日本鋼管(現JFEスチール)の労務担当としてもっぱら会社の利益を代表して労働組合と対応し、特定社会保険労務士となっている著者が、使用者側の立場で労働組合法について解説した本。
労働組合法の解説に関しては多くの部分ではオーソドックスな説明ですし、紹介している判例も一般によく知られているものを使用者側に不利なものも紹介してバランスを取っています(労働組合に加入していない/除名されたとか脱退した労働者を会社は解雇するという「ユニオン・ショップ協定」が別の労働組合に加入した者や自ら新たな労働組合を結成した者に対して解雇義務を定める部分は無効とした判例として三井倉庫港運事件・最高裁1989年12月14日第一小法廷判決を紹介している(69~70頁)こと自体は、オーソドックスなものですが、著者の立場を考えると、その7日後に最高裁が同じ判断を示した日本鋼管事件の判決に触れないのはどうかなと思いますけど。労使協調の第一組合と方針が違うとして総評系の組合に移籍した労働者を日本鋼管が労使協調の労働組合とのユニオン・ショップ協定を理由に解雇したが、それが無効とされたという事件には触れたくないということなんでしょうね)。
しかし、説明の中でも、また挟まれている「労務屋の横道」というコラムでも、度々戦闘的な労働組合を批判し、労働者のためにもならないとこき下ろし、労使協調の労働組合を高く評価している下りが目につきます。著者は、労使協調路線の労働組合との対応の経験で、「労働組合のことを思って労働組合の役員の方に諸々アドバイス」してきたが「専ら、よりよき労働組合になってもらいたい、立派な労働組合の役員になってもらいたいという気持ちから」で「組合を誹謗中傷する意思も組合弱体化を意図したことも一切ありません」として、「皆さん、こういう労使関係は労働組合法違反でしょうか?」と問いかけています(250ページ)。経営者側は、いつもそう言うんですよね。著者はそのすぐ前に、「家族経営でうまくいっている」と考えるワンマン経営者について「でも、そのように思われているのは、社長さん、あなただけではないですかといいたくなることもあります」と釘を刺している(243ページ)のですけど、人間、自分のことは見えなくなるものですね。
労働法の体系上、多数派労働組合と労働協約を締結すればそれによって労働条件を切り下げることができます。その労働組合が労働者の4分の3以上を組織していれば、非組合員に対してもその労働条件切り下げが適用できます。使用者からすれば労使協調の闘わない労働組合を育成し手名付けることができれば、労働条件の切り下げもやり放題です。労働者にとっては使用者の言いなりになる労働組合はむしろ敵とさえ言えます。近年、使用者側で、労働法のこういった点を利用し、使用者に対して、労働組合を敵視するのではなく、うまく利用しようと呼びかけるものが増えています。この本もそういう立場から書かれています。著者が度々労使自治の尊重をいうのも、労使協調路線の労働組合が権利を放棄して使用者にすり寄るのを規制して無効というのはけしからんということに尽きます。
「はじめに」で「労働組合頑張れとエールを送りたい」(2ページ)などと、労務屋に見くびられていることが、この国の労使関係の現状をよく反映していると言えるでしょう。
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小西義博 公益財団法人日本生産性本部生産性労働情報センター 2017年5月31日発行
労働組合法の解説に関しては多くの部分ではオーソドックスな説明ですし、紹介している判例も一般によく知られているものを使用者側に不利なものも紹介してバランスを取っています(労働組合に加入していない/除名されたとか脱退した労働者を会社は解雇するという「ユニオン・ショップ協定」が別の労働組合に加入した者や自ら新たな労働組合を結成した者に対して解雇義務を定める部分は無効とした判例として三井倉庫港運事件・最高裁1989年12月14日第一小法廷判決を紹介している(69~70頁)こと自体は、オーソドックスなものですが、著者の立場を考えると、その7日後に最高裁が同じ判断を示した日本鋼管事件の判決に触れないのはどうかなと思いますけど。労使協調の第一組合と方針が違うとして総評系の組合に移籍した労働者を日本鋼管が労使協調の労働組合とのユニオン・ショップ協定を理由に解雇したが、それが無効とされたという事件には触れたくないということなんでしょうね)。
しかし、説明の中でも、また挟まれている「労務屋の横道」というコラムでも、度々戦闘的な労働組合を批判し、労働者のためにもならないとこき下ろし、労使協調の労働組合を高く評価している下りが目につきます。著者は、労使協調路線の労働組合との対応の経験で、「労働組合のことを思って労働組合の役員の方に諸々アドバイス」してきたが「専ら、よりよき労働組合になってもらいたい、立派な労働組合の役員になってもらいたいという気持ちから」で「組合を誹謗中傷する意思も組合弱体化を意図したことも一切ありません」として、「皆さん、こういう労使関係は労働組合法違反でしょうか?」と問いかけています(250ページ)。経営者側は、いつもそう言うんですよね。著者はそのすぐ前に、「家族経営でうまくいっている」と考えるワンマン経営者について「でも、そのように思われているのは、社長さん、あなただけではないですかといいたくなることもあります」と釘を刺している(243ページ)のですけど、人間、自分のことは見えなくなるものですね。
労働法の体系上、多数派労働組合と労働協約を締結すればそれによって労働条件を切り下げることができます。その労働組合が労働者の4分の3以上を組織していれば、非組合員に対してもその労働条件切り下げが適用できます。使用者からすれば労使協調の闘わない労働組合を育成し手名付けることができれば、労働条件の切り下げもやり放題です。労働者にとっては使用者の言いなりになる労働組合はむしろ敵とさえ言えます。近年、使用者側で、労働法のこういった点を利用し、使用者に対して、労働組合を敵視するのではなく、うまく利用しようと呼びかけるものが増えています。この本もそういう立場から書かれています。著者が度々労使自治の尊重をいうのも、労使協調路線の労働組合が権利を放棄して使用者にすり寄るのを規制して無効というのはけしからんということに尽きます。
「はじめに」で「労働組合頑張れとエールを送りたい」(2ページ)などと、労務屋に見くびられていることが、この国の労使関係の現状をよく反映していると言えるでしょう。
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小西義博 公益財団法人日本生産性本部生産性労働情報センター 2017年5月31日発行