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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
九州地方で大きな地震が発生しています。
当初、熊本県の益城町という局地的な地震かと思っていましたが、あの震度7という地震が前震で、16日未明の地震が本震であったと気象庁が訂正しました。
震源地も大分県などに広がってきています。阿蘇山も噴火したり、今後も更に移動や誘発があるのかどうか、心配される状況です。
地震の規模では阪神淡路大震災を超える、というような報道もあり、大災害になってしまったことは間違いないようです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、そのご遺族や、不安なまま過ごされている方々の心中をお察しし、心よりお見舞いを申し上げます。
地球上に生きる者にとって、地面が揺れるほどの恐怖があるでしょうか。
まさに、足下がグラグラすることは、生きる基盤が揺らぐことであって、生命の危機と感じて不思議ではありません。
一度大きな地震を経験した人は、その後しばらくは、少しの揺れでも心の芯から大きな衝撃を感じるようになってしまいます。
しかも、今回は、これまでにないほど何度も何度も繰り返し大きな揺れが発生しているので、その恐怖と不安はいかばかりかと、心中察するに余りあります。
しかし、実際は、他人の心中など察することはできないのです。
人の心中は、状況や環境、周囲との関係において千差万別ですから、軽々しく「あなたの気持ちは分かる」などと口走れるものではありません。
東日本大震災から1年後、仙台で曹洞宗の1周忌法要が行われました。
その時導師を務められた永平寺の福山禅師様が、お言葉の中で、
「ご家族を亡くされた方々の深い悲しみを分かち合いたいと思いながら、それは決してできないことであることが、私にとっての苦しみです」と仰いました。
他人の苦しみ悲しみは、分からないことではあるけれど、何とか分かりたい、少しでも分かち合いたい、と思う心を「慈悲心」と言います。
東日本大震災の被災地では、最初の地震が発生した次の日、早速復興市場に手作りの募金箱をおいて募金活動をはじめたというニュースが流れました。
インタビューに応えた人は「他人事じゃないもの」と仰っていました。
痛みを味わった者だけが共感できる、言える言葉ですね。
そういえば、奥尻島の津波の時は雲仙岳噴火の島原から真っ先に支援物資が送られました。
東日本の時は阪神地方から真っ先に人が駆けつけました。
痛みを共感するには痛みの経験が必要なのかもしれません。
だったら経験したことのない人はその資格がないのか、そんなことはないでしょう。
だからこそ、想像力が必要なのです。分かろうとする苦しみが必要なのです。
そして、その共感力は必ず、いざという時に自分を救ってくれるものと思います。
自分に何ができるか考え、行動を起こしましょう。
私が関わっている団体公益社団法人シャンティ国際ボランティア会では、職員の派遣を決め募金活動を開始しました。http://sva.or.jp/wp/?news=17830
よろしければ今後の情報をチェックしてみてください。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
九州地方で大きな地震が発生しています。
当初、熊本県の益城町という局地的な地震かと思っていましたが、あの震度7という地震が前震で、16日未明の地震が本震であったと気象庁が訂正しました。
震源地も大分県などに広がってきています。阿蘇山も噴火したり、今後も更に移動や誘発があるのかどうか、心配される状況です。
地震の規模では阪神淡路大震災を超える、というような報道もあり、大災害になってしまったことは間違いないようです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、そのご遺族や、不安なまま過ごされている方々の心中をお察しし、心よりお見舞いを申し上げます。
地球上に生きる者にとって、地面が揺れるほどの恐怖があるでしょうか。
まさに、足下がグラグラすることは、生きる基盤が揺らぐことであって、生命の危機と感じて不思議ではありません。
一度大きな地震を経験した人は、その後しばらくは、少しの揺れでも心の芯から大きな衝撃を感じるようになってしまいます。
しかも、今回は、これまでにないほど何度も何度も繰り返し大きな揺れが発生しているので、その恐怖と不安はいかばかりかと、心中察するに余りあります。
しかし、実際は、他人の心中など察することはできないのです。
人の心中は、状況や環境、周囲との関係において千差万別ですから、軽々しく「あなたの気持ちは分かる」などと口走れるものではありません。
東日本大震災から1年後、仙台で曹洞宗の1周忌法要が行われました。
その時導師を務められた永平寺の福山禅師様が、お言葉の中で、
「ご家族を亡くされた方々の深い悲しみを分かち合いたいと思いながら、それは決してできないことであることが、私にとっての苦しみです」と仰いました。
他人の苦しみ悲しみは、分からないことではあるけれど、何とか分かりたい、少しでも分かち合いたい、と思う心を「慈悲心」と言います。
東日本大震災の被災地では、最初の地震が発生した次の日、早速復興市場に手作りの募金箱をおいて募金活動をはじめたというニュースが流れました。
インタビューに応えた人は「他人事じゃないもの」と仰っていました。
痛みを味わった者だけが共感できる、言える言葉ですね。
そういえば、奥尻島の津波の時は雲仙岳噴火の島原から真っ先に支援物資が送られました。
東日本の時は阪神地方から真っ先に人が駆けつけました。
痛みを共感するには痛みの経験が必要なのかもしれません。
だったら経験したことのない人はその資格がないのか、そんなことはないでしょう。
だからこそ、想像力が必要なのです。分かろうとする苦しみが必要なのです。
そして、その共感力は必ず、いざという時に自分を救ってくれるものと思います。
自分に何ができるか考え、行動を起こしましょう。
私が関わっている団体公益社団法人シャンティ国際ボランティア会では、職員の派遣を決め募金活動を開始しました。http://sva.or.jp/wp/?news=17830
よろしければ今後の情報をチェックしてみてください。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。