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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
8月5日、日曜日です。
もう8月です。お盆ですよ。
こんなに暑いのにどうしようかとうんざりしているお坊さん方も多いと思います。
最上は涼しいですよ。避暑にいらっしゃい。
松林寺は相変わらず静かです。もう、3か月静かです。
お盆の間も割と楽にこなせそうです。
先日、朝坐っている時にこんな言葉が浮かんできました。
「金数えてる間に人生過ぎてしまうのは実にもったいない 金は生きるための道具であり目的じゃない」
お金は誰が発明したのでしょうか。
それまでは、必要なものを交換し合う、労働も含めていわば物々交換だったでしょう。
その後、利便性のために貝殻や金属が共通価値として物品やり取りの対価となりました。
更にその後、金銀を持っているのは盗難の危険があるので、それを預けてその証書で貨幣の代わりとしました。これが紙幣の始まりだということです。
おそらくその頃から、お金は必要なものを手に入れるための道具ではなく、お金そのものが目的化したのではないかと思われます。
持ち運びにも便利だし、いくらあっても邪魔にならないし、欲望を満たし膨らませるのには絶好の道具であったと思います。
道具が目的に変わった時から人間の価値も変わり始めたのかもしれません。
LGBT「生産性ない」発言が問題視されています。
「生産性」を言われるとお坊さんは首をすくめたくなります。
もともと出家というのは、社会から飛び出し自ら生産性を放棄した人のことです。
お釈迦様の時代から、人の施しを受けて生きてきました。
アジアの上座部仏教のお坊さんたちは、今も朝の托鉢によっていただいたもので命を支えています。
経済活動から離れたところからモノ言える人だとも言えます。
生産しないことで見えるもの、言えること、与えられるもの、存在の価値があるからでしょう。
タイのお坊さんには選挙権も被選挙権もありません。
生産性だけで見られたら、お坊さんは「役立たず」と排除されるのでしょうね。
他には、生まれたばかりの赤ん坊はかわいいばかりで生産性はないように思いますが、将来性を期待して必要な存在でしょうか。
すると、弱っていくばかりの老人は全く生産性がないように思われます。
早く排除した方が社会のためだなどと思っている若者もいるのでしょうね。その本人もやがて年をとるのにね。
障碍者の生存を必要ないとの思いで殺戮した事件もありました。
人間を生産性で見る発言が生まれること自体が、人間界の限界を迎えているのかと背筋が寒くなる思いです。
そうか、優生保護法も同じ発想から生まれたものでしょうね。
発言者は、自分は必要な人間、自分は優秀な人間と思っているのですよね。笑止千万な。
あなたには人間を選別するような権限も能力も叡智もありません。
人間の価値など人間に判断できるはずがありませんから。
自分の命さえ自分のものではないのに、他人の命に価値を付けるなどということができるはずないでしょう。
分かってますよ。彼の議員が言ったのは人間の価値ではなくLGBTの結婚についての法的な制度だということを。
しかし、「生産性」という価値判断で人を見ていることには間違いなく、それが今の社会の流れに思えてくるところが恐ろしいところです。
法的な制度に生産性という物差しを当てれば、高齢者や障碍者などいわゆる弱者を切り捨てる尺度がまかりとることになります。
「こちら側」というように自分を安全圏に置いて、「あちら側」を排除していくような、分断を醸成する傾向に危機感を覚えます。
人間は生産のための道具じゃない。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
8月5日、日曜日です。
もう8月です。お盆ですよ。
こんなに暑いのにどうしようかとうんざりしているお坊さん方も多いと思います。
最上は涼しいですよ。避暑にいらっしゃい。
松林寺は相変わらず静かです。もう、3か月静かです。
お盆の間も割と楽にこなせそうです。
先日、朝坐っている時にこんな言葉が浮かんできました。
「金数えてる間に人生過ぎてしまうのは実にもったいない 金は生きるための道具であり目的じゃない」
お金は誰が発明したのでしょうか。
それまでは、必要なものを交換し合う、労働も含めていわば物々交換だったでしょう。
その後、利便性のために貝殻や金属が共通価値として物品やり取りの対価となりました。
更にその後、金銀を持っているのは盗難の危険があるので、それを預けてその証書で貨幣の代わりとしました。これが紙幣の始まりだということです。
おそらくその頃から、お金は必要なものを手に入れるための道具ではなく、お金そのものが目的化したのではないかと思われます。
持ち運びにも便利だし、いくらあっても邪魔にならないし、欲望を満たし膨らませるのには絶好の道具であったと思います。
道具が目的に変わった時から人間の価値も変わり始めたのかもしれません。
LGBT「生産性ない」発言が問題視されています。
「生産性」を言われるとお坊さんは首をすくめたくなります。
もともと出家というのは、社会から飛び出し自ら生産性を放棄した人のことです。
お釈迦様の時代から、人の施しを受けて生きてきました。
アジアの上座部仏教のお坊さんたちは、今も朝の托鉢によっていただいたもので命を支えています。
経済活動から離れたところからモノ言える人だとも言えます。
生産しないことで見えるもの、言えること、与えられるもの、存在の価値があるからでしょう。
タイのお坊さんには選挙権も被選挙権もありません。
生産性だけで見られたら、お坊さんは「役立たず」と排除されるのでしょうね。
他には、生まれたばかりの赤ん坊はかわいいばかりで生産性はないように思いますが、将来性を期待して必要な存在でしょうか。
すると、弱っていくばかりの老人は全く生産性がないように思われます。
早く排除した方が社会のためだなどと思っている若者もいるのでしょうね。その本人もやがて年をとるのにね。
障碍者の生存を必要ないとの思いで殺戮した事件もありました。
人間を生産性で見る発言が生まれること自体が、人間界の限界を迎えているのかと背筋が寒くなる思いです。
そうか、優生保護法も同じ発想から生まれたものでしょうね。
発言者は、自分は必要な人間、自分は優秀な人間と思っているのですよね。笑止千万な。
あなたには人間を選別するような権限も能力も叡智もありません。
人間の価値など人間に判断できるはずがありませんから。
自分の命さえ自分のものではないのに、他人の命に価値を付けるなどということができるはずないでしょう。
分かってますよ。彼の議員が言ったのは人間の価値ではなくLGBTの結婚についての法的な制度だということを。
しかし、「生産性」という価値判断で人を見ていることには間違いなく、それが今の社会の流れに思えてくるところが恐ろしいところです。
法的な制度に生産性という物差しを当てれば、高齢者や障碍者などいわゆる弱者を切り捨てる尺度がまかりとることになります。
「こちら側」というように自分を安全圏に置いて、「あちら側」を排除していくような、分断を醸成する傾向に危機感を覚えます。
人間は生産のための道具じゃない。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。