なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ141

2018年01月07日 04時53分07秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

1月7日、日曜日。

明けましておめでとうございます。
平成30年最初のサンサンラジオです。
昨年は義父が他界したので賀状は失礼させていただきました。
正月の行事もほぼ終了し、平常の日々に戻りつつありますが、年末から年始にかけてお世話になった方の訃報が続き、弔問の予定が入っています。
出会いと別れの損益分岐点を越したのかもしれません。
これまで出会った分の別れが、今後益々増えていくことでしょう。

誕生。それは人生最初で最大の出会いです。
以来私たちは、空気を吸うように数々の出会いを重ねてきました。
出会いそのものが人生だとも言えます。
人間ばかりではありません。犬や猫とも出会い、音楽や本や教えとも出会ってきました。
今ここにある私は、これまでの全ての出会いの結果です。
しかし、「会えば別るる世のならい」で、出会えば必ず別れなければなりません。
他人が別れていく場合もあれば、自分の方からサヨナラを言う場合もあります。

ある年齢までは当然、プラスというか、出会いの連続なわけで、いつのころからか引き算が始まり、貯金を取り崩すように、出会いの数より別れの数の方が多くなっていくのでしょう。
でも、誰かとの別れという前に、体の細胞が日々生滅を繰り返しているのですから、自分自身の命は誕生のその瞬間をピークに別れに向かっている、ということもできます。
そう、出会いそのものが人生であるとともに、別れの連続も人生なのです。
それは当たり前のことであって、別に驚くようなことでもありません。
別れることが人生だと観ずれば、他人の死も自分の死も怖れることはありません。
もちろん、自分の死も家族の死も、目の前に迫ってくれば不安になりますし、右往左往します。苦しみや悲しみに押しつぶされそうになるかもしれません。
しかし、一方で、「すべてはうつりゆくものだ」と冷静に覚めているのがいいでしょう。
悲しみながら、悲しみを受け止めている自分でありたいと思います。

正月三が日祈祷したお札を、4日地元の100軒近くの檀家さんに一軒一軒歩いて配りました。
一人暮らしの老人宅や、いろいろな苦労を抱えている家庭、地元だけに家々にその内情が知られます。
どのような思いで暮らしているのだろうかと、思いを馳せながら歩きます。
生きるということは、なかなか大変なことです。
大変なことが、生きるということでもあります。

ドイツ生まれの上智大学名誉教授アルフォンス・デーケン先生は、「死の哲学」「死生学」の権威で、死と向き合う時のユーモアの有効性を説いています。私も講演を聞いたことがあり「にもかかわらず笑う」というお話に感銘を受けたことを覚えています。
この世から苦しみも悲しみも消えることはありませんが、どんな時にも「にもかかわらず笑う」ということを心がけたいと思います。
死を前にして「にもかかわらず笑う」。
苦しみのどん底にあって「にもかかわらず笑う」。
震災に遭って「にもかかわらず笑う」。
それは、普段からそう心がけないとできないでしょう。
生きているかぎり悲しみも苦しみも当たり前のことです。
とりたてて「悲しい」「大変だ」と口にする必要もありません。

今年、皆さんが、にもかかわらず笑っていることを祈ります。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。