した住宅などを作る仕事は、「なくたって困らないよ」と思うものばかり。

 そもそも人間の生活を豊かにしたあふれかえるモノは、必要欠くことのできないものとはいいにくい。それは資本主義経済が生み出した、あえていえば「無駄」なものばかりで、それをほしいと思う欲望をかきたてることが経済を回す(人を豊かにする)動力なのです。なくてもいいかもしれないが、なかったら刑務所のなかで脳死したような生活になってしまいます。

 それは「文化」と直結している。製作にものすごく手間のかかるレース、絨毯、天才的な職人が長年の訓練によって生み出す工芸品、時と場所を越えて人々に感動をもたらす絵画、彫刻、文学作品。ひと口飲めば「生きててよかった」と思わせるような美酒。これらって、「エッセンシャル」?

 そうでしょう。何がエッセンシャルかは人によって違いますが、私は電気がなくなっても本のある世界にいたいし、肉が食えなくなっても酒をとります。19時ラストオーダーで20時閉店を強いられていた居酒屋のおやじが、「居酒屋がなくなっても人は生きていけるからな」とつぶやいたとき、「そうじゃないでしょう。居酒屋がなくなったら生きていけないくらいの人がいるんですよ」と反論したのでした。



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