妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。殊なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。まして、家の内を行ひ治めたる女、いと口惜し。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空にこそならめ。よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、珍らしかりぬべし。
現代でもよくある独身論である。とくに珍しくも何ともないようなきがするが、「殊なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし」(なんてこともない女をいいねと思い込んで夫婦になったに違いないと推測されるし、よい女の場合は、かわいがって本尊のように大切にお世話差し上げているのであろう、たとえてみりゃそんな感じであろうとゼッタイ思われてくる)なんて、よくあるモテないやつの強迫的妄想である。なぜそんなことがわかるのかっ、わたくしがそんなことを思っていたからである。
兼好法師も、山之口貘のように
詩は僕を見ると
結婚々々と鳴きつゞけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた
みたいな時代があったに違いない。山之口は、
僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと鳴かなくなつた
いまでは詩とはちがつた物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の陰にしやがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ。
としめていて、詩とお金を主体的なモノと見る地点に踏みとどまり、決して女のせいにはしていないのだ。山之口は非常にハンサムな詩人であって自信があり、兼好法師にないのはそれであった。彼は、芸術の世界をついに女と男の世界に持ち込む勇気がなかった。つまり、煩悩の地獄に墜ちたままだったのである。