夏空、流れ星 小畠 功
二十代最後の真夏、僕は軽い呼吸器系の病気で、それでも数ケ月
間の入院を余儀なくされており、大抵の時間つぶしは試みてしまっ
て、退屈しきった毎日を送っていた。
東京の勤務先の定期検珍で、前触れもなく呼吸器に“薄曇り”を発
見されてしまったわけで、苦しくも痛くもなんら自覚症状はなく、
ただ理不尽に自由を奪われている憂鬱を感じるばかりだった。初め
の頃は不安もあり模範的な患者であったが、病室の様子がわかり始
めたこの頃は、看護婦の目を盗んでは本屋や食料の買い出しから、
喫茶店そして近くの山林を探検したりと、小さな反乱を繰り返すよ
うになっていた。じっとベッドで休んでいる事になにか苛立ち、か
といってしなくてはならない大切な目標があるわけでもなかった。
日常の慌ただしさの中で怠り、ずっと避け続けてきた終わりのない
問いに直面し、未熟な青春を持て余しているのだった。
夜十時の消灯と同時に病室のエアコンが切れ、連日の猛暑に昼夜
の生活感覚が逆転してしまっていた僕は、最終の点呼を済ますと看
護婦に隠れてよく屋上に出た。屋上には夏の太陽の余熱があったが、
カモメが迷い来るほどに近くの砂浜から、心地よい微風が吹いてく
るのを僕は知っていた。海に向かう南側の鉄柵に凭れると、遠くに
美しく市街の明かりを望めたが、その夜はもう先客がいた。すでに
十数年も入院していて、ベッド廻りのテレビの横に、大きな熱帯魚
の水槽を飼っている中年の元教師だった。熱帯魚を飼うことが許さ
れるのは、それだけ彼にとって病院が棲家になってしまっている事
を感じさせ、いつも僕を気重く不安にさせた。
しかたなく逆方向に歩いていくと、ふとボイラー室の小さな屋根
が目にとまった。ちょうど上れる高さで、他の人に気付かれないで
独り、海風が僕の物想いを静かに撫でていってくれそうに感じた。
仰向けに寝転がると、沈鬱な下界が一瞬にして消え去り、目の前
には満天の星空が広がった。立って夜空を見上げるのとは違い、身
体と心がゆったりと緊張を溶き、自分自身の輪郭が流れ始めるのを
感じていた。しばらくすると星が視界を横切った。久しぶりにと思
った瞬間、今度は長い尾を引いた。二、三分毎に次々と現れ消えて
いく。流れ星はなかなか見られないものと信じていたが、これなら
いくらでも願い事をかなえられるな、と詰まらないことを考えたが、
その頃の僕にはそのような甘く感傷的な願い事など見つかるはずも
無かった‥‥‥。
それから五年後の真夏、僕は徳島へ向かう夜行のカーフェリーの
甲板にいた。お盆休みに故郷の家族に紹介したい人を連れて行こう
としていたのだった。船内は例年通り、帰省客と阿波踊りの観光の
人々でごった返していた。僕達は腰を下ろせる場所を求めてさまよ
いつつ、ほの暗さの中に白い波頭がはねるのを眺めながら、上部デ
ッキヘとたどり着いたのだった。
膝立て座りで腰を下ろし、殺風景な甲板を見渡していると、次第
に暗さに目が慣れてきて、数人の姿が浮かんで見えた。その中の影
がひとつ近づいて来た。見ると少し派手めの、馴れなれしいがどこ
か憎めない二十代半ばの女性だった。
ひとりで実家に帰るところで、長い船旅に寂しい思いをしている
と言った。彼女はひとりで話し、笑い、ため息をつき、東京でいか
に歯医者の亭主に愛されているかを証拠立て、時々僕達がお似合い
であると持ち上げた。
僕は会話の方は二人にまかせて、先程から夜空の一角が気になっ
ていた。あの時の流れ星だと直感した。こんな深夜の海上で再び会
えるとは思ってもいなかったので、何だか運命的な感慨にも浸りな
がら指で二人に差し示すと、すぐに分かったようで、しばらくは無
言で見入っていたが、女性は急にしんみりとした口調になって、実
は歯医者の亭主が看護助手と深い関係になって子供までできてしま
い、未練やごたごたの末にようやく別れる決心をして、自分が自立
できるまで、実家の両親に子供たちを預かってもらう積もりで帰っ
ているのだと話し始めた。
やがてフェリーは徳島港に着岸し、彼女は父親らしい初老の男の
運転する車に迎えられ、僕達は便乗してはどうかという誘いを鄭重
に断わると、乗換えのために始発列車の待つ、少し離れたJR駅ヘと
タクシーを走らせた‥‥‥。
そして2006年の真夏、僕は十年程前から始めた星空ウォッチン
グによって、それが有名なペルセウス座流星群で、スイフト・タッ
トル彗星のまき散らしていったガスや氷の粒子の中を、地球が通り
過ぎるという、人々の想像を美しく刺激する天体ショーであり、又
偶然でもなく毎年見られる現象であり、しかも僕の見たそれらは小
さいが、いわゆる流星雨とも呼べるものらしいということを知って
いる。しかしその後は夏の夜に何を思い、どのような事をして空を
見上げていたのかは余り思い出せない。今でも僕の記憶の中ではそ
の二夜の空の光景が、その時の自分自身や出会った人達の表情と共
に、鮮明に甦って来るのだ。
さて、天文雑誌の情報などでは、この八月の流星群出現の極大時
(8月13日未明)には月が出ており、空の暗さはあまり期待できない
としている。いったい今年の夏空は、僕にどのような流れ星の記憶
を映していってくれるのだろうか。
(c) 2006, Skyfull Stars
【追記】ペルセウス座流星群については、
こちらのサイトで詳しく
解説されています。