震災2周年で色々な報道があったようです。
合言葉は「忘れない」。
1000年に一度の震災を、2年で忘れてはなりません。
しかし、人間は忘れる動物です。忘れなければ生きていけないかもしれません。
被災を受けなかった私たちは、毎日頭から震災が離れないという生活をしていません。笑いもするし、遊びもする、被災地のことなど頭からすっぽり抜けてしまっている時もあります。
「忘れない」という言葉は、忘れてしまうことがあるから「忘れないようにしようね」という合言葉なのでしょう。
しかし、被災地、被災者は違います。
大槌町の江岸寺さんの言葉です。
「よくマスコミが震災のことを『忘れない』っていうけど、当事者の我々からすれば、『忘れたくとも忘れられない』毎日なのが現実。『思い出す』ってことは、ある意味で『忘れられる』心境になっているからできること。すべてを忘れ去ることは無理だが、一時でも震災を忘れられるようになれば、一歩前進なのではないかなとも思う。矛盾しているようだが、そんな我々の心境を酌みとってもらったうえで、多くの方に震災のことを『忘れない』でいてほしい」。
現在も、被災のど真ん中で、一時も忘れることのできない苦しみ悲しみの中に人々がいることを知っておくべきでしょう。
その上で「忘れない」とはどういうことか、それは、平生は忘れていても、時々は思い出すということでしょう。
毎月11日は思い出すとか、テレビ新聞の報道を「もういいや」と目を背けるのではなく、心を費やして向き合っていくということだと思います。
1000年に一度の被災から逃れた私たちは、1000年に一度の災害で亡くなられた人々を追悼し、苦しむ人々のために生きることを与えられた使命と受け止めたいと思っています。
3月11日、あれほど「忘れない」を連呼していた意味が、次の日から忘れることの免罪符であってはなりません。
「忘れない」を形に、行動に。
私の11日は、石巻のお寺さんの法要に参加させていただく予定でしたが葬儀が入り断念しました。
昨日12日は、新庄中学校の震災を通して命について考える「いのちの日」で講演、夜には新庄エヴァホールでのやなせなな震災支縁コンサートに参加しました。