なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ171

2018年08月12日 04時35分55秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月12日、日曜日です。

先日は豪雨のニュースが全国的に流れ、方々から心配のお伺いをいただきました。
国道や県道、町道、農道などが土砂崩れ、冠水によって通行止めとなり、避難指示が出て、床上床下浸水が数件、温泉の水上がり、田畑の冠水、崩壊などありましたが、それでも記録的な短時間豪雨という割には他地区のような甚大な被害にはならなかったようです。
「ここは災害がなくていいね」というのが挨拶のような町でしたが、そんな所はこの国にはないのだと思い知らされたことでした。
ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。

雨が降れば雨を恨み、降らなければ太陽を恨み、自分の環境、地域の問題、町や国の批判など、文句ばっかり言って暮らす人がいます。
口から出てくるのは、愚痴ばかり。
愚痴は相手をつまらなくし笑顔を失うので、聞いていて全くおもしろくありません。
愚痴は、相手もそして自分をもマイナスに引き込んでしまいます。
なにがその人をそうさせるのでしょうか。
その一つは、今を生きていないことにあると思います。
過去にとらわれて今を嘆いたり、未来を心配して悲観したり、今の自分を生きていないからです。
もう一つは、他人と比較するからでしょう。
誰かと比べて自分が低く見えたり足りないと思ったりして腹を立ててしまうのです。
「自分の今」だけを見つめて、今何がベストなのかを徹底的に考えれば、過去にとらわれたり未来に迷ったり、誰かと比べたりの苦しみを感じることはないでしょう。
みんなが貧乏で大変な時には貧乏はさほどの苦しみではありません。自分だけが貧乏に取り残されると思うことが苦しみなのです。比べるところから感じる苦しみです。
もちろん生活の大変さはあります。しかし、その上に比べることでの苦しさまで味わう必要はありません。

小さく古い家に住んでいたとします。
そこで生活をする中で、少しでも快適に過ごせるように、家の中をきれいに掃除をして、今あるものを使って小奇麗に飾り付けをしてみたり、「今を楽しむ」工夫をしている人がいます。
同じように、自分の住む環境、町を、今ある中でどのように快適に楽しく過ごせるかを考え、少しずつ改善していくことはできるはずです。
家が小さくて古いことを嘆いてみたり愚痴を言ってみたりしたところで何の喜びも得られません。
豪邸に住みながら、埃だらけで物置のような中で暮らしている人もいます。
快適な暮らしと楽しい生活は自ら作っていく以外にありません。
ああ、ごみの中の方が快適な人はそのままどうぞ。

今の足下を見つめ、その中でできること、その中で感じる喜びを、一つずつ工夫することに専念していきましょう。
現状から目をそらし紛らわすために享楽に耽ったり、一攫千金をねらってギャンブルに走ったりするのは向かっている方向が逆行していると言わざるを得ません。
足下の、一歩ずつを着実に改善していけば、やがてそれなりの結果が出るだろうし、周囲からも認められ状況は好転していくに違いないと思います。
結果を求めて今を我慢するのではなく、今そのものを楽しみにする生き方をするということです。
たとえ理想とするような結果にならなくても、今を見つめて生きた行為は、自らを認め自ら納得できる生き方になるはずです。
一歩一歩が手段ではなく、一歩一歩を目的とする歩き方、「自分の今」を生きることが禅的な生き方と言えます。
生きていることそのものを、楽しもうじゃありませんか。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。