夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
心かしこき関守侍り」と聞ゆ。また立ち返り、
逢坂は 人越えやすき 関なれば 鳥鳴かぬにも あけて待つとか
一晩中鶏の声色で函谷関の関守を騙すとしても、男女が会うところの逢坂の関は許しませんっ(あんたの嘘鳴きにひっかかるかいな)
しっかり者の関守ここにあり、と申し上げる。
このまえにさんざ史記のこの典拠の話をしたあとだから、クドいくらいだ。「心かしこき関守侍り」なんか優秀な編集者なら削るところだ、――かどうかはわからんが。歌集で見るより、この歌はそれほど才気爆発には見えない。というか、ついに親父の呪縛から逃れた「恋する女」という体の何かで本領発揮という感じなのだ。そして、意外なのは次の行成の返事の方だ。
その逢坂の関とやらは鶏がなかないにもかかわらず、戸を開けて待ってるらしいですよ
ここまで失礼な下品なうたいっぷりは西村賢太かおまえは、というかんじである。――というのは冗談であるが、実際の逢坂の関には、この歌の碑まであるそうである。なんと……
にもかかわらず、このやりとりにはねちっこい恋心は感じられない。さっぱりとしたもんである。
とはいえ、この人たちが関所というもんを知っていたかどうかは分からない。先日、わたくしは自分の先祖が鳥居峠を越え、追っ手を逃れて木曽に駆け込んでくる夢をみた。よく分からんが、あちらが悪いのに逃げざるを得なかったのである。福島関所にさしかかって、逃亡者であるわたくしの先祖は恐怖のあまり関所をそれて木曽川の方に下った。
道でない道を木曾川に添うて一散に走った。どこへ行くという当てもなかった。ただ自分の罪悪の根拠地から、一寸でも、一分でも遠いところへ逃れたかった。
――「恩讐の彼方に」
こんな気分である。清少納言はこんな現実などよく知っていたに違いない。なにしろ、政府のど真ん中にいるのだ。そこから上のような軽妙なやりとりを見せつけるのは大した根性なのであろう。確か、相手の行成という人、トイレに行く途中で転んで死んじゃったとか……。