四万十からバスで南下して土佐清水へ向かいます。
四万十川は河口に近づくと広い広い。
いよいよ四国の南端に近づきます。
下ノ加江川。
土佐清水の清水プラザバルバス停前。前回はここで乗り換えて足摺岬へ行きました。
今回はここからすぐのジョン万次郎資料館に行くのが目的です。今宵はここに宿を
とることになっていますが、本数の少ないバスが10分後に出るので、荷物を預ける
暇もなく資料館に向かいます。
2時間に1本しかないバスに乗って資料館前に到着しました。たしか7分くらい
だったか。でも歩くと30分では着かない。天気が良ければそのくらい歩いちゃうん
ですが、荷物を持ってるからなあ。日差しも強くて30度近くあるぞこりゃ。
屋根と椅子があるバス停で人もいないので(そりゃ~2時間に1本のバスがいま
行っちゃったんだからなあ)、ここで昼食。
何せ土佐清水ではバスの待ち合わせが10分。ここには食堂なんてな~んにもないから、
朝バスに乗る前におにぎりを1個買っておいたのです。イカ唐揚げキムチ入りだって。
そしてジョン万次郎資料館にやってきました。手前の広場には立派な像がある。
万次郎の生涯が簡単に書かれていました。私は万次郎の生涯に関心があって、伝記
などを読んでいます。中濱家の子孫は代々、万次郎の伝記をかくのが使命になって
いるようで、私の書棚には中濱東一郎、明、博、武彦さんと4代に渡って執筆された
伝記が並んでいます。それぞれあとでわかった新事実が書かれていたり、万次郎が
住んでいたアメリカ東海岸の町を訪ねて万次郎を知っていた人たちに会った報告
などがあったりして代々興味深く読ませてもらいました。
それと山本一力が小説仕立てにした「ジョン・マン」も楽しく読んでいるのですが、
そっちは途中で止まってるぞ! 一力さん、困るんですけど!!!
それにしてもこの銅像はなかなか立派だぞ。一番先頭にいるのはもちろん万次郎。
それと船の仲間たち4人。この5人はこのあたりから漁に出て、嵐に遭って漂流し、
黒潮に乗って小笠原諸島の小さな無人島に漂着したところから大冒険が始まるのです。
字も読めなかった万次郎が船乗り見習いとして海に出たのがまだ14歳。無人島で
数ヵ月生き延びたところでアメリカの捕鯨船に救出され、ハワイに行き、その船長に
誘われてアメリカ東海岸の自宅に住まわせてもらい、学校に行き、船乗りの学校を
優秀な成績で卒業し、捕鯨船に乗り、一等航海士にまでなります。
23歳でゴールドラッシュのカリフォルニアに行って見事に金を掘り当て、帰国の
資金を得ます。そして24歳で日本に帰国するわけですが、厳しい鎖国政策だった
もんだからなかなか苦労する。しかしなんとか許されて25歳で故郷のおっ母さんと
涙の再会♪
その後開国をせまるペリーがやってきたもんだから、幕府に呼ばれて通訳として活躍。
あちこちで英語を教えたり航海術を教えたり忙しい日々を送り、33歳のときには
咸臨丸に乗って勝海舟らと一緒に日米修好通商条約調印のための派遣に参加。
まさに波乱と感動の生涯なのです。とてもこんなダイジェストでは語りきれません。
さあて資料館には何が展示されているのだろう?
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