★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

頭に歯車

2022-12-16 23:00:53 | 文学
天女のたまはく、『この木は阿修羅の万劫の罪半ば過ぎむ世に、山より西にさしたる枝枯れむものぞ。その時に倒して、三分に分ちて、上の品は、三宝より始め奉りて、たう利天までに及ぼさむ。中の品は前の親に報い、下の品をば行く末の子どもに報いむ』とのたまひし木なり。阿修羅を山守りとなされて、春は花園、秋は紅葉の林に、天女、下りましまして、遊び給ふ所なり。たはやすく来たれる罪だにあり。いはむや、そこばくの年月、撫で生ほし木作る、『万劫の罪滅さむ。悪しき身免れむ』とて守り木作れるを、おのが一分得分なし、何によりてか、汝一分あたらむ」と言ひて、ただ今喰まむとする時に、大空掻い暗がりて、車の輪のごとなる雨降り、雷鳴り閃きて、龍に乗れる童、黄金の札を阿修羅に取らせて上りぬ。札を見れば、書けること、「三分の木の下の品は、日本の衆生俊蔭に賜はす」と書けり。阿修羅、大きに驚きて、俊蔭を七度伏し拝む。


天女曰く、「この木は3つに分かれてて、[…]下の部分は自分の子どもたちに与える」と言っていたそうで、阿修羅はその木を育てていた。そりゃ、その木をもらいに来た人間にやすやすとは与えまい。すると、車の車輪のような雨が振り、雷が光り、竜に乗った子どもが、黄金の札を阿修羅に与えて去るのだった。そこには、三分の木の下の品を日本の俊蔭にあげる、と書いてあった。阿修羅はびっくりして俊蔭を拝んだ。まず、竜に乗った子どものところで驚いていただきたいと思わないではないが、意外な真実というのは劇的にしか訪れないものである。

車の輪と言えば、回転するのであろうか。車の輪の大きさの雨なのであろうか。どうでもよいが、――たしかに自然の現象はわれわれに自分とは関係ないものの器械的な動きの存在を思い知らせる。



こどもこのころから、ゴジラ映画や特撮に出てくる、ガイガンとかグロンケンとか回転する刃物が胴体に埋め込まれている怪獣などは、回転したら自分も切れてしまうような気がしないでもないし、刃物にどうやって栄養を届けるんだろうと思っていたが、あいかわらず、最近の「チェンソーマン」とかでそういうつっこみはないことになっているのであろうか。いずれにせよ、我々は、自然の驚異と一体化すれば強くなるという幻想をまだ抱いているということだ。

回転するのは自然だけではない。一年の回転というものもある。大河ドラマで誰かの一生を生きている日本國民は、一年がだいたい一生であり、一月にもう一回赤ん坊からやり直す。どうりで成長しないはずである。最近話題なのは、我々は一年ごとの反復だけでなく、八十年ぐらいで歴史的行為を反復する
あれである。柄谷行人でなくてもそういうものには誰もがある程度意識的である。しかも、反復それ自体への意識はあっても、過去のことは忘れている。
昔の人は言った。頭が悪いことを「クルクルパー」と言ったのである。頭は回転しすぎておかしくなるのだ。

何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。……
 三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。すると僕の眶の裏に銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはつきりと映つてゐるものだつた。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちやんと暗い中に映つてゐた。僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼のついてゐたことを思ひ出した。……
 そこへ誰か梯子段を慌しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやつと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」


――芥川龍之介「歯車」

「或る阿呆」芥川龍之介後の戦時下のなにやらを研究対象としているわしがゆうておく。日本の政府も人民もあほすぎて戦争に負けた。今は更にアホになっていることに気付いていないので、うまくいけば敗戦しても気付かないのではないだろうかっ

戦争における抑止力は一般的に、バカに通じなくてはならない。つまり核兵器で戦争がなくなると考えるようなバカに通じなければならない。敵基地攻撃能力ごときでバカがコワイヨーとかなるわけなかろう。だいたい馬鹿のくせに敵キッチンを狙い撃ち出来るわけないだろうがこのスカポンタン。

四国のプロレタリア文学

2022-12-15 15:09:28 | 文学


三豊の本山でサテライトセミナーに行ってきました。いつもの「四国のプロレタリア文学」。実際は「二十四の瞳」についての講義である。受講生のおじさん方が優秀でびっくりした。

市民講座をいろいろやってみて思うのであるが、やはり町中でやると、お年を召された方もシティボーイやモダンガールじみていて、ちょっと見方がシニカルで刹那的な感じがする。田舎にはまだなつかしい元文学青年が残ってるようだ。つまり、文学青年というものの理念としての素朴さは田舎の情景と結びついている気がするのである。芥川龍之介や漱石の描く情景は絵のようだ。しかし藤村の描く情景は、風景のようなのである。この違いは大きく、世の中を人為的なものとみてそこに合わせようとする都会人と、風景は常に変わるはずがなく、常に圧倒され続けるほかはないのだと思っている田舎人の違いのような気がする。果たして、独歩などが見出した郊外とは本当に存在しているのであろうか。独歩が「武蔵野」で郊外について言っていることはもっともらしいだけに、なにかがおかしい。一種の観光客的な視点であることは分かるが。。。

芭蕉扇の様に悲哀に分裂する

2022-12-14 20:14:23 | 文学


 水分のない蒸気のためにあらゆる行李は乾燥して飽くことない午後の海水浴場附近にある休業日の潮湯は芭蕉扇の様に悲哀に分裂する円形音楽と休止符、オオ踊れよ、日曜日のビイナスよ、しはがれ声のまゝ歌へよ日曜日のビイナスよ。
 その平和な食堂ドアアには白色透明なる MENSTRUATION と表札がくつ附いて限ない電話を疲労して LIT の上に置き亦白色の巻煙草をそのまゝくはへているが。
 マリアよ、マリアよ、皮膚は真黒いマリアよ、どこへ行つたのか、浴室の水道コツクからは熱湯が徐々に出ているが行つて早く昨夜を塞げよ、俺はゴハンが食べたくないからスリツパアを蓄音機の上に置いてくれよ。


――李箱「LE URINE」


先日、「エヴァQ」の最初は全く動きが見えなかったよ、歳をとるとアニメーションでもなんでも動きがみえない、と言ったら学生が、あれは誰も見えてないですよと慰めてくれました。文学でも映像でもいい作品は見えないものが見えるという学校的「基本」を確認したのか、してないのか。しかしそれは「基本」ではない。なぜ見えるような気がするのか、見えるものがモノなのか、空虚なのか、そんなところから問題がはじまり、たぶん、見える以前、見えそうで見えない、見えるという宣言を示唆する、などいろいろあることがわかってくるのである。

天啓と仮面とその他

2022-12-13 23:32:26 | 文学


俊蔭が船は、波斯国に放たれぬ。その国の渚に打ち寄せられて、便りなく悲しきに、涙を流して、「七歳より俊蔭が仕うまつる本尊、現れ給へ」と、観音の本誓を念じ奉るに、鳥、獣だに見えぬ渚に、鞍置きたる青き馬、出で来て、踊り歩きていななく。俊蔭七度伏し拝むに、「馬走り寄る」と思ふほどに、ふと首に乗せて、飛びに飛びて、清く涼しき林の栴檀の陰に、虎の皮を敷きて、三人の人、並び居て、琴を弾き遊ぶ所に下ろし置きて、馬は消え失せぬ。

才能のある人はペルシャに流れ着いてしまう。悲しんで観音様を念じると、青い馬がやってきて、俊蔭を首にひっかけて飛びに飛ぶ。栴檀の蔭の三人の人物の前にたどり着くのであった。彼らは琴を弾く。

「夜の寝覚」ではいきなり天人が楽器を夢で教えてくれた。天啓である。しかしここでは、馬が勝手にやってきてと、ここでも極端に受け身に見えるが、結局彼が移動していることには変わらないわけで、まさに天才は行くべきところに自ら行くのであった。

天才の流離譚には仮面がない。泣いて笑っているうちに何かを身につけてしまう。仮面には我々の内面が分裂している事情をあらわす。戦後のサブカルチャーにはそういうもので溢れかえっている。しかし、その仮面劇に興奮しているガキ共は内面が分裂しているであろうか。とてもそうはおもえない。大人たちが、仮面の下を意識しているに過ぎない。日本語がおかしい人が増えているというが、ニュース見ていると、正確に言うのが怖いので別の言い方にしているうちにおかしくなっているようにも思える。おかしいのは日本語というより根性だ。本人が仮面のつもりでも、弱々しい現代人がそこにおずおずとお上に怯えてるに過ぎない。

(秋聲は)硯友社からニーチェ主義、ゾライズム、写生文に至る理論と様式の遍歴の後に、「写実と構成の分離」として「書かうと予定したことではなく、書くことをとほして現れて来たこと」を書くという、叙述から目的と意味を捨象することで小説自体を彷徨とする、独自の手法に達した。
――福田和也『日本の家郷』


考えてみると、こういう場合も、「目的と意味を捨象」することが可能ではないからこそ、そうしたふりをできる。秋聲には、いわば、意匠から意味を抜いた、言語の「影」を実態と称するような、小林秀雄の「様々なる意匠」が意味に凝り固まった連中にぶつけたアイロニーを自分は元々影であり仮面であると言って真面目に生きてみることによってうっちゃった如くみえる。しかしこれは理屈である。秋聲もほんとうはもっと自然にかいていたに過ぎないような気がする。そもそも小林秀雄にしてからが、自意識を自然さに還元しようとして搦め手、というより戦いの風のような文章を用いたのであると思う。

発達障害の問題もたぶんそうだけど、問題の存在を示してからが本当に大変で、小林秀雄じゃねえが、「様々なる意匠」、「言葉の魔術」との戦いが始まる。よき生、自然に達するためには、近代人はもう意味と戦うしかない。しかし、書きぶりによっては、風のように書けると小林は言いたかったにちがにない。小林秀雄の「様々なる意匠」を久しぶりに授業で扱ったけど、ほんと若々しい青春の文章という感じだった。きざな「夢」云々みたいなせりふも全体の風のような流れのなかでは必要なアクセントに思われる。

兎も角私には印象批評という文学史家の一述語が何を語るか全く明瞭でないが、次の事実は大変明瞭だ。所謂印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文学批評を前にして、舟が波に掬われる様に、繊鋭な解析と溌剌たる感受性の運動に、私が浚われて了うという事である。この時、彼の魔術に憑かれつつも、私がまさしくながめるものは、嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく無双の情熱の形式をとった彼の夢だ。それはまさしく批評ではあるがまた彼の独白でもある。人はいかにして批評というものと自意識というものとを区別しえよう。彼の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚することであることを明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己であると他人であるとは一つのことであって二つのことではない。批評とはついに己の夢を懐疑的に語ることではないのか!

空洞と湧き水

2022-12-12 23:32:26 | 文学


今は、式部大輔、左大弁かけて、清原の大君ありけり、御子腹に男子一人持つたり。その子、心の聡きこと限りなし。父母、「いと怪しき子なり。生ひ出でむやうを見む」とて、書も読ませず、言ひ教ふることもなくて生ほし立つるに、年にも合はず、丈高く、心賢し。七歳になる年、父が高麗人に会ふに、この七歳なる子、父をもどきて、高麗人と書を作り、交はしければ、朝廷、聞こし召して、「怪しう珍しきことなり。いかで試みむ」と思すほどに、十二歳にて冠しつ。

自分はできなかったが、英語の勉強もフランス語でもなんでもクソ勉強しかない。ほかの勉強と全く一緒である。しかしなかには、宇津保物語の冒頭、高麗人にいきなり書を送ってしまうみたいな人もいるに違いない。それは何か突然湧き出る水のような人物である。中上健次の「宇津保物語と現代」がつねにわたくしの頭にはあるためか、――こういう元も子もない湧き水の存在を忘れがちだ。中上は、「コインロッカー・ベイビーズ」が空洞(うつほ)としての女人の子宮として見出されているとのべべていた。そして、いまもさまざまな空洞が見出され得る訳だがも、そこは湧き水の地点ではない。

空想上の不良少女が案外と好きな傾向があるわたくしであるが、どうも小さい頃見た「ズベ公番長」とかの影響がある気がする。これらの方が湧き水だ。

転向文学とか言うと、なにか良心の呵責とか宗教的苦悩とかだと思っていたが、いざそんな時代になってみると、予想していたよりただの幇間が多いのでほんと書かれたものというのは信用出来ないのであった。信じられるのは、湧き水の方である。

大河ドラマの脚本はすごく巧妙に出来ているが、今回のはとくに言葉が丁寧な関係を形づくっている点で巧妙だと思う。しかしこれはとても今時だなとも思う。言葉が荒っぽくない。声を荒げていても荒っぽい言葉がなく、よく分からないような言葉がない。実際はもっと犬がわんわん吠えるような言葉の世界があるはずだと思う。和歌の世界はこの荒っぽさを背景にしないとわかんないところがあるとわたくしは思う。あまりに洗練されたので訳が分からなくなっているが、和歌のリズムというのは、暴力的なおじさんが酒飲みながら下品にリズムをつくっているあの感じと離れては居ないはずで、暴力的なものなのである。

天人と紀念碑

2022-12-11 23:59:43 | 文学


唐絵の様したる人、琵琶を持て来て、「今宵の御箏の琴の音、雲の上まであはれに響き聞こえつるを、訪ね参で来つるなり。おのが琵琶の音弾き伝ふべき人、天の下には君一人なむものしたまひける。これもさるべき昔の世の契りなり。これ弾きとどめたまひて、国王まで伝へ奉りたまふばかり」とて、教ふるを、いとうれしと思ひて、あまたの手を、片時の間に弾きとりつ。「この残りの手の、この世に伝はらぬ、いま五つあるは、来年の今宵下り来て教え奉らむ」とて失せぬと見たまひて、おどろきたまへれば、暁がたになりにけり。

「夜の寝覚」の最初の辺りで、天人から中の君は琵琶を教わる。わたしのような素人でも、小さい頃ピアノの練習をしていてある日突然手がスムーズに動き出すことがあった。我々の先祖たちは、昔から、我々の芸の上達にはなにかが降りてくるような性格があることを不思議がっていた。これは因果が分からない結果であって、人物の美しさにも通じるなにかわからない結果である。源氏物語はなんとなく、源氏を限界以上に極端な結果にしておいて、あとは案外因果はめぐるぜみたいな事件をじりじりと推し進めて行く。わたくしは昔源氏物語を読んだ時に、明石に流された源氏のところにやってきたのが、天のお告げやなにやらではなく、親父の霊だったことにいやな予感がしたものだ。源氏は徹底的に地上に縛り付けられた存在だ。父と母の宿命に縛り付けられ、いずれ自分もそういう宿命そのものになる。

転向文学とか言うと、なにか良心の呵責とか宗教的苦悩とかだと私もむかしは思っていたが、――いざそんな時代になってみると、予想していたよりただの幇間が多いので、ほんと書かれたものというのは信用出来ないという結論に至っている。わたくしは、どこか転向の苦悩の果てに敗戦という天人が降りてきたような気がしていたのかも知れない。昔の私のように、天人を信じていたほうが、前進することが可能かも知れない。転向劇は報われた物語とともにあった。吉本隆明が「絶望せよ」と地上に我々を縛り付けようとするとは逆に、転向劇は「夜の寝覚」的なものであって、存在してもよい物語である。

もっとも吉本が言いたいこともわからないではない。忠魂碑を神社に避難させている例は多いし、もともと神社のなかに立てられることも多かった。あと特に日露戦争の時に建てられた注連柱には驚くほどあからさまなせりふが書いてあったりと、神社が結果的に保存してきているものは多い。うちの近くには、サンフランシスコ平和条約紀念の鳥居があるけれども、同様の例を見ない。

敗戦国の酷なところで、紀念碑をつくりがたいというのがある。我々は、どこかシンボリックな紀念碑にいまでも歴史を委ねている。紀念碑とは、「やったこと」の紀念であって、「やらなかったこと」の紀念ではない。敗戦と言っても戦争と言ってもそれは「やったこと」である。だから我々は、戦後を「やらなかったこと」の歴史にせずに、やったことの歴史にした方がよいと思う。それには紀念碑が必要だ。

アマチュアと文化戦争

2022-12-10 17:45:52 | 思想


今、所謂文学と所謂科学とのこの交錯に於て問題になるものは、アマチュアとディレッタントの問題であることを見落してはならぬ。夫々の領域に於ける専門家は、他の領域に対してはアマチュアとしての資格しか有たないのが普通であるが、二つの領域の間に以上のような交錯がある場合には、アマチュアも亦一つの機能を果すことが出来る。文学に於てはその科学的意義を、科学に於てはその文学的意義を、最も手取り早く要領よく見透すことの出来るのは、却って、優れたアマチュアの特権であるようにさえ見える。ディレッタントはアマチュアと異って一種の専門家と考えていいだろう。ただその専門家たるや、一定の専門領域に限定されず、且つ又どの専門領域に於ても完全に組織的な専門家ではない、というのを特色とする。従って各種の専門領域のディレッタントによる断片的な専門的知識が、偶々夫々の専門領域の根本的な本質的な知識であれば、それを結合しているディレッタントの知識は、必要な統一を探究するのに最も手近な入口を持っていることになるわけで、問題が科学ならば、世界観的・文学的統一に到着することがそれだけ早くなるわけだし、もし問題が文学ならば、文学と科学とのコンジェニアルな点に逸早く気づく可能性が多いわけである。だが恐らくジャーナリストという言葉が一等適当ではないかと考えるが。

――戸坂潤「思想としての文学」


長野県は、古くは白樺派、京都学派をよびつけて勉強会を戦時下においても行っていたことで有名である。三木とか戸坂も行った。この哲学の田舎での発酵も面白いが、とくに民俗学は自らが対象でも研究主体でもあった。戸坂の言うように、アマチュアリズムは科学と文学を架橋するジャーナリズムであり、その実、田舎ではディレッタントで居続けることが同調圧力上難しいために、個々の田舎の知識人たちはどちらかというと人文学者でも科学者の風貌をもっていた気がする。わたくしの祖父がそうであった。国語の先生なのに、自分の家を「経営研究所」と名乗って自らを位置づけた。これはアマチュアリズムの動きであって、ここから子孫に何人かアカデミシャンがでてきたとしても起源の性質はたぶん異なるのである。

県内郷土誌が存続の岐路に 会員減、解散…歴史や民俗研究衰退の恐れ https://www.chunichi.co.jp/article/596434

郷土誌をささえていたのが誰だったのか研究はこれから必要だと思うが、――私の育った環境においては、その担い手は明らかに少数の小中学校の先生を中心としていた。おそらく、客観的に平たく言うならば、国をはじめとした日本社会が小中学校の先生を「先生マシーン」にしてこういう文化をいじめてつぶしたのである。しかし、事態はもう少し入り組んでいる。まず、つぶされたという以前に、人が居なくなったというのがある。前にも書いたが、彼らの教え子たちが偏差値で輪切りにされて都会の大学に進学した(させられた)のも大きい。その理由としては、就職がないというのもあるが、田舎を因習のかたまりのように認識させてしまった戦後の大きな思想的流れもまずかった。習ってもいないのに、講座派みたいな考え方をする大人も多かったのである。

またそもそも、郷土誌を支えていた世代があったとして、それは柳田や折口の地方での調査と啓蒙活動の衝撃を直接に受け止めた結果にすぎない部分も大きい気がする。戦前に実際、柳田や折口の薫陶を受けた小中学校の先生は多かったからである。だから、原因は戦後の経済・教育の趨勢だけではない。そのおかげか、先生の影響を少しは受け継いでいる、わたしの父の世代もよくわからんが教師の義務みたいな感じで『長野県史』をずっと買ってたひとは多いはずである。読んでたのは父ではなくわしだった可能性はあるが、それでよいのである。長野県史』は重いしスペースはとるしで大変なわけだが、置いときゃ誰かが読む。そのほか、『信濃教育』、『信州白樺』や『とうげの旗』にだって教師の中にアンチは常にいたが、ちゃんと購読している教師たちがある程度いたから続いていたに違いない。書く人の世代だけで支えられていたのではなく、なにかみんなまだ引っかかるものを感じていた。これが直接教えを受けると言うことの意味である。

もちろん、学部出の先生には手に負えないレベルに研究が上昇し、資料も博捜し尽くされたかにみえる現状も手伝った。しかしまあ、素人の感想だが、――近代以前の昔の研究も必要だが、戦後の田舎の観光地化のプロセスはきちんと誰かが記録をとっておく必要がある。とにかく、戦後においてつくられた「過去」がそれ以前の「近代化」の痕跡すら消してしまっていて、これからますますわけわかんなくなってゆく可能性があると思う。現に我々が失いつつあるのは、「近代」であり、これは思想的な啓蒙としての意味においてもまずいと思うけれども、それよりも日本の過去の実態が消されつつあるという意味でまずい。地元の歴史をたどるものがいなくなると、地方の近代化の実態の説明はつかなくなるかもしれない。そうなれば愛郷心どころの話ではなく、「美しい日本」みたいな馬鹿みたいなものになってしまう。観光化が進むと、ほんとのことを調査しづらくなったという原因もあったように思う。過去はいいことばかりではない。嘘はいけねえよという近代的なコモンセンスが失われている場合は郷土研究は本当にやりづらくなる。しかもそれは内容的にあんまり軽く考えられない事柄を含んでいる可能性があって、もともと手をつけがたいというのはあるのだ。すなわち、田舎にとって調べたくない時代があるというのは結構大きい。すくなくともわたしは、映画Das schreckliche Mädchen で描かれたような、田舎の戦争犯罪の件を他人事とは思えない。

問題は、地方が衰退したという現状が何を意味しているかである。第一に奴隷状態の復活である。大学の教師に限らず、本質的な研究や批評は、精神的な奴隷状態になったら実行不可能である。最近、大学に限らず学術を頑張ってる割に成果が出なくなったのは、精神的に奴隷状態にあるからである。金の問題もあるがそれよりもこれが大きい。権力の奴隷になったのもあるが、お客の奴隷になっているのは大きい。第二に、おなじことであるが、人間を扱うときの抽象化である。戦後の民俗学は柳田を引くまでもなく民主主義と同義だった。民主主義というのは人間だけでやるもんではなくて、その地域の歴史とか地元作家の童話とか小学生の作文とか鳥とか昆虫の生態とかのすべてでやるものなのである。それを無視して、人間の意識をコントロールするみたいな発想になってる時点でおわっとる――そういうのをファシズムというのだ。田舎の馬鹿がファシズムでは暗躍しているようにもみえるし、実際そういうことは起こっているが、やはり本質は都会での人間の抽象化が原因だ。

過度の軽蔑はほとんど恐怖とはかはりがない。(三島由紀夫「青の時代」)


ファシズムは、特定の「人間」を抽象しそれ以外を捨象=軽蔑し、すなわち恐怖することによって発生する。地域や文芸を研究する人間なんかもその一つである。研究や創作をする教師に対しては「あの先生は自分の趣味に熱中して教育しない」という声が、戦後かなり根強く広くあったと思う。職域奉公への意識が我々を未だ縛り付けているからであった。それは、保護者からも同僚の教師からもあって、徐々に教員の人事にさえ少しは影響を与えたのではないかと思う。子どもの進学や就職といったものを理由に教育に専念することを求められていったわけである。これがいまや大学の教師に対して行われている。確かに、小中学校にいた研究をする先生にもいろいろいて、ほんとに子どもに興味が無さそうなひともいたと思うが、むろん、本当にやる気のない教員というのはほかにいて、――すべてにいい加減で出世しか考えてないような教員だ。でもそういう人間のやる気のなさを批判するより、研究のために教育がおろそかだと理屈をくっつける方がはるかに楽だったにすぎない。われわれは、しばしば、理由をつけやすさを正義と混同する。

たぶんいまの教員養成学部のあり方だと、仮に教師に余裕とやる気が戻っても、郷土史や地域の文芸活動にコミットメントする力自体がなくなっている可能性が高い。だから、われわれはつい、忙しさを理由にしたがるが、本質はそれだけではない。授業というと条件反射よりも素早くグループワークやってしまうことを全否定するもんじゃないが、それを実習からやらされていると、ほんとに教える学識そのものがないことが露呈しないで教師になってしまう可能性がある、というか現にそうなっているのではなかろうか。採用試験で悪貨を駆逐できる可能性は低い。近代を超克しようとしたら頭の悪い帝国主義になりましたみたいな、いつものパターンじゃねえかこりゃ。

そういえば、アマチュアといえば、――わたしはアマチュア楽団のコンサートに行くのが好きで、さっきもうちの大学合唱団の定期を聞きに行ってきた。コンサートホールでの演奏は人類が作った最高の文化の一つである。文学でも研究でも音楽でもそうだが、アマチュアリズムの良さというものがあって、それはプロのような職能集団とは別の価値がある。思うに、ネット社会で社会が全体化してから、こういうアマチュアリズムもかなり衰退した。全体が職業的人間の口調になっている。郷土誌を作ってた小中高の学校の先生やアマチュアの研究者なんかも独自の価値を生み出していたところがあったと思うけど、これがなんか、いつのまにか学会の下部組織みたいになっちゃったところがないであろうか。わたしが小中の先生の活動にこだわるのは、高校の先生というのは、実際アカデミズムに今も昔も属している場合があるけれども、小中の学術活動というのはまた別の意味を持っていたと思うからである。私の田舎の木曽なんかは、実際小中学校の先生が「知識人」だった場合がおおかった。もうこれを再現することはなかなか難しいだろうが、それは頭のいいのが信州大学に行かなくなったからではなく、アマチュアリズムの衰退という趨勢にも関係があろうということである。

そういえば、学生からはデレッタンティズムも消えかかっている。たぶん、オタクが迫害されているうちにそれも一緒に虫の息なのだろう。

こんな状態でいったいどうすればよいのか。私としては、戦後の世界への見方からさしあたり変更してみようと考えている。

学生運動は一種の「戦争」だったと言った(略)上野千鶴子氏は、全共闘運動をはじめとする自世代の体験を、兄たちや父たちの体験と重ねあわせて理解し納得している。つまり上野氏らは、自分たちの経験を語る物語や観念を作らなかったのだ。

――福田和也『「内なる」近代の超克』


そうではなく、先の戦争が終わったのは連合赤軍事件あたりでそこまでは長い敗戦のプロセスなんじゃないかと思うのだ。全共闘は敗戦処理の戦争をやっていたに過ぎない。そしてその敗戦のプロセスにしか平和らしさ?はないんじゃないかとも思う。三島由紀夫の自決もある意味敗戦に間に合ったのである。民俗学も近代文学も地方に伸びていった文化の戦争だった。文化の戦争は武力のそれよりも長びくから、やっとその戦争が終わりかけている。先に戦争犯罪と述べたが、そういうものを含めて反省し、新たな文化戦争の時代をつくるのである。

これでも埒のあく事にぞ

2022-12-09 23:01:00 | 文学


百日の立つ事間なく、精進事をはりてから、人々の内証にてはじめに見増さる美君をまねき、長吉の御方へつかはされけるに、各々の心ざしをもそむかず、この上臈をそのままに置きながら、とかくのささめごともなく、不便やこの人、生きながらの若後家なり。しかれども色はやめがたく、女はふつふつと飽きて、その後は小姓を置かれける。これでも埒のあく事にぞ。

うつくしい、小野小町もかすむ妻を亡くして、これまたすごい美君を親戚が内緒で探してあてがってくれたのだが、それにはてをつけない。で、よくわからんが「色はやめがたく」「女はふつふつと飽き」たらしく、その後は小姓をかかえて男色に励んだという。「これでも埒のあく事にぞ」(これでも片はついたことだよ)。

全集の注は、これを若衆ものとはいわぬ、と文句を言っているが、考えてみると、愛妻の死後に女に飽きて色道に爆発的に移行するなど、やはり愛妻は唯一無二であり、外の女ではつい妻を思い出すだろうから、男色で気を紛らわしたのだともいえるかもしれないし、女への愛の果てには小姓への愛があると言いたいのかもしれない。それに、「好色一代男」のように、つい男色に走ることだって十分ありうるのである。別にエラーでもなんでもない。そういう愛のプロセスは現にあるだろう。西鶴は、男色をつぶさに写すぜといっているのだから、それをそのまま受け取るべきのような気がする。

そういえば、最近は学生が男色とかBLを題材として選びがちであるんだが、これは異性愛がハラスメントになりがちだからめんどう、みたいな原因だけじゃなくて、あまりにも世間がくだらなすぎた結果、よい意味で純粋性みたいなものへの欲求がある気がする。学生と話しててそう思うんだな。。

結婚は昔からいろいろ他の目的(生殖、跡継ぎ、家嗣ぎ、政略、なんでもござれだ――)とつながっていて、まあいろいろあった訳だけど、常に、諸目的に分解解消できるものじゃない。が、近代社会が猖獗を極めると、ほんとにそういうふうに考える大馬鹿がいるんだよな。そんな目的好きのサイコと縁を結びつつ恋愛なんかできるかよ、というわけである。透谷じゃないけど、恋愛は人生の秘鑰で楽しみやプライベートですらないのだ。こんなのは言うまでもなく常識的な感覚の話である。

そういえば、最近花屋さんに行ったら、花屋さんになりたくなった。これだって、色道の一部かもしれない。まったく無関係とはいえないのである。その証拠に、むかしから我々は好意を抱く相手に花を贈ったりするではないか。しかもこのことが、コンサートの最後や退職や記念の式典において花を贈る行為の根拠の一部を形成している。これは逆もそうで、敬意や畏怖につながった花束が、愛の表現としての花束にもつながる。愛はその意味で多義性を帯びるわけだが、その多義性がないと、愛の行為や敬意の行為は、単なる権力関係となるのである。かくして世の中はハラスメントラッシュとなる。

自由は源介の如し

2022-12-08 23:29:50 | 文学


大殿御座をもけがす身なれば、おもひながらその時過ぎて、今又あひましてのうれしさ。兼ねてはこれも心懸かりのひとつなり。今宵一夜は残らずかたりまして」と、膝枕をすれば、この時のうれしさ、衆道の事は外になりて、長屋住居の東の事をおもひ出し、心の塵を払ひ、十府のすがごも七婦には、君の御寝姿を見て、夢もむすばず、都の富士に横雲の立ちしらみ、黒谷の鐘もつげて、高瀬さす人顔も見えて、あかぬ別れとなる時、ちぎれたるかますより仕込み杖の刀取り出し、「これ大原の実盛二尺三寸」。

お殿様に捨てられた寵童が、親の敵うちにでかけ、河原で非人に落とされていたむかしの同僚(源介)に出会う。で、源介は膝枕しながらうれしく欲望は我慢しながら一夜を明かし、分かれるときになると「実はこれは自分の先祖が信玄公につかえていたときに手柄を立てた刀」でこれ使ってくれと刀を出してくる。このシーンで描かれる関係を男色と呼ぶべきかは分からないが、このあと、源介は敵討ちを陰で支えることになる。敵討ちを果たした二人は無事、お殿様から身分を保障されたのである。男色の関係ではあるが、それが身分の上昇をもたらしており、その身分を失うことが死を意味するような世界の中で、敵討ちを友に果たす崇高さが、身分を失う絶望を跳ね返す。そこでうまいこと信玄公に仕えた刀というアイテムがシンボリックに輝くのである。

戦友ではなく、あくまで陰で支える刀であること、――このようなあり方への感覚がまったく消えたとは思えない。師弟関係にもそれはあった。

世に、京都学派とか何々閥とか、あることはあるが、実際、師匠に似ているようでいて似ていない学徒は多く、弟子たちが師匠をやたらよいしょしているグループなんかには師匠に近いものが案外いない。師匠の本質を認識することが重要な研究の行為になりうる場合があるにもかかわらず、近くに居るからかえって一生懸命師匠の書いたものを読まないのかもしれない。一匹狼のような研究者には、常に刀としての研究者が付き添っていたものだ。これが、単に教師と弟子という関係性になってしまったら、どうしようもないのである。

長野県で発行されていた多くの「郷土誌」が廃刊の危機にあるそうだ。郷土誌をささえていたのが誰だったのか検討は必要だと思うが、私の見聞きしてきた範囲では、明らかに少数の小中学校の先生が関わっていた。国をはじめとした日本社会が、こういう小中学校の先生を「先生マシーン」にしてかかる文化をいじめてつぶしたのである。彼らはアマチュア学者ではない。アマチュアだとしたら、専門分野の一端を担うべきではなかったが、そういう問題ではない。彼らは、上の源介のようなものなのである。

しかし、――前にも書いたが、彼らの教え子たちが偏差値で輪切りにされて都会の大学に進学した(させられた)のが大きい。あとは、田舎を因習のかたまりのように認識させてしまった戦後世界の趨勢もまずかった。

もっとも、郷土誌を支えていた世代があったとして、それは柳田や折口の地方での調査と啓蒙活動の衝撃を受け止めた結果であると言える部分もあるから、原因は戦後の経済・教育の趨勢だけではないのである。最近は、人類学の復活によって、優秀な人材が寂れた共同体に入って調査を進める事例がでてきている。彼らがもう一回、いったん成果として出そろったかにみえる郷土史の世界を再考する気がする。

我々は、なにか人文学の成果に触れるときには、飜訳された言語によってそれに触れがちである。郷土史の世界もそうだし、古典全集の現代語訳もそうだ。これは確かに必要なことではあるが、自由を失うことでもある。いまの人文学の衰退は、戦後の人材によって達成された「飜訳レベルの成果」のせいでもある。自由が失われているので、行う必要もなくなるような気がする。で、発生するのは妄想的なパロディの世界である。ここには元ネタの固定化みたいな現象が現れる。文学の古典の原文をいかに読むかというのは、そういう固定化の時代において大事で、その地点で研究が行われないとだめなのは、自由を失うからなのである。古典文学や近代文学に対する現代語訳というのは、乱暴にいえば、解釈というのが語義通りか空想に流れがちになる。そもそもどういう意味を構成するのか一から考えることには、根本から考える自由がある。当たり前だが、民主主義みたいなものにもそれは必要である。

卒業論文が敵に囲繞されている

2022-12-07 23:09:00 | 大学


学生の卒業論文の書きっぷりをみてて思うのは、それに耐える体力作りをやってないと、とてもじゃないがもたないという単純な事実である。プロ野球選手が高校野球と違うのは、職業として一年間試合をやり続けなければならず、その体力があるかないかなのである。一年間以上読んで考え続けるのもある種の体力で、読書の走り込みが必要だ。はじめから考えて書ける人は少ないから、最初は、何も考えない連続的読書とひたすら注釈とかひたすら口語訳みたいなのがいい。はじめから考えることをやっちまうと、考えるだけで、その実なんもかんがえられないので、疲れてしまう。考えることの負担を減らして読んだり書いたりみたいなのが大学でも必要なのである。大学のカリキュラムから、演習を減らして無意味なグループワークみたいなものを増やすと、この体力をつけられない。

もちろん注釈や口語訳だって大変なことで、――しかし、多くの我々の性で、狭い範囲をまずは設定しないと頭が働かないのであった。それが難しいなら、翻字をひたすらやるとか、それも無理なら鷗外の短編を原稿用紙に写すとかでもいい気がする。やってみればわかるが、これだって練習しないとできないのである。

こういうランニングとか素振りみたいなのをやってないと、卒業論文で急に回転させようとした自分の思考は焼き切れてしまう。それに、教員や同じゼミ生の言っていることがわからなくなる。これは知識とか思考力のせいもあるだろうが、素振りをやったことがないやつが素振りのことを説明されてもわからないのに似ている。その意味では、経験や実感みたいなものと無縁な知識や思考は本当はありえないような気がする。あり得るとしたら大概勘違いか思い上がりである。学生によっては論文らしいものを書くのは無理だと書く前から判断される場合もあるけれども、どこまで出来るのか、どこまでの能力なのか学生教員ともに具体性に直面するのは大事で、それも経験や実感の存在を重視するということである。そして、そこからしか倫理みたいなものは発生しない。

そうしないで生じた倫理は、せいぜい教科書などにしか載ることを許されない「倫理のせりふ」にすぎない。

しかしそうはいっても、人文学の世界では、上の基礎練習を十分していったとしても、まったくうまくいかない場合もあって、頭というのはほんとに特殊な筋肉だと思われる。私見では、うまくいかない場合は、頭が悪いと言うより、ほとんどが外から注入された「思想」がおかしくなっている場合である。道徳的金言の効用というのも、すごくいろいろな現れ方があるようだ。考えないための刀みたいに使う人というのが案外多く、考えるための筋肉が硬化してしまっている。金言は正しいことになっているから、刀として使う場合は、人間のコンプレックスをはじき飛ばす効果があり、非常に傲慢な人間を作り出す。

やっぱりコンプレックスだと思うの。たまに学校へ行けば、授業の内容はチンプンカンプン。私と同じ歳の人がみんな知ってることを私は知らない。だから「知らないじゃ済まないぞ。そんなら自分で勉強しなきゃ」っていう気もちですね。教科書は一人で読んでもわかんないけど普通の本なら読めるから。
(高峰秀子https://twitter.com/HidekoTakamine)

高峰秀子のこの指摘は極めて重要である。昔も今も、教科書は読み物として成立しがたい。読み物だったら恥ずかしくてかけない、整合性がまるでない「構成と内容」だということである。特に国語はその精神が分裂していて、箇条書き的に記述できても、長い文脈をつくることができない。すなわち、教科書とTwitterは似ている。Twitterは、非常にくだらない内容の発言でも、それじたい金言化して書き手を慰撫する。論文は、エビデンスの存在=証明であるというよりも、長い文脈を作ることができるかという性格のものである。卒業論文は、いまや学校教育の教科書と世界の通信ツールに囲繞されている。

サッカーと教育と

2022-12-06 23:31:51 | 文学


サッカーのニュース見てて思ったこと

①、「寄り添」ってもタックルにしかなってないから、「人の気持ちを考えろ」のほうがよいと思います。

②、PKってなんか理不尽だよな。引き分けのときにホームラン競争で勝負決めたりせんだろ普通

③予選落ちしたドイツはいったい何やってんだろうな、やっぱゲルマン魂とか言われないとだめなんかいな。戦争のあれ的な語彙がどこらあたりで減っていったのかみたいな研究あるんだろうな。日本なら日の丸飛行隊的なやつ。

一万キロの鈍重な氷壁に聞かしめ
流れは
溶け―――崩れ―――なだれ
資本の濁流に泡立ち―――南下し
まっしぐらに、汚濁の国の城塞の裾をうつ
―――ドイツ!
西方の瀝土の沼沢―――こゝにきみらが囚われ
きみらの眼と腕は
たくましく―――
おれらを呼び
怒号するおれらの叫びは―――鉄壁を衝いて
見えざる数万の宇宙のバリケードをきみらの上に交し合う


――槇村浩「獄内にてドイツの同志を思う歌」


今日は、ドイツのフライブルク教育大学の教授がいらっしゃってて、ドイツの教育制度について語ったのを聞けた。わたくしが聞きたかったのは、ドイツは戦後、戦前を否定してどういうものが教育の理念になってるのだろう、ということである。市民主義や人格陶冶はたぶんうまく機能しきれない。これは我が国と同じであろう。資本主義の問題が常に民主主義の問題として意識されてしまうのが我々の世界である。

孤独と加速

2022-12-06 00:41:26 | 思想


孤獨が恐しいのは、孤獨そのもののためでなく、むしろ孤獨の條件によつてである。恰も、死が恐しいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の條件によつてであるのと同じである。しかし孤獨の條件以外に孤獨そのものがあるのか。死の條件以外に死そのものがあるであらうか。その條件以外にその實體を捉へることのできぬもの、――死も、孤獨も、まことにかくの如きものであらうと思はれる。しかも、實體性のないものは實在性のないものといへるか、またいはねばならないのであるか。
[…]
感情は主觀的で知性は客觀的であるといふ普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層眞理に近い。感情は多くの場合客觀的なもの、社會化されたものであり、知性こそ主觀的なもの、人格的なものである。眞に主觀的な感情は知性的である。孤獨は感情でなく知性に屬するのでなければならぬ。
 眞理と客觀性、從つて非人格性とを同一視する哲學的見解ほど有害なものはない。かやうな見解は眞理の内面性のみでなく、また特にその表現性を理解しないのである。
 いかなる對象も私をして孤獨を超えさせることはできぬ。孤獨において私は對象の世界を全體として超えてゐるのである。
 孤獨であるとき、我々は物から滅ぼされることはない。我々が物において滅ぶのは孤獨を知らない時である。


――三木清「孤獨について」


上のように、三木清は、孤独は条件に於いて決まる、孤独においては「私」が対象の世界を全体として超えてる、みたいなことを戦争が進行する中で書いていた。当時の読者は、これで何か安心感を得たし、三木自身も安心して主義者じみていたのかもわからない。そこでは、孤独たらしめる条件の把握が、一気に「私」における「全体」性への超克に加速する。彼は実際かなりアクティブな人間だったのである。ところが、いまは、読者の方が、孤独という言葉からなにか孤独霊のようなものを感じてしまうような時代であって、孤独の条件を見ようとせず、形容される言葉の世界から動こうとしない。絆や就職にしがみつくのが我々である。

だから、現実の速さにあわせてさっさと堕落しようぜ、あるいは精神にあわせて現実を加速させようぜというひとたちがいた。マルクス主義者なら花田清輝がいたし、坂口安吾ならヤクザものへの淪落を仄めかした。太宰ならさっさと「人間失格」しようというわけだ。このひとたちは、芥川龍之介の言葉と現実とに揺れる精神的な危機を回避しようとして、それを人為的にすれちがわせ、もう一回生まれ変わろうというのだ。

現代だったら、福音にたどりつくための覚悟として宮台真司氏なんかが加速主義者なのかもしれない。こういう人はとにかく事態を急かすから、いろいろな事件も起きるであろう。しかし、マルクス主義の帝国主義戦争から革命へとか、さまざまなる加速主義とか、――とりもなおさず急げ急げの人たちは、源氏物語を読んで再考すべしだとおもうのである。この物語で源氏の女あさりの加速に取って代わるのが源氏の老いで、その死に向かう加速がすごすぎて、紫式部もめんどくせえから省略したのかも知れないのであった。残ったのは匂いと薫りに分裂したミニ源氏の通常運転だ。