〔次第〕ワキ・ワキツレ「今を始めの旅衣、今を始めの旅衣、日も行く末ぞ久しき」
〔名ノリ〕ワキ「そもそもこれは九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成とは我が事なり、我いまだ都を見ず候程に、この度思ひ立ち都に上り候、又よき序なれば、播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候」
〔上歌〕ワキ・ワキツレ「旅衣、末遙々の都路を、末遙々の都路を、今日思ひ立つ浦の波、船路のどけき春風の、幾日来ぬらん後末も、いさ白雲の遙々と、さしも思ひし播磨潟、高砂の浦に着きにけり、高砂の浦に着きにけり」
今の世の中、ワキとワキツレが最後まで老人夫婦が出てきたことに気付かず、高砂の松の写真をスマホで永遠と撮り続けたとおもえば、愚痴を言い合ったりしているうちに終わってしまうような感じがする。かれらに欠けているのは、囃し手のかたちづくる緊張に耐える神経でもあるが、たぶん面を付けない無骨さであって、はじめから面をかぶってるやつに物事が姿を現すはずはない。東浩紀の言うように、旅人は観客でなければならないのかもしれない。観客は面を付けてはならず、舞台からは素顔が曝されている。そういうときに、安心して囃し手の音の中から面をかぶった爺さん婆さんが姿を現すのである。
わたくしの家系には母方の先祖から父や妹2に至るまで能や謡、舞踊にはまり込む人間がいる。わたくし自身はなんとなく苦手意識があったが、ようやく最近、それがものを現出させる手法として興味が出てきた。とりあえず、人間の思考を図式に還元して「見える化」とか言っている偽近代人みたいなのが横溢するなか、さすがにこれではものは現れないと思うからである。
わたくしの結★式でも、父が高砂の謡を、妹2が舞踊を披露し、近代的になりかかった式に別の趣を与えた。式は神式だったし、――ほんとは巫女の舞も計画されていたがやめた――その重層的効果か、集合写真はどうみても大正時代の写真みたいな趣を醸していた。わたくしは、近代國文學を学ぶ端くれであり、グローバリズムの嵐の中に於いてもただじゃおわらんのである。わたくしにたぶん合わせているのだと思うが、木曽はまだ夜明け前でグローバリズムどころではなく近代もまだなのだ。
わたくしの同業者など、ポストモダニストが多いから、式を拒否したり自我を肥大化させたりして、かえってグローバリズムの餌食になっているではないのかっ。わたくしもその一味であったが、生き方において何か特異な不幸や僥倖がやってこない人間は、学ではなく勉強をやっているだけの輩であろう。
このまえ、成瀬正一が米国留学時代に書いた書簡を拝見する機会があった。芥川龍之介や菊池寛とちがって学者肌かつ感情的な彼は小説をうまく書けないだけでなく、評論も若い頃はあまりうまくはない。しかし、彼は米国で黒人差別の現場に導かれるように遭遇するし、いろいろと経験する人間である。要するに、彼は爺さん婆さんに常に会う。