
もっと近くで見ようと裏手に回ると、同じように時代を越えてきた学生アパート「信和荘」が、既に住民もなく静かに銭湯の煙突が壊されるのを見守っているようでした。アパートの赤茶けた壁のひび割れと銭湯の煤けた煙突を、懐かしく想って下さる方達も多いのではないかと思い写真を撮りました。
千里山の浴場については「千里山70年のあゆみ」の中に、「住宅会社の方針で、風呂は各戸にはなく(燃料が石炭・薪であったため、街が煙る理由)皆が浴場に通いました。‥‥‥いろんな偉い人とでも一緒に入り、裸のつき合いで街の社交場のようでした。」とあります。
家庭風呂の普及により、昭和63年に千里山共同浴場は幕を閉じ、僕が千里山に住み始めた頃には、もう千里山の銭湯は一軒も無くなっていましたが、住宅や街並みの美観のために住民が一致協力して共同浴場のシステムを利用したというのは、時代の価値観の違いはありますが、最近の「まちづくり作法集」の精神と通じるものを感じます。