『春と修羅』は、Holo/光臨(太陽)と衆等(わたし達)である。
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
☆真の照(あまねく光が当たる=平等))は普く続く(永遠である)。
質(内容)を知り、展(ひらき)究める。
模(手探り)が要(かなめ)である。
『春と修羅』は、Holo/光臨(太陽)と衆等(わたし達)である。
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
☆真の照(あまねく光が当たる=平等))は普く続く(永遠である)。
質(内容)を知り、展(ひらき)究める。
模(手探り)が要(かなめ)である。
人前や冬薊葉の青きこと
人前はジン・ゼンと読んで、尽、全。
冬薊はトウ・ケイと読んで、問う、系。
葉の青きこと(葉青事)はヨウ・セイ・ジと読んで、用、成、字。
☆尽(ことごとく)全(すべて)を問う。
系(つながり)を用(必要として)成(なり立つ)字がある。
人前はジン・ゼンと読んで、甚、然。
冬薊はトウ・ケイと読んで、当、計。
葉の青きこと(葉青事)はヨウ・ショウ・ジと読んで、要、紹、字。
☆甚(はなはだ)然(そのとおり)でる。
当(その)計(もくろみ)の要は紹(引き合わせる)字にある。
人前はジン・ゼンと読んで、腎、善。
冬薊はトウ・ケイと読んで、投、恵。
葉の青きこと(葉青事)はヨウ・ショウ・ジと読んで、様、小、寺。
☆腎(大切)なのは善である。
投(なげ入れる)恵(めぐみ/施し)の様(ようす、姿)が小さな寺にある。
冬薊はトウ・ケイと読んで、蕩、形。
葉の青きこと(葉青事)はヨウ・セイ・ジと読んで、容、青、事。
☆人前である!
蕩(だらしない/しまりのない)形容(姿・形・表現)は青き事(未熟)である。
人の日の枯枝にのるひかりかな
人の日はニン・ジツと読んで、任、実。
枯枝はコ・シと読んで、個、視。
のるひかり(乗光)はジョウ・コウと読んで、常、更。
☆任(ゆだねた)実(内容)の個(一つ一つ)、視(気をつけてみると)常に更(新しくなる)。
人の日はニン・ジツと読んで、認、昵。
枯枝はコ・シと読んで、個、詞。
のるひかり(乗光)はジョウ・コウと読んで、畳、講。
☆認(見分けて)昵(近づく)と、個(一つ一つ)の詞(言葉)には畳(重なる)講(話)がある。
人の日はジン・ジツと読んで、尽、実。
枯枝はコ・シと読んで、枯、私。
のるひかり(乗光)はジョウ・コウと読んで、常、考。
☆尽(すべて無くなる)実(内容)。
枯(衰えゆく)私は常に考(思い図っている)。
人の日はジン・ジツと読んで、塵、実。
枯枝はコ・シと読んで、個、視。
のるひかり(乗光)はジョウ・コウと読んで、浄、行。
☆塵(ごみ)の実(中身)個(一つ一つ)を視(点検し)、浄(きれいに)行(している)。
初夢の池に近づく服の色
初夢はショ・ムと読んで、庶、務。
池に近づくはチ・キンと読んで、遅、僅。
服の色はフク・ショクと読んで、復、職。
☆庶務(様様な事務)が遅れている。
僅(ようやく)復(元に戻る)職(担当している役目)。
初夢はショ・ムと読んで、書、謀。
池に近づくはチ・キンと読んで、千、襟。
服の色はフク・ショクと読んで、複、殖。
☆書く謀(はかりごと)は千(沢山)襟(心の中)にある。
複(重ねて)殖(増やす)。
初夢はショ・ムと読んで、諸、無。
池に近づくはチ・キンと読んで、知、禁。
服の色はフク・ショクと読んで、伏、嘱。
☆諸(もろもろ)の無知、禁(戒め)に伏(従い)嘱(委ねる/頼む)。
池に近づくはチ・キンと読んで、質、金。
服の色はフク・ショクと読んで、福、殖。
☆初夢の質(内容)は、金(お金)の福(幸)が殖(増えること)だった。
『終わりなき認識』
室内から見た光景…心象風景である。
視点は山の頂に在るが、宙に浮く球体のその上の人物にも焦点が当てられている。つまり認識においては視点や角度は自由であり空間の把握は、重力(物理界)に左右されない広がりがあるということである。
未踏の山の頂にも対面可能であり、球体に立つ人物さえも近しく空間を共有している。有り得ないことも認識作用においては仮定することができる。
認識は、現実(見える光景を)を把握する作用であるが、非現実(見えない光景/空想)をも想起可能である。
ただあくまで個人的なエリア(精神の窓)から発し、個人的な感覚に収まるものなので、他人、あるいは世界との共有は限界がある。
しかし、洗脳という他人の思考を根本的に改造するという現象も認識であるから、認識の限界に線を引くことは常識ではあり得るが非常識の枠内では通用してしまう。
『認識』は正否における境界線を持たず終結という概念は無い、ということに気づかされるものである。(そうだったのか・・・)、認識に終わりはない。
写真は『マグリット』展・図録より
『高原』
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛 風吹けば
獅子踊りだぢやい
☆『光が源である』
皆(すべて)の講(話)はSun(太陽)が発(放つ/明らかにする)望(願い)を普く推しはかることであり、詞(言葉)を視(よく見ること)が要(肝心)である。
初霞琴弾く音を早うせよ
初霞はショ・カと読んで、暑、苛。
琴弾くはキン・ダンと読んで、饉、談。
音を早うはイン・ソウと読んで、陰、層。
☆暑(あつさ)が苛(厳しい)ので饉(作物は凶作)だという談(話)である。
陰(暗く陰気な傾向)が層(幾重にも重なっている)。
初霞はショ・カと読んで、諸、過。
琴弾くはキン・ダンと読んで、禁、断。
音を早うはオン・ソウと読んで、穏、操。
☆諸(もろもろ)の過(あやまち)を禁(戒め)断ちきることを、穏やかに操(守る)。
初霞はショ・カと読んで、諸、家。
琴弾くはキン・ダンと読んで、均、男。
音を早うはオン・ソウと読んで、音、騒。
☆諸家(多くの家々)では均しく男の音(こえ)が騒がしい。
『禁じられた書物』
巨大化した指が床に立っている(美しいとは言い難いリアルな指である)。その上には馬の鈴(伝言・伝説・うわさetc)が浮いており、床面の字と合わせてイレーヌと読み取れる。
全体、部屋の設えは広いが空疎であり、端にある階段は壁に突き当たって行き止まりである。画家の視線は階段上部にあり、全体を眺め降ろしている(俯瞰)ようである。そしてその端にあるイレーヌの指文字は目障りに過ぎないという関係に見える。
マグリットは、内容空疎な少し歪んだ極論に辟易していたのではないか。
「はっきり言おう! はっきり言わせて頂く」という憤懣が鑑賞者の胸に静かにじんわりと響くのである。
写真は『マグリット』展・図録より
『岩手山』
そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
散乱反射はサン・ラン・ハン・シャと読んで、Sun、覧、犯、赦。
古ぼけて黒くはコ・コクと読んで、故、告。
微塵系列の底はミ・ジン・ケイ・レツ・テイと読んで、魅、腎、啓、烈。
澱むはデンと読んで、電。
☆Sun(太陽)を覧(見よ!)
犯(法や掟を破る)の赦(罪や過ちを許す)の故を告げる。
魅(惹きつける)腎(かなめ)は、啓(人を教え導き)烈(精神が正しく強い)諦(真理)の電(光)である。
『岩手山』
岩はガンと読み、眼。
手はシュと読んで、趣(考え)。
山はSunと読んで、太陽。
☆《要の考えは太陽にある》
女正月眉間に鳥の影落つる
女正月はジョ・ショウ・ガツと読んで、女、粧、合。
眉間はミ・ケンと読んで、弥、見。
鳥の影落つるはチョウ・エイ・ラクと読んで、調、営、落。
☆女の粧(身繕い)を合(いっしょにする)と、弥(隅々まで)見て調(ととのえ)営(拵え)落(出来上がる)。
女正月はジョ・ショウ・ガツと読んで、自余、章、合。
眉間はミ・ケンと読んで、三、兼。
鳥の影落つるはチョウ・エイ・ラクと読んで、帳、詠、絡。
☆自余(この他)の章を合(一つにあわせ)三つを兼ねて帳(ノート)に詠み、絡(結びつけている)。
女正月はジョ・ショウ・ツキと読んで、序、章、突き。
眉間はミ・ゲンと読んで、未、現。
鳥の影落つるはチョウ・エイ・ラクと読んで、徴、翳、絡。
☆序(いとぐち)の章を突き、未だ現れていないものを徴(集める)。
翳(蔽われているもの)を絡(つなぐ)。
眉間はミ・ゲンと読んで、未、幻。
鳥の影落つるはチョウ・エイ・ラクと読んで、凋、曳、落。
☆女正月は未(いまだ)幻である。
凋(生気を失う/衰え)を曳(引きずって)落(物寂しい)。