★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

疫病・幽霊

2020-02-14 23:29:11 | 文学


胸つぶるるもの 競馬見る。元結よる。親などの、心地あしとて、例ならぬけしきなる。まして、世の中など騒がしと聞ゆるころは、よろづの事おぼえず。

親などが気分が悪いと普通でない様子の時、まして、世の中に疫病がはやっているときには何も手に付かない。

疫病は目に見えないので、なにかそれを表象する物が代わりに想像されてきた。それが文化の発展と関係があったのは言うまでもない。結核、エイズ、の段階に至ってもそうであった。本当は、コンピュターウイルスもそうなのだ。もっとも、目に見えないが、これはだれかがつくったことは確かだ。よって、疫病が人類の敵であったのと同じく、人類が人類の敵になったのである。最近のよのなかの憎しみあいは、コンピュターウイルスに対する文化的解消なのである。

――かどうかは知らないが、我々は目に見えないものの代替物として人間そのものを見るようになったので、ときどき、気の利いた人が、人間そのものが「幽霊」なのではないかと立論している。マルクスの言う意味を越えて、われわれは人間を幽霊と見なすような段階に入った。

今日、マーク・フィッシャーの『我が人生の幽霊たち』が届いたので、そんなことを思ったのである。

写真で御承知であらうが、南洋辺の土人の祭りでは、人間が恐しい巨人の扮装をする。これは信仰の意味を豊かに持つ。日本でも、南方にはこの風習が残つて居る。北へ行くほど人形がおとなしくなる。
この巨人の人形は、村を訪問して来た神を指す。これを踊り神と称して、人々も一緒に踊る。言ひ換へれば踊り祭りの中心になるのである。人間が仮装してもよし、自由に動かし得れば人形でもよい訣である。旧日本の踊りでは、やつてきた巨人は為方がないから、歓迎するやうにして追ひ出すと言ふ形式が習ひになつてゐる。踊りに捲き込んで快く出るやうにする。後になれば、風の神や疱瘡神の機嫌をとつて送り出すのだが、昔は善悪の神を問はず、共通の送迎の為方があつたのである。


――折口信夫「人形の起源」


機嫌をとって送り出すことは、むろん、踊っている本人たちのパニックを鎮める効果もあったんじゃないかと思う。いまはこれは難しい。科学で人の心を静めるのは簡単ではないのである。

太った人の前と後

2020-02-12 23:17:38 | 文学


式部の丞の笏。黒き髪の筋わろき。布屏風の新しき。古り黒みたるは、さる言ふかひなき物にて、なかなかなにとも見えず。新しうしたてて、桜の花多く咲かせて、胡粉、朱砂など彩どりたる絵ども描きたる。遣戸厨子。法師のふとりたる。まことの出雲筵の畳。

お坊さんだって太ることはあるわいな……。さくらの花を下品に描くのは確かにいやである。最近は、桜なら何でもいいと思っているやつも居るくらいだ。ひどい。

告白すると、私は、ショパンの憂鬱な蒼白い顔に芸術の正体を感じていました。もっと、やけくそな言葉で言うと、「あこがれて」いました。お笑いになりますか。海浜の宿の籐椅子に、疲れ果てた細長いからだを埋めて、まつげの長い大きい眼を、まぶしそうに細めて海を見ている。蓬髪は海の風になぶられ、品のよい広い額に乱れかかる。右頬を軽く支えている五本の指は鶺鴒の尾のように細長くて鋭い。そのひとの背後には、明石を着た中年の女性が、ひっそり立っている。呆れましたか。どうも私の空想は月並みで自分ながら閉口ですが、けれども私は本気で書いてみたのです。近代の芸術家は、誰しも一度は、そんな姿と大同小異の影像を、こっそりあこがれた事がある。実に滑稽です。大工のせがれがショパンにあこがれ、だんだん横に太るばかりで、脚気を病み、顔は蟹の甲羅の如く真四角、髪の毛は、海の風に靡かすどころか、頭のてっぺんが禿げて来ました。そうして一合の晩酌で大きい顔を、でらでら油光りさせて、老妻にいやらしくかまっています。

――太宰治「風の便り」


近代の作家は酷いこと書くねえ……。これに比べると、法師の太りたるの前後に遣戸厨子や畳を配置している清少納言は優しい人である。

そういえば、橋爪大三郎の『小林秀雄の悲哀』をまだ読んでなかったのでめくってみたが、――おもうに、小林秀雄は自分で何を書いていたのか読解できていないのではないかと思うのだ。

「恐ろしげなるもの」対策

2020-02-11 23:46:18 | 文学


恐ろしげなるもの
橡のかさ。焼けたる所。水ふふき。菱。髪多かる男の、頭洗ひてほすほど。


考えてみると、ドングリの傘、焼き芋、オニバス、菱の実などが、なぜ恐ろしく感じるのか不思議である。フロイトなら、それはすでに髪の毛が多い男が髪を乾かすような姿が否認されて不気味なものとして顕れているのだとかいいそうなもん(←適当)である。それは冗談であるが、不思議なことには変わりない。

これに比べれば、人間界での差別など、その原因を自覚できる類いであり、よけいに差別をドライブしてしまうのであろうが、なんとか個人レベルでは押さえ込めないことはないと思うのだ。ただ、これは可能性であって、どうなるか分からない。そんな畏怖は捨ててはならないと思う。最近は、怒りやルサンチマンの原因をテレビで図式的に説明していることもあるが、心の世界を舐めているなあと思う。心や教育について科学的な知見が流通すると、我々は対象を舐めるようになったのだ。これは八幡山を恐れなくなったのとは違い、どうしようもなく決定的なことである。

基本的に、子どもの教育とか家庭内の関係なんか、絶対にうまくいくはずがないのである。そんな基本的なことも忘れるから社会が壊れるのである。のんびりした気分を喪失した人間関係は必ず桎梏となる。浅はかな操作的な行為は逆効果だ。コミュニケーションがうまく行かなかったからといって、そんなのは人間の通常運転だ。過剰にどうにかしようという輩がどんどん事態を悪化させて行く。反省をすぐに言わせる学校的なやり方は最初のさしあたりの秩序維持という方便を忘却することによって本当の言論統制となる。

ああ神よ! もう取返す術もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞な最後の日に。
 今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒を飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。


――萩原朔太郎「虚無の歌」


確かに、こう言っていてもしょうがないから何とか策を打ち出そうとするのが人間なのだが、その策によって余計事態をこんがらがらせてしまうのが人間である。

白い繭

2020-02-10 23:02:49 | 文学


ふと私は自分の脳に何か暗い影が横切るやうな気持だつたが、恰度そこへSが帰つて来た。それで話はすぐ他の話題に移つて行つた。が、暫くすると、Sもやはり脳のなかにある白い繭のことから余程シヨツクをうけてゐるらしく、不安な顔つきで奇怪な病気のことを云ひだした。それは私がSの細君から聞いた筋と同じだつたが、その病気がエヒモコツクスという寄生虫のためらしいこと、普通その寄生虫は警魚といふ中国の魚にゐて刺身などから感染すること、人体にとりつくと全身いたるところに切傷のやうな傷跡を発生するが、それが脳にまで侵入することは全く稀有のことらしい、とSは新しい註釈をつけ加へた。
「その山宮泉は昔、芥川龍之介論で『歯車』のことを書いていて、人間の脳の襞を無数の蝨が喰ひ荒らしてゆく幻想をとりあげてゐるのだが……」と、Sは何か暗合のおそろしさをおもふやうな顔つきをした。


――原民喜「二つの死」


「赤い繭」は教科書に載せられたが、こちらの方はどうだったのであろう……

「言はで思うぞ」と「言うな!」

2020-02-09 22:50:20 | 文学


紙には、物も書かせ給はず、山吹の花びらただ一重を包ませたまへり。
それに、「言はで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日ごろの絶え間嘆かれつる、皆慰めて嬉しきに、長女も、打ちまもりて、「御前には、いかが、物のをりごとに思し出で聞えさせ給ふなるものを、誰も、怪しき御長居とこそ、侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」と言ひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて参らむ」と言ひて去ぬる後、御返事書きてまゐらせむとするに、この歌の本、更に忘れたり。
「いとあやし。同じ古事といひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、いかにぞや」など言ふを聞きて、小さき童の前に居たるが、「下行く水、とこそ申せ」と言ひたる。など、かく忘れつるならむ、これに教へらるるも、をかし。


童の教えてくれたのは、「心には下ゆく水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(古今六帖)で、あたりまえであるが、「申せ」といいながら、「のわきかえり」まで言って居ないところがいいのである。「言はで」ということはこの際守られなければならないのであった。

問題は心なので、言葉の組み合わせで何か面白いものが出来たとしても、――基本は心は言わないに越したことはない、言うと表現できない、ということがある。われわれはこの頃そういう自明のことまで忘れがちになる。

太宰なんか、「走れメロス」で、メロスが「言うな!」というせりふを、猜疑心の塊である王さまに対して言っている。この「言うな!」は、物語の最後まで効いている。讒言も陰口も心ではなく言葉であり、王さまはこれに怯えている。こういうタイプに対してはまず「言うな!」と言わなければならないのである。

一方、喋りすぎる人がいる。

「物言ふ術」の心得第何条かにかういふ文句がある。(サンソンの『演技論』)
――知つてるやうな風をするな。考へるやうな風をせよ。
 なかなか面白い注意である。


――岸田國士「物言ふ術」


岸田國士氏はものを言い過ぎたタイプである。演劇をやっていたからかもしれない。太宰のように、「言うな!」「信じろ」と戦時中言っていると本当に見るべきところを忘れることだってある。だから一般論として、心だけに注目すべきではないというのも事実であろうが、「考へるやうな風」だけをすれば自己欺瞞は必然だ。戦後繁茂したのは、こういう態度である。

わたくしも昔、学校で舞台に立ったとき、すごく追い詰められた気がしたものだ。必死に何かをしゃべって、迫り来る壁みたいなものをはじき飛ばそうとする。一流の役者になると、心がわきかえるかんじも表現してしまうからすごいんだけれども……。我々は、そういうことを真似すべきではないと思う。

つれづれの後始末

2020-02-08 18:09:10 | 文学


つれづれなぐさむもの。碁、双六、物語。三つ四つのちごの、ものをかしういふ。まだいとちひさきちごの、物語し、たかへなどいふわざしたる。くだもの。男などのうちさるがひ、ものよくいふがきたるを、物忌なれど入れつかし。

國分功一郎氏が暇について本を書いていたけれども、暇は人生に於いて巨大であり、処理を間違えると大変なことになるというのは周知の事実だ。ファシズムの原因とはいわんけど……

上の「たかへ」が何なのかはよく分からないらしいけれども、子どもの物語というのは嘘や間違いを自ら求めるみたいなところがあり、小学校の先生たちはそれを忘れがちになる。でそれを抑圧すると「暇」が発生する。とはいえ、子どももちゃんとそういう環境にも適応して、何の面白さもなさそうな「遊び」も面白いと思うようになる。ゲームや酒飲みはそういう類いだとわたくしは思うのだ。たぶん、多くの人にとっての旅行もそういうものである。間違いや嘘を求める背徳的なものにそれらがなりがちなのはそういうことだ。

清少納言の「くだもの」というせりふは、とても絶妙な合いの手である。いわば暇に任せて「にっほんすげえー」とか「はいるヒットラー」という怒号をする人々を尻目に、「くだもの」と合いの手を入れると言えばよいであろうか。

もぅりの
もぅりの木のかげで、
みゝながうさぎのくだものや。
つぶのそろつた
さくらんぼ、
まつかであまい
大西瓜。
やすうり
なげうり
大べんきやう。
かわいいぼつちやんは
じてんしやで、
きれいなおぢやうさんは
かごもつて、
さあ さあ
いらつしやい、
おほやすうり。

めかたはたつぷり
まちがひなし、
どこのみせより
おほやすうり。


――村山壽子「うさぎのくだものや」


村山壽子の童話は屡々アニメーションのような加速があるが、うさぎと果物を組み合わせている点でエンジンを二つ付けているようなものだ。こうなると暇ではなく忙しい。マスクを買いに突入する人民にそんな心が混ざってないとはいえない。こういう場合に必要なのは、科学である。

逢坂の関をめぐって

2020-02-07 22:20:56 | 文学


夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
心かしこき関守侍り」と聞ゆ。また立ち返り、
逢坂は 人越えやすき 関なれば 鳥鳴かぬにも あけて待つとか


一晩中鶏の声色で函谷関の関守を騙すとしても、男女が会うところの逢坂の関は許しませんっ(あんたの嘘鳴きにひっかかるかいな)
しっかり者の関守ここにあり、と申し上げる。


このまえにさんざ史記のこの典拠の話をしたあとだから、クドいくらいだ。「心かしこき関守侍り」なんか優秀な編集者なら削るところだ、――かどうかはわからんが。歌集で見るより、この歌はそれほど才気爆発には見えない。というか、ついに親父の呪縛から逃れた「恋する女」という体の何かで本領発揮という感じなのだ。そして、意外なのは次の行成の返事の方だ。

その逢坂の関とやらは鶏がなかないにもかかわらず、戸を開けて待ってるらしいですよ

ここまで失礼な下品なうたいっぷりは西村賢太かおまえは、というかんじである。――というのは冗談であるが、実際の逢坂の関には、この歌の碑まであるそうである。なんと……

にもかかわらず、このやりとりにはねちっこい恋心は感じられない。さっぱりとしたもんである。

とはいえ、この人たちが関所というもんを知っていたかどうかは分からない。先日、わたくしは自分の先祖が鳥居峠を越え、追っ手を逃れて木曽に駆け込んでくる夢をみた。よく分からんが、あちらが悪いのに逃げざるを得なかったのである。福島関所にさしかかって、逃亡者であるわたくしの先祖は恐怖のあまり関所をそれて木曽川の方に下った。

道でない道を木曾川に添うて一散に走った。どこへ行くという当てもなかった。ただ自分の罪悪の根拠地から、一寸でも、一分でも遠いところへ逃れたかった。

――「恩讐の彼方に」

こんな気分である。清少納言はこんな現実などよく知っていたに違いない。なにしろ、政府のど真ん中にいるのだ。そこから上のような軽妙なやりとりを見せつけるのは大した根性なのであろう。確か、相手の行成という人、トイレに行く途中で転んで死んじゃったとか……。

いと高きところに習合あれ

2020-02-06 23:01:29 | 文学


三浦常夫(尾高根太郎)の「いと高きところに栄光神あれ」は小文であるが、なかなかのもんで、「るしふえる」の堕落を持たざるを得ない基督教を西田哲学風の理屈を軽妙に使って大乗仏教を持ち上げておる。勢い余って「阿呍阿教」とか例の「生長の家」の教義にまで言及し、「聖徳太子、また聖武天皇の御精神が今日に花開く」とかなんとか言っている。

「日本の古神道と大乗仏典の美しい混血児」を望む三浦は、「いと高きところに栄光、神にあれと僕は絶叫して止まないのである」と絶叫している。最後はルカ伝かよ……

思うに、まだ絶叫するのははやいのではなかろうか、とは思うのだが、そこをとったら彼らはただの文人になってしまう。日本浪曼派のこのような大仰さは馬鹿にされてきたところだけれども、この人たちもある種の神仏習合のリニューアルをやろうとしていたわけである。そのエンジンは独逸経由のそれであるところが妙に面白い、というかある種、その習合がカトリック的な大仰さに移行しがちだったのである。その点、戦後の保田▼重郎や小林秀雄、花田★輝や吉◎隆明にいたるまで、どこをどうしたらというところで迷っていた気がする。問題自体は続いていると思うのである。――というより、わたくしはまだ彼らの迷いから先へ続けるのがよいと思うのである。

そうでないと、上の「生長の家」などの新興宗教が社会の中で孤立して暴発する怖れがある。昨今の自民党の独裁者問題、オウム事件、昨今の「道徳」の国家からの強制問題、などなどはすべて同じ現象なのである。社会の中から特に仏教的倫理と素養が蒸発してしまい、代替の近代文学なんかも機能を失った、その砂漠からの絶叫(笑)がその現象だ。

どうにかせねばと思うのだが――その障害になってるのが、あまりにわれわれが思想的に休止していたためか、日本の社会が崩壊してしまい、――その惨状を嫌悪感をもってしか見られなくなってしまったことである。これはアメリカナイズに対するものでない。アメリカというものは「思想」ではなかった。アメリカがもっと強烈な文物であったなら、われわれはもう少し習合を試みたはずだ。しかし来たのは原爆とコカコーラだったのである。

テューモスと戦うことは難しい

2020-02-05 21:36:43 | 文学


九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさしいでたるに、前栽の露、こぼるばかり置きわたりたるも、いとをかし。透垣の羅文、軒の上に、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。
少し日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、露の落つるに、枝のうち動きて、人も手触れぬに、ふと上ざまへあがりたるも、いみじうをかし、と言ひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじ、と思ふこそ、またをかしけれ。


最後に、「露が落ちると、枝が動いて、人の手も触れないのに、さっと上へ跳ね上がのもとても面白い、と言っていることが、他の人にはつゆ(全く)面白くあるまいなあと、思うのがまた面白い。」と言ってるのが、清少納言である。露とつゆを掛けているのであるが、自慢にレトリックを使うととてもいやな感じになるのは、思い上がっている学者の謝辞とかに案外ある。すべてを自己顕示に持っていってしまうような症状的クズの増殖が止まらない。

最近のフランシス・フクヤマの本(「アイデンティティ」)でも、言っていた気がするんだが(フランシス・フクヤマはまたみんなが言おうとしていることをいうみたいな態度である。歴史は終わったんでなかったの?)、――所謂「気概」(テューモス)がギリシャからタイムマシンに乗って現代でまた復活しようとしている気がする。むろんオリガーキー(寡頭制)に移行しようとする動きと連動しているわけである。これは三島由紀夫の語る「葉隠」の忍ぶ恋=忠誠心のようなもんであるが、それを語るのは三島がかわいそうな弱い人間に同情的だからである。忍ぶ恋のようなところに魂の座をみているから三島はそんなことを言っているんだろうと思うのだ。

エネルギーはあっても、もっとどうしようもない人間がいる。結局、三島のクーデターは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタネン批判を秘めていなければ使えないのではなかろうか。

テューモスと戦うことは難しい。何であれ欲するところのものを魂を引き換えに購おうとするからである。

――ヘライクレイトス断片85

我ぞとてさし出でたる

2020-02-04 23:08:51 | 文学


はしたなきもの。異人を呼ぶに、我ぞとてさし出でたる。物など取らする折は、いとど。おのづから人の上などうち言ひそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに言ひ出でたる。
あはれなることなど、人の言ひ出で、うち泣きなどするに、げに、いとあはれなり、など聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。泣き顔作り、気色異になせど、いとかひなし。めでたきことを聞くには、まづただ出で来にぞ出で来る。


「我ぞとさし出でたる」には、その肉体的な動きまで感じられてこれは現代語訳ではかんじがでない。他人を呼んだのに自分だと思って顔を出してしまった。とでも訳すのであろうが、どうしても、動作と心理が別に記述されるのがあまりしっくりこない。

「めでたきことを聞くには、まづただ出で来にぞ出で来る」も、出てくるのは涙なんだが、これが記されていないことによって、出る感じがじつにそのひょろひょろしたものに思えて面白いと思う。確かに、悲しいことでは涙が出てこないのに、喜ばしいことではすぐに出てくるのだ。なんだかわからない。

複雑な感情が涙を出させるのだとわたくしは最近まで思っていたが、そうでもないかもしれない。小林秀雄の講演集を久しぶりに聞いていたら、人は常に一つのもんだ、二つなんかに分かれているはずがない、と言っていたので自信がなくなってきたのである。そうか、記憶の問題か、といろいろ考えてもみたんだが、どうもよくわからなくなってきたので、本居宣長でも読んでみるかと思っていたら、日が暮れた。

今日は、忙しかったのである。文学の視点において過去は重要である。この前の論文では、意図的にそのことは無視していたのだが、次回は考えてみたい。

盆栽

2020-02-03 23:28:12 | 文学


この飛び石のすぐわきに、もとは細長い楠の木が一本あった。それはどこかの山から取って来た熊笹だか藪柑子だかといっしょに偶然くっついて運ばれて来た小さな芽ばえがだんだんに自然に生長したものである。はじめはほんの一二寸であったものが、一二尺になり、四五尺になり、後にはとうとう座敷のひさしよりも高くなってしまった。庭の平坦な部分のまん中にそれが旗ざおのように立っているのがどうも少し唐突なように思われたが、しかし植物をまるで動物と同じように思って愛護した父は、それを切ることはもちろん移植しようともしなかったのであった。しかし父の死後に家族全部が東京へ引き移り、旧宅を人に貸すようになってからいつのまにかこの楠は切られてしまった。それでこの「秋庭」の画面にはそれが見えないのは当然である。しかしそれが妙に物足りなくもさびしくも思われるのであった。

――寺田寅彦「庭の記憶」


上の写真は、瀬戸芸の女木島での作品で、平尾成志さんの盆栽。すごい……

心と心理

2020-02-02 22:45:18 | 文学


むとくなるもの 潮干の潟にをる大船。大きなる木の、風に吹き倒されて根をささげて横たはれ伏せる。えせ者の、従者かうがへたる。人の妻などの、すずろなるもの怨じなどして隠れたらむを、かならず尋ね騒がむものぞと思ひたるに、さしもあらず、ねたげにもてなしたるに、さてもえ旅だちゐたらねば、心と出で来たる。

傷心の妻が倒木とおんなじかよと思うけれども、そこがいつもの清少納言である。

でも「心と出で来たる」というのが、まさに心の出現というかんじでおもしろいのではないだろうか。「すずろなるもの怨じ」(むやみな嫉妬)なんかはまだ「心」の作用とは言えないのである。これを間違うと、以下のようになる。

明日の我々の文学は、明らかに表現の誇張へ向って進展するに相違ない。まだ時代は曾てその本望として、誇張の文学を要求したことがない。そうして、今や最も時代の要求すべきものは、誇張である。脅迫である。熱情である。嘘である。何故なら、これらは分裂を統率する最も壮大な音律であるからだ。何物よりも真実を高く捧げてはならない。時代は最早やあまり真実に食傷した。かくして、自然主義は苦き真実の過食のために、其尨大な姿を地に倒した。嘘ほど美味なものはなくなった。嘘を蹴落す存在から、もし文学が嘘を加護する守神となって現れたとき、かの大いなる酒神は世紀の祭殿に輝き出すであろう。

――横光利一「黙示のページ」


わたくしは昔これを読んでなるほどとか思っていた。こんな振り子は心の作用ではない。心理の作用である。後者は解析できるが、前者は物語の中で現れる。後者がないと、清少納言だと、妻は恥ずかしげもなく逆ギレなんかを起こすか、うじうじと何事もなかったかのように振る舞う。それよりも、「むとくなるもの」であることへの自覚が人文的なものの扉を開く。もっとも、こうなってしまうとあまり「こころと」の心たる所以はまた薄れて行くのであった。

「つくづくと思へば安き世の中をこころと嘆くわが身なりけり」(新古今集 雑下)

「ひそひそ話」の哲学

2020-02-01 23:42:01 | 文学


はづかしきもの 男の心のうち。いざとき夜居の僧。みそか盗人のさるべき隈に隠れ居て見るらむを、誰かは知らむ。暗きまざれに、偲びて物引き取る人もあらむかし。そはしも、同じ心にをかしとや思ふらむ。
夜居の僧は、いとはづかしきものなり。若き人の集り居て、人の上を言ひ笑ひ、謗り憎みもするを、つくづくと聞き集むる、いとはづかし。「あなうたて、かしかまし」など、御前近き人などの、けしきばみ言ふをも聞き入れず、言ひ言ひの果ては、皆うちとけて寝るもいとはづかし。
男は、うたて思ふさまならず、もどかしう心づきなき事などありと見れど、さし向ひたる人を、すかし頼むるこそ、いとはづかしけれ。まして、情あり、このましう人に知られたるなどは、愚かなりと思はすべうももてなさずかし。心のうちにのみならず、また皆、これが事はかれに言ひ、かれが事はこれに言ひ聞かすべかめるも、我が事をば知らで、かう語るは、なほこよなきなめりと、思ひやすらむ。いで、されば、少しも思ふ人に逢へば、心はかなきなめりと見えて、いとはづかしうもあらぬぞかし。いみじうあはれに心苦しう、見捨てがたき事などを、いささか何とも思はぬも、いかなる心ぞとこそ、あさましけれ。さすがに人の上をもどき、物をいとよく言ふ様よ。ことに頼もしき人なき宮仕へ人などをかたらひて、ただならずなりぬる有様を、清く知らでなどもあるは。


最近、上妻世海氏が『たぐい』所載論文で、「シンボリックーアルゴリズム言語」と「インデックスーミメーシス言語」の分離について語っていた。前者は原因と結果を記述できるが「現場」を記述できない。「ひそひそ話」はミメーシスを伴いインデックスに満ちている。これが後者であって、たとえば、『アーレント=ハイデガー往復書簡』(ひそひそ話)は読む者の文脈に置き換わる。「「ひそひそ話」は漏れ出し、ぼくにとっての「あなた」になりうるのだ」と上妻氏は言う。わたくしは、氏の論旨より、ここでハイデガーとアーレントの恋文集を持ち出してきたところが面白かった。

清少納言も「男の心のうち」を「はすかしきもの」とするのであるから、――男の心のうちは漏れ出しているのである。なぜ漏れ出しているかと言えば、女子の中では常に漏れているからである。

本当は、心のうちは漏れていない。

もっとも、「ひそひそ話」というものが存在している(ハイデイガーとアーレント場合はひそひそ話ではないんだが……)のは重要なことだ。対話というものは元来、こういうひそひそ話であるべきであるが、公開討論のような文芸誌の「対談」から5ちゃんねるにいたるまで、そういう対話が払底している。まだ、花田★輝の対話とは思えない罵倒とか、吉本隆明の「ちゃんと書き言葉に直してよ……」と思わせるおしゃべりなどには「ひそひそ話」の要素があった。いまは対談ですら合意形成とかを目標にしているのかと疑われる。

他人の言葉を家具みたいに扱う様は、われわれは本当に腐ったブルジョアジーになってしまったのだと思わざるを得ない。