続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

こんなに!

2013-08-21 06:26:30 | 日常
 苦瓜の生育も目を見張るものがあったけれど、たった二本植木鉢に植えたミニトマトも沢山実をつけた。
 たわわに実って、支柱をも傾げさせるほど・・・すでに収穫し、処分しようとして(待てよ、まだ青い小さな実が)と思い辛抱していたら・・・。
 でも葉がもう耐えられないと枯れ始めたので収穫、整理。最初の頃より黄色がかってはいるものの・・・それでも(よく頑張った)と褒めてあげたい。

 今夏は猛暑のせいで生り物の成績が良かったのかもしれない。

『ポラーノの広場』65。

2013-08-21 06:11:04 | 宮沢賢治
「乾溜工場って、この地図にはないね、こっちかしら。」わたくしは別のをひろげました。
「ないなあ、いつころからあるんだい。」
「去年からだよ。」
「それぢゃないんだ。この地図はもっと前に測量したんだから。その工場はどんなとこにあるの。」

☆換/入れ替わり流/移動する講(はなし)の情(心の動き)を字で吐く(言う)。
 瞥(ちらりと見ること)を頼りにし、念(考え)を示す。
 頭(物事の始め)は、即ち、霊(死者の魂)と交/行き会う状(ありさま)である。

『城』1370。

2013-08-21 05:45:49 | カフカ覚書
が、相手がKだとわかると、
「まあ、測量師さんでしたの」と、にっこり笑うと、「わたし、ペーピです」と自己紹介した。

(差し出す)/reichte→richten/正しくする。
(手)hand・・・地方公共団体、国。
 ペーピ/Pepi→Papier/身分証明書、文書。

☆相手がKだとわかると、
「測量師さん(土地を失ったことに気づいた人)でしたの」と、にっこり笑うと、「わたしペーピ(証明書)です」と国を正しくする立場を言った。

多種多様。

2013-08-20 06:33:51 | 日常
 ウオーキングのイベント、自由参加で何の拘束もない集いにはいろいろな人が集まる。
 元気のいい若者が遊び感覚でというグループ、あるいはカップルなどが目立つけれど、わたしのように少しくたびれて「大丈夫ですか」と声をかけられそうな年配者もいなくはない。むしろこちらのほうが真剣であり(歩き徹すぞ)という秘めた覚悟を抱き、悲壮感と道連れである。

「息子の嫁さんの世話にはなりたくありませんから」と逗子から見えた老人。
「端から当てにしていませんよ」と、東京は平和島から見えた老女。
 出来うるならば、誰の世話にもならず、《向こうへ無事歩き徹したい》切実な願いはみんな同じである。

 肯きあって、苦笑いしながら、目的のゴールへ向かった。


 ひょっと目をやると相前後して歩いている二人、母娘か友人なのか・・・太ったわたしよりも更に太っている二人。
《ダイエット》
 しかし、二人とも何かを食べながらのウオーキング。天下泰平、文句はない。


 わたしが見る限りでもっとも目を引いたのは、猫を抱いて(否)人形を抱えて歩いている中年の男性。ゴム製、金髪、ドレス、青い目の人形、高さ三十センチくらいで、背後からはその髪の毛だけが見えていたので猫かしらとも思った次第。
 まるで遺影でも掲げている感じで黙々と歩いている。亡き妹、あるいは亡き恋人の愛したお人形なのかもしれない。
 彼から変質を感じ取ることをわたし自身が拒否したのか・・・八月最中の炎天下。

 一歩外へ出ると、それぞれ多種多様な人たちが同じ時代を生きていることが伝わってくる。

『ポラーノの広場』64。

2013-08-20 06:23:08 | 宮沢賢治
「そら、こっちが東でこっちが西さ。いまぼくらのゐるのはこゝだよ。この円くなった競馬場のこゝのとこさ。」
「乾溜工場はどれだろう。」ミーロが云ひました。

☆闘いの際の怨みは、恐ろしい。
 場(状況)の情(物事に感じて起る心の動き)の換(心変わり)の理由は、交(付き合い)の常なる運/めぐりあわせである。

『城』1369。

2013-08-20 06:05:03 | カフカ覚書
察するに、フリーダの後釜になった娘にちがいなかった。彼女は、すぐに気をとりなおして、電灯のスイッチを入れたが、依然として不機嫌そうな顔つきをしていた。

 後釜/Nachfolgerin→Nachen folgern/小舟、(或事から或事を)推論する。
 電灯/elektrische Licht→elektrische right/電気(ぞくぞくするような)、正義。

☆察するに、フリーダ(平和)の言っていた小舟の推論にちがいない。彼女はすぐに理解し、ぞくぞくするような正義に向き直り、まだ悪い予感の顔つきをしていた。

人としての挌。

2013-08-19 06:51:31 | 日常
「ビフォアーアフター」(TV番組)を見ている。家のリフォームを主旨とする番組だけれども、「人の生き方」を提示する番組でもある。

 昨夜の「ビフォアーアフター」には頭の下がる思い、人としての愛のあり方を教えられた。突然のように病魔という不運に見舞われる、そのときの覚悟は、人としての挌にかかわる。衝撃、失望、絶望・・・言葉を失う暗転。
 不自由になった妻をあくまでも「わたくし(夫)が看ます」という強い愛情には胸を打たれてしまった。18年にわたる介護、これからも続くその生活に更なる希望を託したリフォーム計画の依頼。

 長く病んだ母が「救急車を呼んで」と言ったとき、あれほど「救急車は呼ばないで」と言っていた母のひと言に涙したわたしの傍らで、父がわたしに差し出したハガキは宝くじの購入申し込み。「ついでに出してくれ」の言葉には落胆。
 ・・・それに引きかえ昨夜のご夫婦。わたしはその落差にも大きく心を揺さぶられたのだ。


 人として人を愛するということの真の美しさ。
 決して投げない、諦めない。あなたはわたしであり、わたしはあなたであるという夫婦の固い絆。


 真の心は、善であり、美である。忘れがちな日常・・・足りないことだらけの配慮。

(もし歩けなくなったら)などと自分の事ばかりを危惧しているわたし・・・不遜かもしれない。
 どんなときにも生きる意味はあり、助けられて生きることもまた生きる価値ある美であり、勇気なのだと。
(迷惑をかけたくないという切実な思いには、思い上がりが潜んでいるかもしれない)

『ポラーノの広場』63。

2013-08-19 06:39:31 | 宮沢賢治
「おや、ぼくは地図をよくわからないなあ、どっちが西だろう。」
「上の方が北だよ。さう置いてごらん。」 
 ファゼーロはおもての景色と合せて地図を床に置きました。

☆致(招く)途(みち)の正しさは、照(普く光があたる=平等)の法(仏の道)である。
 北(逃げる)痴(おろかな)計(もくろみ)を識(記録する)業(悪行の報い)の恥を吐く(言う)。
 照(普く光があたる=平等)が、その質(内容)である。

『城』1368。

2013-08-19 05:51:36 | カフカ覚書
とたんに悲鳴がして、はっとびっくりした。ドアと配置台とのあいだの、ストーヴの隅っこのところにひとりの少女がうずくまっていて、ねとぼけた眼をやっとのことであけて、マッチの明りに照らされながらKをじっと見つめていた。

 配膳台/kredenztisch→Kredo/信念。
 ストーヴ/Ofen→affen/欺く、だます。
 うずくまる/sass(sitzen)・・・Sass/隷属民、土地所有者。
 マッチをする/Streichholzes→Streich Holl/抹消する、地獄。 
 ねとぼけた/Schlaffneten→schlaff/力の抜けた、たるんだ。
 ひとりの少女/ein junges Madchen→Ahn junges Macht/先祖、新しい、権力。

☆とたんに先祖の叫びがして驚いた。企み(計画)と信念には、欺く先祖の新しい権力があった。たるんだ機関をやっとのことで開き、地獄を抹消し、輝くのをKは見つめていた。

炎天下、10キロ。

2013-08-18 06:35:29 | 日常
 このまま家の中にいて(歩けなくなったらどうしよう)という思いに苛まれている。

 Walk・・・歩く、これしかない! 1キロはおろか500メートルも歩くのが嫌なわたし・・・。
 敢えて、「よこすか京急沿線ウォーク」に参加。

「明日の運動予定は控えたほうがいいでしょう」天気予報で注意を呼びかけている昨今、10キロも歩くのは危険?

 暑くても寒くても比較的耐えられるようになっている身体、酷暑には自信がある。
 歩く予定の無い八月・・・(歩かなくては)の思いからヴェルニー公園へ。散々並び、立っていることだけでへこたれそうになったけど、いざ歩き出したらそれなりに浮き浮き♪

 汐入駅から坂本交番前までの坂は小学校低学年のとき書道教室へ通った道、途中の子之神社はわたしの七つのお祝いをしたところ・・・思いがけず遠い記憶が甦り、一人で参加していることも忘れる胸のざわつき。
 それから不入斗(ここは母方のお寺である西来寺へいくのに通る道)を通り上町から富士見町(ここは結婚当初住んでいたアパートがあった)を通り田戸台(ここはわたしの生まれた場所)へ。聖徳寺から旧海軍横須賀鎮守府司令長官官舎で缶バッチをもらいスタンプ(済)・・・長官官舎と地続きの隣でわたしは昭和22年生まれ、そのときの居住者は海軍中将ベントンW.デッカーさん、終戦時の横須賀の立役者である。その人と隣り合わせにいたことに66年も経ってからの感慨。

 それから、うみかぜ第三海堡遺構を見て魚市場、大津漁港、馬堀海岸までの海沿いを歩き、山を越えて浦賀駅、浦賀ドック内のコミュニティ広場へとゴール。

 このコースはどこもかしこも懐かしさの溢れた過去のわたしが確かに存在していた街、そして道。

 暑かったけど、暑さを忘れるほどの懐かしさ。見知らぬ人ばかりの中を、それでも同じ目的で同じ方向を歩いて行くって何だかスゴク楽しかった。

 ハウジングプラザ横須賀のサービスでサイダーを頂いたけど、その美味しさたるや・・・ありがとうございました。

 猛暑の中、要所々で案内のカードを持ち指示をしてくださった方々、本当にありがとうございました。