続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『ポラーノの広場』62。

2013-08-18 06:24:39 | 宮沢賢治
 すると山羊小屋の中からファゼーロよりも三つばかり年上のちゃんときゃはんをはいてぼろぼろになった青い皮の上着を着た顔いろのいゝわか者が出てわたしにおじぎしました。

☆太陽の曜(かがやき)は照(普く光があたる=平等)也。
 自由な太陽への念(思い)、神は象(姿)を秘(人に見せないように隠している)
 帖(書き付け)に記した鬼(死者の魂)は、信仰で謝った(わびる)と、推しはかられる。

『城』1367。

2013-08-18 05:47:15 | カフカ覚書
そこで、覗き穴のある場所を手さぐりでさがそうとしたが、穴をふさぐ板が非常にうまく嵌めこんであるのか、手さぐりではどうしても見つけだすことができない。しかたなく、マッチをすった。

 手さぐりでさがす/ertasten→ertappen/不意を襲って捕える、
 のぞき穴/Guckloch→Guck rach/見る、復讐。
 うまく嵌めこむ/einpassen→Ahn passen/先祖、都合がよい
 マッチをする/zundete・・・(ある人の)道を照らす。
 Stelle→still/ひそかに、内々で、

☆そこで、のぞき穴(復讐を見る)を不意を襲って捕えようとしたが、先祖に都合よく内々(秘密)になっていて、この方法で見つけ出せない。それゆえ、言葉で道をつけることにした。

ゴーヤ三昧。

2013-08-17 06:20:13 | 日常
 今夏、猛暑のせいもあってゴーヤの生りかたが半端でなく、毎日採っている。
 一日一本から二本・・・そして今朝などは六本・・・どうしようもないほど採れている。

 ジュースにして飲むにも限度がある。
 そこで近所の人から聞いた(佃煮)を。そういえば去年も佃煮を作った、作ったけれども・・・。

 それでも大きなフライパンに山盛り刻んだゴーヤを炒めて、醤油・みりん・酒・砂糖で煮詰め、鰹節を振りかけた。小分けにし冷凍保存。

 どうかな・・・手間をかけただけで無駄手間ということもある。

 それでも、収穫が大きいということは嬉しい、(今わたしは喜んでいるのであって、嘆いているわけではない)と自分の気持を整理している。複雑な心境。
 ゴーヤは好き嫌いがはっきりしている、人にいちいち聞いて廻るのも滑稽なので、大人しく静かに頑張って食べている。身体にいいのだと信じて・・・(でも、食べ過ぎている)

『ポラーノの広場』61。

2013-08-17 06:10:19 | 宮沢賢治
「さうかねえ。とにかく地図はこれだよ。」わたくしは戸口に買って置いた地図をひろげました。
「ミーロも呼んでもいゝかい。」
「誰かきてるのか。いゝとも。」
「ミーロ、おいで、地図を見よう。」


☆知(心に感じる)事を図る考え、媒(なかだち)の致(ある状態に至らせる)は字による途(みちすじ)で、故(死ぬこと)を推しはかる。
 雷(神なり)は、字で吐く(言う)幻である。

『城』1366。

2013-08-17 05:48:22 | カフカ覚書
Kは、このまえクラムの様子をのぞき見したドアのところにつかつかと歩みよると、用心ぶかく把手をまわした。しかし、ドアには鍵がかかっていた。

 ドア/Tur→Tour/企み。
 把手/Klinke→Krieg/戦争。
 鍵がかかっていた/versperrt・・・封鎖する。

☆Kは近ごろクラム(氏族)を観察し、すぐに企みを行うつもりでいた。用心深く戦い倒すために、企みを隠した。

何思うことなく・・・。

2013-08-16 06:24:16 | 日常
 息子に電話を入れたけれど、話の途中で「今食事中だから」と。
 嫁さんと孫たちは一足先に新幹線で帰省していると聞いたので少しばかり長話をしようと思ったら・・・。

 まぁ、こんなものかもしれない。

 息子《我が息子》と思うのが間違いの元、もうすでに独立した《他所の人》なのだという覚悟が必要であって、親が何時までも甘えた考えでいては迷惑に違いない。

 淋しい? いいえ、何時までもお母さん頼りでは仕方がない。と言うかうちの息子たちは(お母さん)と寄って来たためしがない。むしろ離れよう、離れようとしている傾向がある。


 なまじ何か言って曲解されるよりはマシかもしれない。
 言いたいことはある! けれど、通じないこともある。


 気落ちと、苛立ち・・・不意に親を思い出す。わたしの言葉で親は辛い思いをしなかっただろうか。心無い言葉をかけたりしなかったろうか。甦るシーンはぐさりと胸を衝く。

 因果応報、過ちはやがて我が頭上に。
 何事もないように過ごしていくのが無難。

 何思うことなく・・・平穏無事、これでいいのだと自らに言い聞かせている。

『ポラーノの広場』60。

2013-08-16 06:10:53 | 宮沢賢治
「テーモ、やっぱし何だか聞いたやうな名だなあ。」
「聞いたかも知れない。あちこち役所へ果物だの野菜だの納めてゐるんだから。」


☆化<教え導くこと)の文は妙(不思議)である。
 訳(ある言語を他の言語で言い換える)の諸(多く)は果(原因があって生じるもの)である。
 仏の済(救い)を、謄/書き写している。

『城』1365。

2013-08-16 05:56:41 | カフカ覚書
Kは、玄関でも酒場でも人影を見かけなかった。気のぬけたビールの臭いが、このまえのときよりさらにひどかった。こんなことは、<橋屋>ならまず起りえないだろう。

 玄関/Flur・・・流動、時の推移。
 酒場/Ausschank→Ausschlag/決め手。
 ビール/Bier→Bieder/馬鹿正直な。
 橋屋/Wirtshaus→wort/言葉。Brucke→Bruch/石切り場、断面、違反。
 臭い/Geruch・・・評判。

☆Kは時の推移や決め手でも何も的確に捉えられなかった。気の抜けた馬鹿正直だという評判が、この前のときよりひどかった。こんなことは、言葉の違反(間違い)からも起りえないだろう。

減量と運動。

2013-08-15 06:38:17 | 日常
 膝の痛み・・・それは、老いだと肯定的に甘受している。年配者としての当然の証、そして人生の後半レースは続いている。

 けれど「痛いのが普通と思っていませんか、痛くないのが普通です」という薬のキャッチコピー。(そうだ、痛くないのが普通なんだ)治癒、改善の努力なくして明日はない。

 で、どうすればいいの?
 その薬も服用したけど、はかばかしい徴候もなく今日に至っている。

「痩せることです、減量と運動を心掛けて下さい」医師の忠告。

 毎朝体重計に乗っている。確認し、ため息。好きなものを食べている・・・天ぷら・・・油は避けようとしているけど、難しい。野菜中心、魚生活、ここに油が入ると元の木阿弥なのだろうか。

 気分だけはどちらかといえば能天気、陽気な部類なので落ち込まない(それがいけないのかもしれない)

 座っている分にはどこも何でもない、立ちあがることに抵抗がある。だから、座りっぱなし・・・。


 わたしの生活は《どうしたら膝の痛みから解放されるか》にかかっている。不具合は即ち劣化である。不可逆なのだから、元に戻すことは期待できないと割り切り、むしろ、膝の痛みだけで済んでいることに感謝すべきと思うべきか。

 座ってばかりいるので、近ごろでは腰にも・・・。

 一病息災・・・減量と運動さえ心掛ければ健全な日常は戻ってくると信じたい。けれど、まだ(そんなでもない)という甘えと楽観が状況悪化に加速をかけている。
 元凶は《怠慢》、人のお世話になることのない人生を全うしたい! ならば、減量と運動。この二つの言葉がわたしの中で鳴り響いている。

『ポラーノの広場』59。

2013-08-15 06:27:39 | 宮沢賢治
「うちの方は大丈夫かい。」
「うん、」ファゼーロは何だか少しあいまいに返事しました。
「きみの旦那はなかなか恐い人だねえ、何て云ふんだ。
「テーモだよ。」


☆抱(心に抱く、思う)題(テーマ)は、常に普く化(教え導く)であり、照(あまねく光があたる=平等)である。
 変(移り変わる)字による談(話)である。
 納めているのは、教(神仏の教え)であり、忍ばせて化(教え導くこと)を運/めぐらせている。