なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ56

2016年05月22日 06時11分41秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

今週は広島からお送りいたします。
5月22日を迎えました。
心臓が動いています。呼吸をしています。
これまで何度も何度も書いたり語ったりしてきました、私の60年寿命予測、昨日最後の日を迎えました。
昨晩は、毎年招かれている呉のお寺の講演でした。
松林寺を出る朝には、朝課でご本尊様、歴代住職様に念入りに感謝を申し上げ、庫裏の仏壇には親族への報恩のお経を唱え、母親にも感謝の言葉をかけて、けじめをつけてきました。
これが最後の一日だと思うと感動が盛り上げってくるものですね。

19日、東京工業大学の新入学生1100名に講演をさせていただいたときに、講演が終わり、質問も時間切れで閉じた後、ステージまで上がってきて質問をしてくれた学生が何人かありました。その一人が
「あと3日の命だと話されたじゃないですかァ、それは地球最後の日までのカウントダウンみたいなものですよね、そんな貴重な時間を自分のしたいことのために使わずに、私たちの講義のために使うというのはどういう気持ちですか」と尋ねました。
私は「自分がこれまで60年生きてきて、今考えていることを若い君たちに話ができたことは、自分のまとめみたいなもので、話できたこと、君たちが聞いてくれたこと、とても光栄に思います」と心から答えました。質問してくれたことがうれしかったですね。

そんなカッコウつけて、結局生きてるじゃないか、と笑われるかもしれません。
いえね、決して心配してもらおうとしたわけでも、物語を作ろうとしたわけでもありません。
本当に不思議なことに、20代のころからなぜかそんな予感があったのは確かです。
そのころは60歳はまだまだ先のことで、漠然と考えていただけでしたが、50歳を過ぎ、あと1年、あと半年、最後のお盆、最後の正月、あと1ヶ月、あと1週間、と迫ってくると、実に深刻になりました。
そして昨日最後の日を向かえ、最後のお話を、ある意味命がけでさせていただくことができました。
終わって、大変疲れましたが、充実感はありました。
楽しい人生だったと心から思いました。
思いがけず、お寺ではケーキを準備されていて、ささやかな誕生日をしていただきました。感激でした。
その後、ホテルに入って、最後の時間を静かに迎えようと思っていましたが、30分を前に眠ってしまい、今朝目が覚めた、という展開でした。

外は晴れています。
一度終わった人生がまた新たに動き出しました。
私の仮想寿命、最後の日予測につき合わせてしまってお騒がせしたかもしれません。
でも、私にとっては真剣でした。
そしてこの体験をしたことで、いつかやってくるその日の予習ができたと思います。
医師から宣告される前に、自ら余命を想定することはできます。
その実験だったように思います。

”その日”は私たちに間違いなくやってきます。
それは突然で、今その時だと自覚しないままに訪れる場合も、宣告されてジワジワと迫ってくるその日を迎える場合ももあるでしょう。
予習することはできます。
それは、悲観的でも、お遊びでもありません。
死の現実を肌で感じることで、人生をよりよく、充実して生きるための一つの方法です。
一度想定してみたらどうでしょう。お勧めいたします。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。