★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

悪口礼賛におけるプラス面とマイナス面

2020-02-29 23:18:18 | 文学


人の上言ふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。いかでか言はではあらむ。我が身をば差し置きて、さばかりもどかしく言はまほしきものやはある。されど、けしからぬやうにもあり、また、おのづから聞きつけて、恨みもぞする、あいなし。また、思ひ放つまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じて言はぬをや。さだになくは、うちいで、笑ひもしつべし。


人の悪口に対して腹たてるひとって訳分からないですね。どうして言わないでいられます?自分のことはさておいて、これほど非難したく言いたいことってあるかしらっ?

完全に同意します。がっ、あの居住空間で悪口言ってたら筒抜けでしょうが、と思うのは現代人だけで、実際の悪口はちょっと聞いただけでは悪口ともなんとも言いがたい言い方をしていたのかもしれない。我々は、その点、外に声が漏れない密閉空間になれていて、ほとんど犯罪に近いことを口走る人さえあるのは周知の通りだ。ネット空間でもその調子なのでみんな困っているわけであるが、ネットは空間ではない。ネットは世界中に行き渡った直通電話なのだ。悪口は筒抜けと知るべし……。

最後の「笑ひもしつべし(笑いもしてしまいたいところです)」も正直だ。悪口は溜飲を下げるためでも批判をするためでもなく、殆どの場合笑うためにやっているのである。笑いの欲望を強める文化は、自然と悪口も強くなる。現代をみたまえ……

いったい私にとっては笑うべき事と笑う事とはどうもうまく一致しなかった。

――寺田寅彦「笑い」


さすが科学者はちゃんとこういうことが分かっているから素晴らしいと思う。清少納言は正直で人間の生態がよく見える人ではあったが、気持ちそのものに正直になりすぎるところがあった。人文的なものに対する科学はやはり必要なのである。最近は、笑いと悪口と、自分の気持ちだけに正直な人々が溢れかえっている。科学が人間に向かわずに、人間の生活だけに向かっている時代の特徴であろう。