なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ112

2017年06月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

6月18日日曜日。

本日は、舟形町で法類の寺院の大般若会と先住忌があり、終わって栃木県の特派布教巡回に出かけます。
栃木県の南部、佐野市から宇都宮市までの5ヵ寺を回ります。
最終日23日にはお坊さん方への研修会講演も予定されています。
どんな教場でどんな出会いがあるか、それも楽しみの一つです。
精いっぱい務めさせていただくつもりです。

先日8日または9日、山形県内の新聞各紙に広告が載りました。
千歳不動産主催の「こころのセミナー」の広告です。
今回第29回目になるそうですが、私がその講師を務めることになっています。
3年間連続で講師を務めるのがパターンとなっているようで、私は今年から3年ということになります。
演題は「命の使い方その1」としました。
3回に分けて、今、自分が伝えたいことを思う存分話させていただきます。
期日は7月3日月曜日。
午後2時から3時30分までです。
会場は、山形市JR駅ビルのメトロポリタンホテル、「霞城の間」。
入場は無料ですが、定員350名になり次第締め切りとなるようです。
もし、ご希望のある方はお早めにお申し込みください。

今年ももう半年が過ぎようとしています。
本当に時の経つのは早いです。
本当に早いのです。
しかも繰り返されることのない時を過ごしています。
去年の自分と、昨日の自分とも違う今日を生きています。
一年、一日生きるということは、間違いなく、命の残り時間を縮めていることに他なりません。
一年生きたということは、一年長生きしたしたということでありながら、残り時間の一年を失ったということでもあります。
来年の6月が来るという保証もなく、来たとしても、自分の足で歩けるか、言葉を発することができるか、その保証は誰にもありません。
何の保証もない、何も決まっていない一日を生きているにすぎません。
しかし、今日、私は生きています。
そして今日、この命をどう使うのか、それは私が決めていいことです。
何の保証もない命を生きながら、この命の使い方は自分に任されている。
それを「命の所有権はないが、使用権はある」と言います。

残された時間がどれほどなのか、自分には分かりません。
だけど、今日すべきことは、今日したいことは、今日したほうがいいでしょう。
明日の保証はないのですから。
今日の体でできることを今日のうちに。
どんどん衰えて、どんどんできなくなるのは当然の流れなのですから。
今、頭の中にあることは何ですか。
今日のうちに行くべきところはないですか。
今日のうちにやりたいことはないですか。
今日のうちに言っておくべきことはないですか。
今日一日、この時間を自分が使うと、自分に言い聞かせながら使ってみたらどうでしょう。
元々、自分の命は自分以外には使われないのですから。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。