千里山ブラウズ

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千里山会誌を贈って頂きました

2011-09-18 00:01:16 | 千里山人(ちさとのやまひと)

 今年も東京の千里山会事務局から会誌『千里山』14号を贈呈して頂きました。有り難うございます! 地域情報サイト「千里山.NET」を始めて直ぐに千里山会ホームページで紹介して頂くなど、その後も会友として温かい交流をさせて頂いております。編集作業が大変な中を今年も立派に170ページ程の“あつい”想いの込められた会誌が作られました。
 冒頭の新世話人代表となられた寺澤美代子さんの挨拶の言葉、そして「千里山会40年に想う」という柿崎真吾さんの随想などに、歴史を感じる会の重みと千里山人の絆の素晴らしさを感じます。また想い出や雑感、芸術や写真そして人生・社会論など、多くの原稿が寄せられて何時もながら読み応えがあります。
 そんな中で僕が楽しみにして真っ先に開けるのが田代しんたろうさんの漫画です。昭和30年代の千里山での暮らしが少年の目や体験を通して、ちょっと切なくそしてユーモラスに描かれています。掲載の『鶏糞の香りの中で』は自宅に鶏小屋のある当時の生活風景を共感しつつ楽しめました。
 というのは、僕の徳島県美波町の実家では子供の頃に父親が鶏卵業を始め、僕ら子供達も学校から帰ると餌やりなどの手伝いをしたもので、牡蠣の殻を砕いて与えたり大根の葉っぱを刻んでフスマの餌に混ぜたりしました。また卵を余り産まなくなった廃鶏を絞めて捌き、その肉を街で売ったり時に家ですき焼きにして良く食べました。僕はかなり長じるまですき焼きと言えば「鶏すき」だと想っていたくらいです。漫画の中では産まれる前の卵のことが出ていますが、僕は鶏の皮や砂摺りが大好物だったことや家族で賑やかに鍋を囲んだ想い出が甦りました。昔ながらの自然の餌を食べさせた鶏肉は、今想い返せばどの部位も美味この上ないものでした。
 『千里山』の編集後記にも書かれていますが、僕も楽しみにしていた2つの連載「千里山線を駆けた電車」「千里山時代の遊び」が今号で終了するのは残念です。しかしまた次年度には新たなコーナーなども企画されているようです。今から期待しながらこれから始まる秋の夜長にゆっくり読ませて頂こうと想っています。

※ ちさと図書館にも各号が揃って贈呈されていると想いますので、そちらに行かれた時はぜひ探してご覧頂ければと想います。