なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ259 万事を休息

2020年04月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第259回。4月19日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
16日池の掃除
17日ガラス磨き
そのような1週間でした。

おはようございます。
何もすることがありません。
いやいや、経済活動いわゆる仕事がないというだけで、すべきこと、した方がいいこと、普段できないことなど、することはあります。
現代人は仕事に振り回されて、仕事以外のことは余計なこと無駄なことと軽く見ているようなきらいがあります。
特に男性には、家事など女子供のやることだ、みたいな受け止め方が多いかもしれません。最近の男性はずいぶん変わってきたようにも思いますが。
だから仕事がないことに慣れていないですね。退職後家に居て「連れてけ症候群」になるとか。
この時期、仕事を離れて暮らすことの練習にはいいかもしれません。
高度経済成長期前までの日本は、もっとゆったり生きていたように思います。
農家は春から秋まで働いて、冬いっぱい長逗留で湯治をしたりしていました。
連ドラの『エール』ではありませんが、仕事もゆったりしていたでしょう。

落語にこんな話があったと思います。
長屋で仕事もしないでゴロゴロしている若者に大家さんが声をかけます。
大「また昼間からゴロゴロしてやがる。若いもんは外へ出て働かなくちゃダメじゃないか」
若「へー、じゃあ大家さん、働いたらどうなるんです?」
大「そりゃお前、いっぱい働いていっぱい稼いで、楽な暮らしができるじゃないか」
若「楽な暮らしって何です?」
大「そりゃお前、若い衆をいっぱい使って、自分は昼間からゴロゴロして暮らすんだよ」
若「今オレそれやってんです。かまわんでください」

何のために働いているのか。働いて楽になるのか、楽に働くのか、という風刺があるようです。
仕事もしないで遊んで暮らせればそんな楽なことはありませんが、仕事がなくても生活費はかかるわけで、それが問題です。

いざというときに人間の本性が見えるというか、その人の真価が問われるということは、東日本大震災の被災地でも感じたことです。
平常時にはとてもいい人に見えていた人が、異常事態に陥った時、とんでもなく利己主義で人のことはどうでも良くてとても嫌な顔をしている人だった。いわゆる化けの皮が剥がれる、というようなことがありました。
コロナの危機においても、本性が現れた人もいるでしょう。いざというときの態度で信用も信頼も失ったり、また逆に「人は見かけによらないものだ」という評価を得たりするものです。
世界各国の対策にも差が現れて、高い評価を得た国もあれば評価を下げた国もあります。
特に国のトップの発言、対応には、いざというときの力の差が出たと思います。
原発事故の時のトップの対応も批判されましたが、今回も似たような感じがします。
この国にはまともな政治家はいないのですか。
ものづくりニッポン、この国は伝統として「いいもの」は作ってきたと思いますが、「人づくり」はどうだったのでしょうか。
本来ものづくりと人づくりは同じというか、ものづくりをを通して人をつくってきた国だと思うのですが、見習いや丁稚奉公という制度が廃れ、結果第一、効率主義、経済優先が人づくりを後回しにしてきてしまったのかもしれません。
仕事以外の伝統文化や遊び、地域社会のつながりの中でも人は成長していくものでしょう。お金では買えないものによって人はつくられていくと言ってもいいかもしれません。

江戸時代の和尚さんが「休みとは何ですか」と問われ「家郷に向かうがごとし」と答えたいう話があります。
休みとは、我が家我が故郷に帰るようなものだ、ということで、自分が自分に帰ることを意味した言葉です。
自分が自分に帰った姿が坐禅です。「帰家穏坐」とも言います。
道元禅師の『普勧坐禅儀』の中に「諸縁を放捨し万事を休息」という言葉が出てきます。
坐禅のありようを示しているのですが、全ての関わりを放ち忘れて、心の運転をやめてしまうという状態を指します。
休みたくても休めない、という人も多くいます。今は、働きたくても働けない人もいるでしょう。
本当に休むとは何か。
全てを手放して、ただ坐ってみる。何のためでもなく何の目的もなく。大きく呼吸をして心の力を抜きただ坐る。
それが自分に帰ることであり、休むということだ、と。信じてやってみませんか。
毎朝5時30分から坐っています。よかったらご一緒にどうぞ。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。