近くのいつもの喫茶店へお昼前、当店自慢の和食を食べに出かけた。たまたまこの日は豪州から昨日夜遅く着いたという客人が昔の仲間と談笑している場面に出くわした。いつものように絵心を刺激され、当のご婦人と昔の仲間を入れてスケッチして渡した。
13年前神戸で生活した経験のせいだろうコミ二ュケ―ションに全く問題ないことがスケッチしながら彼女たちの対話を聴いていてわかった。スケッチを渡したところ自身手持ちしていたB5サイズのダイアリーにまるで宝物をしまいこむように真剣な顔をして収めた。
先日、年末ご挨拶を兼ねて「酒ばやし」へ昼食に家族と出かけた。その日はたまたま二ユ―ジーランドから来たと、実はあとで分かった青年と隣席の客と対話を楽しんでいる様子をスケッチして同じように渡した。ベルギーでもパリでもそうだったが、外人さんは即サンキュウーといい、ニコッと笑ってさっとしまい込む点で見事に共通している。
先の豪州からの客人は昔仲間の一人に「ゼ―ン、ゼ―ン、変わっておらないねえ」、と日本語で言った。昔の仲間二人は姉妹で、当の喫茶店の馴染み客で、ことし還暦を迎えた方の妹さんである。「美しいですね、かわらないねえ」、と、この日、ひと目もはばからず連発されて、「とんでもない、とんでもない」、と照れくさそうに応じていた。
ここで筆者の口癖になっているが、「外人は人をまず褒める。日本人は本当に人を褒めない。こういうことは語学以前の国際化の第一歩だ」と彼女たちの話しに割り込んだ。「お美しいですね」といわれると、外人は「アイ・ホープ・ソ―」と即、答えると追い打ちをかけた。
豪州からの客人はここでわが意を得たりと大きくうなずいた。ところが、先の妹君は「日本人がそんなことはないと言うのは謙遜の意味ですよ。仮に褒められてそのまま鵜呑みにしたら、あの女は礼儀知らずだ。生意気だと言う噂があっという間に広がる」と反論した。
豪州の客人は30本入りのタバコを持参していた。ケースを手にとって見ると裏と表に肺がんの病巣がカラ―で生々しくプリントされていた。喫煙により40以上の有害化学物質を排出、肺がん患者10例の内9例が喫煙者だなどなどびっしり印刷されていた。
当の喫茶店は喫煙者が多い。先の姉妹の姉さんもかなりのヘビースモーカーである。この店にはスケッチ画を入れ換わり展示してもらっているが、額の表が大げさでなくヤニで1ケ月も置くと透明度が落ちる。しかし、「喫煙者お断り」にすると「即閉店」であろう。
「褒めれば豚でも木に登る」と以前、日本画家の森田りえ子さんの挨拶の中で聞いた。森田画伯はご謙遜だが、人は褒めてこそ育つということを日本人も是非見直して欲しい。(了)
13年前神戸で生活した経験のせいだろうコミ二ュケ―ションに全く問題ないことがスケッチしながら彼女たちの対話を聴いていてわかった。スケッチを渡したところ自身手持ちしていたB5サイズのダイアリーにまるで宝物をしまいこむように真剣な顔をして収めた。
先日、年末ご挨拶を兼ねて「酒ばやし」へ昼食に家族と出かけた。その日はたまたま二ユ―ジーランドから来たと、実はあとで分かった青年と隣席の客と対話を楽しんでいる様子をスケッチして同じように渡した。ベルギーでもパリでもそうだったが、外人さんは即サンキュウーといい、ニコッと笑ってさっとしまい込む点で見事に共通している。
先の豪州からの客人は昔仲間の一人に「ゼ―ン、ゼ―ン、変わっておらないねえ」、と日本語で言った。昔の仲間二人は姉妹で、当の喫茶店の馴染み客で、ことし還暦を迎えた方の妹さんである。「美しいですね、かわらないねえ」、と、この日、ひと目もはばからず連発されて、「とんでもない、とんでもない」、と照れくさそうに応じていた。
ここで筆者の口癖になっているが、「外人は人をまず褒める。日本人は本当に人を褒めない。こういうことは語学以前の国際化の第一歩だ」と彼女たちの話しに割り込んだ。「お美しいですね」といわれると、外人は「アイ・ホープ・ソ―」と即、答えると追い打ちをかけた。
豪州からの客人はここでわが意を得たりと大きくうなずいた。ところが、先の妹君は「日本人がそんなことはないと言うのは謙遜の意味ですよ。仮に褒められてそのまま鵜呑みにしたら、あの女は礼儀知らずだ。生意気だと言う噂があっという間に広がる」と反論した。
豪州の客人は30本入りのタバコを持参していた。ケースを手にとって見ると裏と表に肺がんの病巣がカラ―で生々しくプリントされていた。喫煙により40以上の有害化学物質を排出、肺がん患者10例の内9例が喫煙者だなどなどびっしり印刷されていた。
当の喫茶店は喫煙者が多い。先の姉妹の姉さんもかなりのヘビースモーカーである。この店にはスケッチ画を入れ換わり展示してもらっているが、額の表が大げさでなくヤニで1ケ月も置くと透明度が落ちる。しかし、「喫煙者お断り」にすると「即閉店」であろう。
「褒めれば豚でも木に登る」と以前、日本画家の森田りえ子さんの挨拶の中で聞いた。森田画伯はご謙遜だが、人は褒めてこそ育つということを日本人も是非見直して欲しい。(了)