
イギリスの田園都市レッチワースをモデルにして、東京の田園調布などと同じ時期に開発されたことから、当初は自然環境も豊かな中に、モダンで瀟洒な住宅が建ち並んでいたと言われています。又ちょうど関東大震災という未曾有の災害があり、本社機能を大阪に移す企業の転勤組も多く、千里山の住民の間では関西弁と標準語が入り交じり、生活文化も高く醸成されていたものと思われます。
その頃の住宅も多くは建て変わり、多様なテイストの家々がモザイクのように並ぶ街並みになってしまいました。しかし、ガーデンや木立・生け垣などを見て歩くと、生活にセンス良く馴染んだガーデンに出会う事もまだ多く、レッチワースをモデルとしたという千里山の街の伝統を今に見る思いがします。千里山.NETではそういった千里山の素敵な雰囲気の住宅やガーデンを、少しずつ紹介させて頂きたいと思っています。
・薔薇の蔓がからまるストーブの煙突が陽光に映えて。