千里山ブラウズ

SENRIYAMA BROWSE 千里山の商店街や街並みを散策しながら、素敵な人やお店そして風景と出会えれば‥‥

グーグルの無料サービス

2006-08-17 00:26:55 | 千里山.NET
検索エンジングーグルの様々な無料WEBサービスが大きな話題となっています。アクセス数やリンク紹介のデータなどを基に、「ページランク」という独自のサイト評価基準を適用して、より精度の高いホームページ検索を提供することで、ヤフーを始めとする多くの既存競合サービスを一気に抜き去り、2006年1月現在の時価総額でも15兆6千億円でマイクロソフトに次ぐIT業界2位の超有望企業となっています。
グーグルは今や単なる検索エンジンというフレームから飛び出し、多様な情報サービスを用意しつつあります。
既に広告の分野では、スポンサーサイトを検索キーワードと連動して表示する「アドワース」、個人ホームページやブログの文章に対応して広告リンクを表示する「アドセンス」の2つが費用対効果の高いサービスとして定着しています。
又、生活情報サービスとしても、多くのニュースサイトのセレクト版としての「グーグルニュース」の利用や、地域密着情報との連携が今後楽しみな「グーグルマップ」など、活用度の高いサービスが浸透し始めています。今後「グーグルアース」「グーグルカレンダー」「グーグルグループ」など、いわゆるWEB2.0エイジ的サービスの日本版ローカライズが進めば、よりグーグルのシェア拡大が予想されます。
今後は千里山.NETでもグーグルの各種サービスをサイトの中に組み入れていくことも検討しています。「グーグルマップ」を利用してより広いエリアの(関大前や円山町、佐井寺方面なども含めて)情報を発信していくことや、「グーグルカレンダー」をイベント情報告知に活用することなどが考えられます。今回その手始めに「千里山」「吹田」「千里山関連ニュース」などの検索ページをブログ掲示板に追加しました。
ちなみに2006年8月16日現在、「千里山情報」や「千里山得々情報」のキーワード検索では、「千里山ブラウズ」の「得々情報掲示板」が上位表示されますので、お店や事業所のアピールにぜひご活用お願いします。

500円でわかるグーグル―驚きの無料サービス徹底紹介!

学研

このアイテムの詳細を見る


【追加-2006/9/8】グーグルより検索ページへのリンクは契約許可が必要であるという連絡を頂きましたので、千里山.NETからグーグル関連のリンクを全て取りやめました。

イングリッシュ・ガーデン

2006-08-16 00:13:24 | 千里山ウォーカー
千里山の街の始まりは約80年ほど前に、世界的な傾向であった都市への人口集中による住宅不足から、郊外型のガーデンシティーとして千里丘陵で宅地開発が行われたことにあります。
イギリスの田園都市レッチワースをモデルにして、東京の田園調布などと同じ時期に開発されたことから、当初は自然環境も豊かな中に、モダンで瀟洒な住宅が建ち並んでいたと言われています。又ちょうど関東大震災という未曾有の災害があり、本社機能を大阪に移す企業の転勤組も多く、千里山の住民の間では関西弁と標準語が入り交じり、生活文化も高く醸成されていたものと思われます。
その頃の住宅も多くは建て変わり、多様なテイストの家々がモザイクのように並ぶ街並みになってしまいました。しかし、ガーデンや木立・生け垣などを見て歩くと、生活にセンス良く馴染んだガーデンに出会う事もまだ多く、レッチワースをモデルとしたという千里山の街の伝統を今に見る思いがします。千里山.NETではそういった千里山の素敵な雰囲気の住宅やガーデンを、少しずつ紹介させて頂きたいと思っています。

・薔薇の蔓がからまるストーブの煙突が陽光に映えて。

水音のイマージュ

2006-08-15 01:44:54 | 千里山人(ちさとのやまひと)
1937年大阪府豊中市生まれで、動く立体造形を手がける現代アーティスト新宮晋さんは、千里山に縁りのある方という訳ではありませんが、メイシアターで「ウィンドキャラバン報告会」が開かれるなど、吹田にはとてもご縁のある方で、現在も精力的にワールドワイドな活躍をされています。風や水などの自然を動力にした作品を次々に発表し、「空気の専門家」「風のアーティスト」として注目を集めておられ、2002年には紫綬褒章にも輝きました。
さて、千里山駅周辺開発に伴い駅前広場や駐車場、コミュニティースペースや情報ビジョンそして商業エリアなど、今後多様なまちづくり機能・要素が検討されていくことと想いますが、千里山西に噴水があるように、駅の東側にも新しい水音が聞こえるという文脈があって欲しいと思います。
その水音がこれからの千里山をイメージさせるアートであるなら、新宮さんの他は考えられないと思うのですが、皆さんこの案はどうでしょうか。

Wの歩道

2006-08-14 00:10:12 | 千里山ウォーカー
千里山・佐井寺図書館へ向かう途中のローソン前の歩道を通っていると、千二小学校の生徒が友達と連れだって、また自転車に乗って楽しそうに追い抜いて行くのですが、その時歩道ではなく一段上がった植え込みの基礎の部分を利用するのを、誰もが見たことがあると思います。でも子供達の真似をしてその脇道を歩いた人は少ないのではないでしょうか。
お奨めします、一度歩いてみて下さい。すごく新鮮な感覚が甦ってくると思います。
一つには正規の歩道がアスファルトであるのに対し、雑草の生えた土の路になっていることが理由かと思われますが、そればかりではあの不思議な感覚は生じません。確かに普段とは違う視線の高さも面白いし、大きな桜の木々の懐を潜り抜ける気持ちよさもあります。
しかし想うに、一番の理由はそこが正規の路でないという、或る種の冒険心に因るものではないでしょうか。街の家のコンクリート塀の上を、綱渡りよろしく伝って歩いた子供の頃のあの誘惑を、現代の子供達も無意識的に欲しているのだろうと思います。

銭湯の取り壊し

2006-08-13 00:04:20 | 千里山INFO
関大前駅の北口に向かう細い通りに面して、銭湯の建物が廃業してからも長い間立っていました。最近この辺りの友人を訪ねた時に、煙突が取り壊されようとしているのが遠くから見えました。老朽化して危険なので櫓を組みながら解体をすると、木陰で一服していた監督さんが教えてくれました。
もっと近くで見ようと裏手に回ると、同じように時代を越えてきた学生アパート「信和荘」が、既に住民もなく静かに銭湯の煙突が壊されるのを見守っているようでした。アパートの赤茶けた壁のひび割れと銭湯の煤けた煙突を、懐かしく想って下さる方達も多いのではないかと思い写真を撮りました。
千里山の浴場については「千里山70年のあゆみ」の中に、「住宅会社の方針で、風呂は各戸にはなく(燃料が石炭・薪であったため、街が煙る理由)皆が浴場に通いました。‥‥‥いろんな偉い人とでも一緒に入り、裸のつき合いで街の社交場のようでした。」とあります。
家庭風呂の普及により、昭和63年に千里山共同浴場は幕を閉じ、僕が千里山に住み始めた頃には、もう千里山の銭湯は一軒も無くなっていましたが、住宅や街並みの美観のために住民が一致協力して共同浴場のシステムを利用したというのは、時代の価値観の違いはありますが、最近の「まちづくり作法集」の精神と通じるものを感じます。

千里山駅の線路は何処までだった?

2006-08-12 00:03:38 | 千里山フェチズム
月が丘の「岡部ガラス店」さんとお話していた時に、千里山駅が終点だった頃は線路がどこまでだったのかというテーマになり、用壁の変化している場所がその目印だということを教えて貰いました。
なるほどと思ったのですが、後で写真を撮ってみると(拡大写真)、実際は3パターンに分かれていました。南側から焦げ茶色の石垣が続き、途中でグレーの石垣に変わり、そしてコンクリートの用壁が伸びていき、最後には枕木再利用の柵になります。問題はこのグレーの石垣部分がなぜ間に挟まっているのかという不思議です。
僕の推理はこうです。このグレーの石垣は最初から造られていたのだが、土の中にずっと埋められていて、路線延長に伴って露出することになり、その時間のギャップが色の違いになっているのではないでしょうか。
ちなみに、千里山会の会員で漫画家の田代しんたろうさんの描かれた千里山うろおぼえイラストマップでも、その辺りの記憶が写されています。しかし、詳しいところまでは分かりません。本当の理由は何なのでしょうか?

【追記】田代さんのイラストでは、「子供会でお化け大会をやった階段」もとても気になります。

夏空、流れ星

2006-08-11 00:46:31 | 作詞・作曲


 夏空、流れ星                小畠 功

 二十代最後の真夏、僕は軽い呼吸器系の病気で、それでも数ケ月
間の入院を余儀なくされており、大抵の時間つぶしは試みてしまっ
て、退屈しきった毎日を送っていた。
東京の勤務先の定期検珍で、前触れもなく呼吸器に“薄曇り”を発
見されてしまったわけで、苦しくも痛くもなんら自覚症状はなく、
ただ理不尽に自由を奪われている憂鬱を感じるばかりだった。初め
の頃は不安もあり模範的な患者であったが、病室の様子がわかり始
めたこの頃は、看護婦の目を盗んでは本屋や食料の買い出しから、
喫茶店そして近くの山林を探検したりと、小さな反乱を繰り返すよ
うになっていた。じっとベッドで休んでいる事になにか苛立ち、か
といってしなくてはならない大切な目標があるわけでもなかった。
日常の慌ただしさの中で怠り、ずっと避け続けてきた終わりのない
問いに直面し、未熟な青春を持て余しているのだった。
 夜十時の消灯と同時に病室のエアコンが切れ、連日の猛暑に昼夜
の生活感覚が逆転してしまっていた僕は、最終の点呼を済ますと看
護婦に隠れてよく屋上に出た。屋上には夏の太陽の余熱があったが、
カモメが迷い来るほどに近くの砂浜から、心地よい微風が吹いてく
るのを僕は知っていた。海に向かう南側の鉄柵に凭れると、遠くに
美しく市街の明かりを望めたが、その夜はもう先客がいた。すでに
十数年も入院していて、ベッド廻りのテレビの横に、大きな熱帯魚
の水槽を飼っている中年の元教師だった。熱帯魚を飼うことが許さ
れるのは、それだけ彼にとって病院が棲家になってしまっている事
を感じさせ、いつも僕を気重く不安にさせた。
 しかたなく逆方向に歩いていくと、ふとボイラー室の小さな屋根
が目にとまった。ちょうど上れる高さで、他の人に気付かれないで
独り、海風が僕の物想いを静かに撫でていってくれそうに感じた。
 仰向けに寝転がると、沈鬱な下界が一瞬にして消え去り、目の前
には満天の星空が広がった。立って夜空を見上げるのとは違い、身
体と心がゆったりと緊張を溶き、自分自身の輪郭が流れ始めるのを
感じていた。しばらくすると星が視界を横切った。久しぶりにと思
った瞬間、今度は長い尾を引いた。二、三分毎に次々と現れ消えて
いく。流れ星はなかなか見られないものと信じていたが、これなら
いくらでも願い事をかなえられるな、と詰まらないことを考えたが、
その頃の僕にはそのような甘く感傷的な願い事など見つかるはずも
無かった‥‥‥。

 それから五年後の真夏、僕は徳島へ向かう夜行のカーフェリーの
甲板にいた。お盆休みに故郷の家族に紹介したい人を連れて行こう
としていたのだった。船内は例年通り、帰省客と阿波踊りの観光の
人々でごった返していた。僕達は腰を下ろせる場所を求めてさまよ
いつつ、ほの暗さの中に白い波頭がはねるのを眺めながら、上部デ
ッキヘとたどり着いたのだった。
 膝立て座りで腰を下ろし、殺風景な甲板を見渡していると、次第
に暗さに目が慣れてきて、数人の姿が浮かんで見えた。その中の影
がひとつ近づいて来た。見ると少し派手めの、馴れなれしいがどこ
か憎めない二十代半ばの女性だった。
 ひとりで実家に帰るところで、長い船旅に寂しい思いをしている
と言った。彼女はひとりで話し、笑い、ため息をつき、東京でいか
に歯医者の亭主に愛されているかを証拠立て、時々僕達がお似合い
であると持ち上げた。
 僕は会話の方は二人にまかせて、先程から夜空の一角が気になっ
ていた。あの時の流れ星だと直感した。こんな深夜の海上で再び会
えるとは思ってもいなかったので、何だか運命的な感慨にも浸りな
がら指で二人に差し示すと、すぐに分かったようで、しばらくは無
言で見入っていたが、女性は急にしんみりとした口調になって、実
は歯医者の亭主が看護助手と深い関係になって子供までできてしま
い、未練やごたごたの末にようやく別れる決心をして、自分が自立
できるまで、実家の両親に子供たちを預かってもらう積もりで帰っ
ているのだと話し始めた。
 やがてフェリーは徳島港に着岸し、彼女は父親らしい初老の男の
運転する車に迎えられ、僕達は便乗してはどうかという誘いを鄭重
に断わると、乗換えのために始発列車の待つ、少し離れたJR駅ヘと
タクシーを走らせた‥‥‥。

 そして2006年の真夏、僕は十年程前から始めた星空ウォッチン
グによって、それが有名なペルセウス座流星群で、スイフト・タッ
トル彗星のまき散らしていったガスや氷の粒子の中を、地球が通り
過ぎるという、人々の想像を美しく刺激する天体ショーであり、又
偶然でもなく毎年見られる現象であり、しかも僕の見たそれらは小
さいが、いわゆる流星雨とも呼べるものらしいということを知って
いる。しかしその後は夏の夜に何を思い、どのような事をして空を
見上げていたのかは余り思い出せない。今でも僕の記憶の中ではそ
の二夜の空の光景が、その時の自分自身や出会った人達の表情と共
に、鮮明に甦って来るのだ。
 さて、天文雑誌の情報などでは、この八月の流星群出現の極大時
(8月13日未明)には月が出ており、空の暗さはあまり期待できない
としている。いったい今年の夏空は、僕にどのような流れ星の記憶
を映していってくれるのだろうか。

(c) 2006, Skyfull Stars

【追記】ペルセウス座流星群については、こちらのサイトで詳しく
解説されています。

第2噴水は清掃中

2006-08-10 00:11:20 | 千里山INFO
お昼前に千里山第2噴水の近くを偶々通り掛かると、水槽の清掃が終わった後で、水の入れ替えをしているところでした。近づいてよく見ると、トイレの水タンクの構造に似て、ある水位までに達すると真鍮製の浮き球ストッパーが、水道の蛇口を閉める仕組みです。噴水や雨水などで溢れてしまわないように、別に排水口が設けられています。少しの間見ていましたが、満水までかなりの時間が掛かりそうでしたので、千里新田地区の公民館の方へスケジュール資料を貰いに行くために噴水を後にしました。
それにしても水垢の付いていた水槽はとても綺麗に磨かれていました。最近プールで悲惨な事故がありましたし、もちろん安全管理はちゃんとしなければなりませんが、一日だけでも故郷の夏の想い出づくりイベントとして、噴水プールを千里山の幼児達に開放するというのはどうでしょうか?

【追記】第1噴水の方の記事は先日「いけぶち市議」さんのブログに詳しく書かれています。

千里山の今日の空

2006-08-09 00:03:13 | Weblog
今日も気分転換とPC作業の疲れを癒しに、カフェ・ド・ゴーシュの黒豆コーヒーを飲みに行きました。初物の夕張メロンをお土産に頂き、さて帰ろうかとドアを開けると、千里山の空気がセピア・ベージュに色着き、異様な高揚を感じる街並みが現れていました。
空を見上げるよりも先に、建物の壁や街路樹の枝葉、舗道に駐められた車などを夕焼けが染め始めるのを見たのは、これが初めての体験かも知れません。後で美しい夕焼け空を楽しむよりも、何か不思議な非日常感を味わえたのがとても新鮮でした。
今朝ほど用事で出かけた時は、台風一過(過ぎたという訳ではなく、逸れたということですが)という感じで、千里山は風が爽やかに吹く青空だったのですが、そのような比較的快適な一日の最後に、こんな素晴らしい夏の夕景色が待っているとは‥‥。

「土橋隆弘 ガラス工芸展」に行ってきました

2006-08-08 00:17:53 | 千里山ギャラリー
今日も猛烈に暑い日でしたが、最近では珍しく一日中外出しました。しかも数時間は炎天下を歩き回る仕事でした。まだまだ体力はあるなと自信を持ちました。
午前中は京都大丸で開かれている土橋隆弘君の個展に行き、久しぶりに会うデザイン学校の同級生の成長と活躍に大いに刺激を受けました。
近頃は作品を実際に作ることよりも、考えている時間の方が長くなっている、ということを彼は言っていました。若い頃に日本全国のガラス工房を渡り歩いて修行し、長浜の黒壁に腰を落ち着かせて数年、彼にとって技術的な探求が一段落して、その表現の方向を求めて精神を研ぎすましているように僕には映りました。振り返って自分はどれほどの境地で、デザインを追求しているのだろうかということを思うと、非常に厳しい現実に直面せざるを得ません。別れ際に面白い人達が集まるサロンのようなものにお誘いを頂きましたので、連絡が来るのを楽しみにしています。
午後は大阪に舞い戻って、最近グランドオープンしたシティープラザ大阪の周辺を数時間リサーチして歩きました。この事には未だ詳しくは触れられませんが、その後しばらくロビーで涼を取っていると、偶然吹田商工会議所におられた村井さんに声を掛けられました。近況報告をし合って別れましたが、その場所でお会いしたことに何か不思議なご縁を感じました。
とにかく日頃座業に等しいワークになりがちな僕にとっては、とてもタフなスケジュールでしたが新しい出会いも多く楽しい一日でした。

「クーポン生活」吹田版

2006-08-07 00:41:09 | 千里山INFO
先日、「クーポン生活・吹田版」の創刊号が投函されていました。最近よく見るクーポン・フリーペーパーの新しいパターンで、各家庭に必ず届けられるということと、クーポン券が紙幣の大きさでバラバラに何枚も入っているので使いやすく、お店のビジュアルな訴求性も高いということが売りのようです。吹田でプリントショップや印刷事業を展開してきた企業の、吹田の商業活性化フランチャイジー・サービスということになります。
創刊号には「千里山カイロプラクティックセンター」さんだけの参加ですが、今後利用される千里山のお店や事業所も増えるかも知れません。「千里山カイロプラクティックセンター」さんは駅周辺でもチラシを頻繁に配られています。このように宣伝費用を積極的にかけていく経営姿勢は、千里山のお店では珍しいと思います。
さて、僕も千里山.NETの活動を通じて、千里山の商店街活性化のお役に立ちたいと常に考えています。将来的には千里山.NETと連動した、千里山のミニコミ誌なども提案したいと思っています。

パキスタンカレー・パーティー

2006-08-06 00:27:20 | 千里山人(ちさとのやまひと)
今夜は千里山のカフェ・ド・ゴーシュさんで月一回開催される「三角テーブル井戸端会議」に顔を出しました。先月は都合で出られなかったのですが、今回はブログ「英語かわら版」でお付き合いの始まった、「スミス英会話千里山校」のユーサフさん御夫妻を交えて、Mrs.ユーサフのウズマさんのカレー料理が頂けるということで、前から出席したいと思っていました。直前になって打ち合わせが長引き、催促のお電話まで頂きました。
結局、少し遅刻をしてしまいましたが、いつもの顔ぶれに加えてユーサフさんのお知り合いの方達や、「千里山平和市」の実行委員会のペイフォワード倶楽部、そして同じアジアン繋がりで千里山の雑貨店スーリヤ&マンダリンさんなど、総勢20人ほどにも脹らんで楽しいパーティーになりました。
千里山.NETとしてのふとした思いつきから「英語かわら版」をユーサフさんにお奨めしたことから、こんな国際交流に発展してきていること、そして「千里山 Asian Day」の話なども出て、ますます夢が広がる想いがしました。
やっぱり、本場のパキスタンカレー(マトン&ゴーヤチキン)はスパイシーで美味しかったです。全粒粉で焼いたナンで挟んで食べると何とも言えず深い旨味が感じられました。近々ゴーシュさんでスペシャル・ランチとして楽しめるように、という話も聞こえてきましたので、外食派の僕としてはそのことも嬉しい限りです!!

【追記-1】ウズマさんのカレーがゴーシュのランチメニューになることに決定!!
     来週金曜日(8月18日)、限定10食からということです。

【追記-2】第一回はチキンカレー&ナンでした。

千里山マーケットの案内放送

2006-08-05 00:14:45 | 千里山人(ちさとのやまひと)
千里山駅東口の直ぐ前にある阪急千里山マーケットでは、毎週水曜日と金曜日に楽しい案内放送が流れています。
千里山.NETの「NET放送局」メニューに「千里山の音」というページがあり、文化踏切の遮断機の音や千里寺の鐘の音など、千里山をイメージして貰える懐かしい音達をコレクションしています。ある方に千里山マーケットの案内放送はお奨めですよと教えて頂き、早速に事務所を訪ねて“うぐいす嬢”の藤原さんにお話を伺いました。
「前日に各お店の人から売り出しや目玉商品などの情報を集めて、その夜に原稿にまとめあげ、翌朝一発録りでテープに起こします。結構たいへんなんですヨ。」
「でも、声も可愛らしいし、アドリブの歌やかけ声など、楽しみにしているお客さんも多いと聞いてますが。」
「有り難うございます。頑張ります!!」藤原さんは控えめながら、力強く答えて下さいました。
ちなみに、放送のバックに流されているCD(吹田商工会議所から紹介があった)では、フランスのシャーレーンというラップ歌手が「Suita,Suita‥‥」と歌っています。

※ 千里山.NETの「NET放送局」×「千里山の音」コーナーでぜひ聴いてみて下さい!!

【追記】8月5日には千里山マーケット恒例の「土曜売りつくし市」があります。

スィータ・スィータ
シャーレーン, ショーン・ポール, チューバッカ
ユニバーサルインターナショナル

このアイテムの詳細を見る

千里山「サマーキャンペーン」募集!!

2006-08-04 00:05:17 | 得とく情報掲示板
いよいよ夏本番となりました。千里山でも各地区の盆踊り大会や一中の「たそがれコンサート」(8月20日)など、暑さを吹き飛ばす熱いイベントが続いていきます。いずれも多くの住民ボランティアに支えられて、年々スケールアップしているのが感じられます。比較的小さなエリアにも拘わらず、絶えず様々なところから楽しみが提案されてくるあたりは、「エンタな街・千里山」と言えそうです。
さて、住民パワーに刺激された訳ではないですが、千里山商栄会を始めとして、千里山の多くのお店や事業所に「夏のキャンペーン商戦」を提案させて頂きます。コメント欄やトラックバックを活用して、自由にお店の夏のキャンペーン得々情報を発信して下さい!!
ところで8月3日現在、グーグルで「千里山得々情報」・「千里山情報」でキーワード検索をした結果で、「千里山ブラウズ」の「得とく情報掲示板」・「街かど情報連絡板」の記事がそれぞれTOPに表示されるようになりました。千里山.NETの無料で手軽なブログ掲示板を活用する価値は、エリア限定の情報発信メディアとしても、かなり高まってきていると思います。ぜひあなたのお店も「夏のキャンペーン商戦」に奮ってご参加下さい。

千里寺

2006-08-03 00:02:04 | 千里山INFO
千里山.NETの「公共・学校」メニューに月2回発行の「市報すいた」の千里山関連のニュースを紹介しています。そして、別ページとして季刊「Suita市民新聞」も千里山にまつわる記事や物語りを抜粋し、WEB版ダウンロード・サイトへリンクさせています。
Suita市民新聞」は吹田市労組連合会を中心とした刊行委員会によって、平和や市民運動的な視点でイラクや“うめかも”問題などに、市報とは違ったスタンスの情報を提供されています。創刊号の編集後記に「ライバルは『市報すいた』です」と宣言されていましたが、それぞれの情報が比較できるというのは、僕ら一般市民にとって重要なことだと思っています。
最近発行された夏号には、表紙に高宮良子さんのイラスト「千里寺」が描かれています。そして、本堂が初め京都御所に建てられたものを、関西大学に武道館として移築し、そして現在の千里寺へという経緯も興味深く紹介されています。ちなみに、先日の歴史講座で関大博物館の熊博毅氏に見せて頂いた当時の写真では、現在の本堂は瓦葺きになっていますが、それ以前は銅板葺きの社殿風になっていました。