震災法要:西林寺(スケッチ&コメント)
震災法要:西林寺
江嵜企画代表・Ken
平成7年(1995)、1月17日、午前5時46分、明石海峡海底10キロを震源としてマグニチュード7.2の地震が淡路・阪神地方を襲った。震災を記念して震災法要が西林寺(神戸市東灘区北青木)で行われた。
最寄駅の阪神御影を朝5時5分発の電車に乗り、青木駅下車、徒歩5分で西林寺に着いた。法要の始まる前に、あるご婦人と二言、三言言葉を交わした。その方は家が全壊した。やっと気持ちの整理がつき、丸15年たって初めて、お参りできて有難いと話した。
日曜日だから始めて来れたというある男性が話していた。水道管が破裂して水が飲めず、放置していた井戸からくみ出して水を飲んだ。カビ臭かったと話していた。被災者共通の話は水である。飲み水には当然、困った。しかし、問題はトイレである。
地震を経験したことがない解説者が得々と震災の心得を話すが、失礼だが、聞けたものではない。彼らの話にトイレが最大の問題点であることに全く触れない。あの時の神戸は幸い寒かった。今回のハイチのように熱帯では、糞尿の悪臭、仏さんの死臭はいかばかりかと心配する。お金も救助隊も大事だが、簡易トイレをハイチに、日本からですと空輸してあげたらどれほど喜ばれるだろうかと思う。
三々五々訪れた10名近くのお参りの方と一緒に僧侶の藤川師のお経に唱和した。藤川師をいれて祭壇をスケッチした。
西林寺は新築2ケ月で地震で全壊した。本堂でこうして法要が営まれるのは夢のようだ有難いと話した。地震で家が倒壊すると家が凶器になる。家の下敷きになりなくなった人を引っ張り出すのは重かった。苦労した。息のあるひとは自分で手足をうごかしてくれる。軽かったと話した。
神戸市東灘区長から聞いた話だがと前置きして、東灘区の人口は3年前に震災時の人口を超えた。昨年の調査だが、60%弱の住民が地震を知らない。転居した人の多くは神戸に戻っていない。市外から来たひとと震災後生まれた人が増えた。先日、当時5歳の子供が成人式を迎えた。彼らのほとんどが地震を覚えていない。
藤川師は家が凶器になるといったあと、家という漢字を黒板に書いた。ウ冠(かんむり)は屋根である。屋根の下に豚という字が入って家と書く。
仏教に六道という言葉がある。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天のことである。人間も豚(畜生)も同じ六道(家)という屋根の下に住んでいる。ここにある「天」は「有頂天」の天であると話しを続けた。
人は六道をぐるぐる回っている。七歩目が悟りである。お釈迦さんは生きている間に七歩目に到達された。つまり悟りを開かれた。
震災記念日などでなき方のご冥福を祈りますとしばしば言う。仏教では、なくなった方がいま生きている人の冥福を祈っておられる。なくなった方から今生きている人が偲ばれている。いま生きている人がしっかり生きてくれとなくなった人に願はれているのですと藤川師の話は続いた。
「恩愛の情 たちがたく」という言葉を黒板に書いた。恩とはお陰さまという意味である。震災のとき一杯の水が飲めることがどれほど有難かったか。インドには井戸を掘った人の苦労を知ってから水を飲めという言葉があるそうだ。
皆が喜ぶだろうと思って必死になって井戸を掘った。損得なしに井戸を掘って下さった。「恩愛の情たちがたい」という言葉はお陰さんという意味である。もったいないという言葉もお陰さんと同列の言葉であると藤川師は話を続けた。
今、日本には不平不満が充満している。感謝することを忘れている。ありがとうの一言が素直に言えない人が増えた。震災という恐ろしい経験をした。お陰さんで大切な命をいただいた。震災を経験した人間は、機会あるごとに、恥ずかしがらずに、震災体験を語り続ける責任があると常々思う次第である。(了)
震災法要:西林寺
江嵜企画代表・Ken
平成7年(1995)、1月17日、午前5時46分、明石海峡海底10キロを震源としてマグニチュード7.2の地震が淡路・阪神地方を襲った。震災を記念して震災法要が西林寺(神戸市東灘区北青木)で行われた。
最寄駅の阪神御影を朝5時5分発の電車に乗り、青木駅下車、徒歩5分で西林寺に着いた。法要の始まる前に、あるご婦人と二言、三言言葉を交わした。その方は家が全壊した。やっと気持ちの整理がつき、丸15年たって初めて、お参りできて有難いと話した。
日曜日だから始めて来れたというある男性が話していた。水道管が破裂して水が飲めず、放置していた井戸からくみ出して水を飲んだ。カビ臭かったと話していた。被災者共通の話は水である。飲み水には当然、困った。しかし、問題はトイレである。
地震を経験したことがない解説者が得々と震災の心得を話すが、失礼だが、聞けたものではない。彼らの話にトイレが最大の問題点であることに全く触れない。あの時の神戸は幸い寒かった。今回のハイチのように熱帯では、糞尿の悪臭、仏さんの死臭はいかばかりかと心配する。お金も救助隊も大事だが、簡易トイレをハイチに、日本からですと空輸してあげたらどれほど喜ばれるだろうかと思う。
三々五々訪れた10名近くのお参りの方と一緒に僧侶の藤川師のお経に唱和した。藤川師をいれて祭壇をスケッチした。
西林寺は新築2ケ月で地震で全壊した。本堂でこうして法要が営まれるのは夢のようだ有難いと話した。地震で家が倒壊すると家が凶器になる。家の下敷きになりなくなった人を引っ張り出すのは重かった。苦労した。息のあるひとは自分で手足をうごかしてくれる。軽かったと話した。
神戸市東灘区長から聞いた話だがと前置きして、東灘区の人口は3年前に震災時の人口を超えた。昨年の調査だが、60%弱の住民が地震を知らない。転居した人の多くは神戸に戻っていない。市外から来たひとと震災後生まれた人が増えた。先日、当時5歳の子供が成人式を迎えた。彼らのほとんどが地震を覚えていない。
藤川師は家が凶器になるといったあと、家という漢字を黒板に書いた。ウ冠(かんむり)は屋根である。屋根の下に豚という字が入って家と書く。
仏教に六道という言葉がある。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天のことである。人間も豚(畜生)も同じ六道(家)という屋根の下に住んでいる。ここにある「天」は「有頂天」の天であると話しを続けた。
人は六道をぐるぐる回っている。七歩目が悟りである。お釈迦さんは生きている間に七歩目に到達された。つまり悟りを開かれた。
震災記念日などでなき方のご冥福を祈りますとしばしば言う。仏教では、なくなった方がいま生きている人の冥福を祈っておられる。なくなった方から今生きている人が偲ばれている。いま生きている人がしっかり生きてくれとなくなった人に願はれているのですと藤川師の話は続いた。
「恩愛の情 たちがたく」という言葉を黒板に書いた。恩とはお陰さまという意味である。震災のとき一杯の水が飲めることがどれほど有難かったか。インドには井戸を掘った人の苦労を知ってから水を飲めという言葉があるそうだ。
皆が喜ぶだろうと思って必死になって井戸を掘った。損得なしに井戸を掘って下さった。「恩愛の情たちがたい」という言葉はお陰さんという意味である。もったいないという言葉もお陰さんと同列の言葉であると藤川師は話を続けた。
今、日本には不平不満が充満している。感謝することを忘れている。ありがとうの一言が素直に言えない人が増えた。震災という恐ろしい経験をした。お陰さんで大切な命をいただいた。震災を経験した人間は、機会あるごとに、恥ずかしがらずに、震災体験を語り続ける責任があると常々思う次第である。(了)