
この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行く末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかにおもひて、うち怠りつつ、まづ、さしあたりたる、目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。つひに、物の上手にもならず、おもひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へ行く。されば、一生の中、むねとあらまほしからんことの中に、いづれか勝ると、よくおもひ比べて、第一の事を案じ定めて、その他はおもひすてて、一事を励むべし。
エリートの処世術としてはそんなもんかもしれないが、――世間の人が目標がいまいち定まらないのは、兼好法師が歯牙にもかけない目標、例えばうまいものを食べたいとか、美しい人となかよくなりたいとかいう目標に比べて、その一事的という優等生的=職業的な目標にいまいち乗れないからに他ならぬ。しかも、人生はもっといろいろな事が起こり、目標達成みたいなことよりもその事をどうにかすることが優先されるのである。これは当たり前のことである。
兼好法師みたいに、一事に身を捧げるという意識でやっていると、かならずうまくいかなくなったときに、別のものに浮気したり、「楽しめばいいさ」みたいなオタク化に陥ったりするものである。その危険性が見えない兼好法師はたぶん依存的な傾向を持つ人間だ。
私は自分の作品の中で、私の生れた家を自慢しているように思われるかも知れませんが、かえって、まだ自分の家の事実の大きさよりも更に遠慮して、殆どそれは半分、いや、もっとはにかんで語っている程です。
一事が万事、なにかいつも自分がそのために人から非難せられ、仇敵視されているような、そういう恐怖感がいつも自分につきまとって居ります。そのためにわざと、最下等の生活をしてみせたり、或いはどんな汚いことにでも平気になろうと心がけたけれども、しかしまさか私は縄の帯は締められない。
――太宰治「わが半生を語る」
これはまた違った意味での「一事」であって、太宰は自分が何か「一事」の中に閉じ込められていると知っていた。これは家制度の問題でもあったが、彼は自我というのは、家のような縄だと言いたいのである。特に彼が生きた時代は、おそろしく空想的なものが存在を許されていた。家のような縄もその一部だと思われた。彼が戦争に際して、それに熱狂する人間さえも排除できなかったのは、自分をその縄のように空想に紐帯するものと思っていたからである。
いまの70歳ぐらいの世代は戦後世代で、オリンピックに対する態度もある種独特である。実際高校生とか中学性であってテレビもあったけれどもオリンピックを見ていたのは本当に多かったのか疑問もある。「テレビはあったんだけど見てない、映画は見たんだけど」という人が結構いるはずである。つまり何が言いたいかというと、わたくしの父の世代にとって自分の国で行われる夏のオリンピックを初めて「みる」のが今回だったのである。札幌や長野の冬のやつは仕事で忙しくて見てないのかもしれない。――つまり前回のやつは、首相の言とは逆にほぼ空想の産物なのである。今回こそ「見ら」れるというわけだ。
今回も飛行機が五輪を描けてないとか描けてるとか議論があったわけだが、あんなのも実際見たやつは前回も少数であって、国民のほとんどにとってはほぼ空想だったわけだ。今回もある意味空想でよいわ。でも、この空想を抱かせることがメディア環境も変わったなかでとっても難しいのである。
そんななかで、縄をどこにつけてよいのかわからない人間達で溢れかえってしまっている。