今日はお昼前に奈良県の会社を訪ねるために、JR志都美駅で快速電車を降り、予定より少し早く着いたので、その小さな駅舎で時間調整をしました。
周辺は西名阪自動車道も通っていてかなり開けてきている地域ですが、その駅舎には切符の自販機や自動改札ゲート以外は、懐かしさの漂う昔ながらの風景が広がっています。駅舎内に居ても明け方の雨上がり後の蒸し暑さに変わりがなく、駅前の露地のロータリーに出てみると、その側に立派な顕彰碑が立っているのに気が付きました。
読んでみると昭和30年末に志都美駅が竣工するに至る、当時の志都美村村長や村議会議長などの陳情・折衝の困難と尽力の様子が述べられています。地域発展の礎を築いた先人への感謝の気持ちに溢れた文章に、大正時代に我が千里山のまちづくりに中心的な働きをされた大阪住宅経営株式会社の顕彰碑の文を想い出しました。おそらくその時代から余り変わっていないだろうと想われる駅舎の佇まいは、初夏の強い日差しの下で時々訪れる女学生やお年寄りの姿を何か物語めいて感じさせます。これからまた何度も訪れそうな予感のする駅風景でした。
※ 駅舎の近くで「着物病院」の面白い看板を見つけました。テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に応募してみました。
周辺は西名阪自動車道も通っていてかなり開けてきている地域ですが、その駅舎には切符の自販機や自動改札ゲート以外は、懐かしさの漂う昔ながらの風景が広がっています。駅舎内に居ても明け方の雨上がり後の蒸し暑さに変わりがなく、駅前の露地のロータリーに出てみると、その側に立派な顕彰碑が立っているのに気が付きました。
読んでみると昭和30年末に志都美駅が竣工するに至る、当時の志都美村村長や村議会議長などの陳情・折衝の困難と尽力の様子が述べられています。地域発展の礎を築いた先人への感謝の気持ちに溢れた文章に、大正時代に我が千里山のまちづくりに中心的な働きをされた大阪住宅経営株式会社の顕彰碑の文を想い出しました。おそらくその時代から余り変わっていないだろうと想われる駅舎の佇まいは、初夏の強い日差しの下で時々訪れる女学生やお年寄りの姿を何か物語めいて感じさせます。これからまた何度も訪れそうな予感のする駅風景でした。
※ 駅舎の近くで「着物病院」の面白い看板を見つけました。テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に応募してみました。