なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ73

2016年09月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

おはようございます。
秋彼岸ですね。
実は今朝早く浜松まで出かけて彼岸会法要のお話を頼まれています。
ボランティア団体の古い仲間の和尚さんで、半月ほど前に来てくれと頼まれて、断り切れず、彼岸会直前の土日にも関わらず出かけることにいたしました。
こうなったら、せっかくだから、ウナギを食べて酒を飲んでやる、と意気込んでいます。

それはそれとして、パラリンピック、凄いですね。
先週も言いましたが、これまでこんなにちゃんとテレビで放送したことはなかったのじゃないでしょうか。
知らないことがいっぱいでした。
もうこれは、障碍がありながらも頑張っているスポーツ、などではないですね。
障害を言い訳にするような競技ではないし、まったく別の競技だと思いました。
お涙頂戴だとか、温かい声援を、などという生易しいものではありません。
競技に対する姿勢は、オリンピックの選手と全く変わらない真剣勝負です。
四肢切断や視覚障碍だけではなく、脳性麻痺や知的障碍のクラスもあり障碍の程度により細かくクラス分けされているということを初めて知りました。
今回それを知ったのはテレビを見たからで、これまでも報道はあったのかもしれませんが、やはり映像として見ないと、その内容や、選手の真剣さ、喜びや悲しみを感じることはないでしょうね。
それぞれの協議がパラリンピックの競技として成り立っているということは、それぞれに細かいルールが決められいて、世界選手権などもあるようですから、ルールの共通認識も世界中に通じているわけでしょう。
審判やサポートする側も慣れていないとできないわけですし、そんな風に障碍者スポーツが行われていること自体知らないことでした。

放送されるのはいいことですね。
知らないから偏見を持ったり、見下げたりすることもあるのでしょうから、よく見てよく知ることは相手を理解する第一歩だと思います。
4年後には東京でも行われるわけですから、もっともっとテレビに露出して関心を高めてほしいと願います。
それでもおそらくは、パラリンピックは見たくない、という人もいるのだろうなあと思いながらテレビを観ています。
四肢切断や脳性麻痺の人の姿を見たくないという人がいることも事実だと思います。
いわば、普通の人の中で、普通の感覚で生きていたい、変な人とは関わりたくないと思う人もいるに違いないと思うのです。
その感覚は分からないわけではないのですが、でもそれは、ただ慣れていないだけなのではないでしょうか。
自分と違う人を排除し、関わりたくないという感覚、そういう感覚をお持ちの人は、おそらく障碍者だけではなく、外国人や肌の色、宗教の違いなどにも同じような排他的な感情を持つ人だと思います。
民族の優位性などの問題ではなく、ただ慣れていないだけ。
傍にいても見ようとせず、触れようとしない、そうやって過ごしていくのでしょう。
確かにそれでも生活には困らない、何ら不都合はないかもしれません。
しかし、おそらくそれは、人間の豊かさに欠けることと思います。
他の違いを認められないのは、自分の閉鎖性にあるからです。
自己の解放こそが自由であり、自己閉鎖は不自由です。
不自由な心では楽しむことにも限界を作ってしまいます。

自己を開放するために、違いを知り、その上で同じであることに気づき、共感していく。
そうありたいと願います。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。