三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第388回。10月23日、日曜日。
未だに涙がこぼれてきません。
感情に蓋をしているとか、我慢しているとかではありません。ショックで穴が空いているというのでもありません。
何故か感情がこみ上げてこないのです。
檀家の葬儀を勤めながら、孫のお別れの言葉に誘われて涙を流すこともあるのに。
フェイスブックなどで友人の投稿を見ても、これまでのように心が動かされることがなくなりました。無味乾燥に感じます。
無感情人間になったのでしょうか。
住職として、これまで数多くの葬儀に携わってきましたが、家族の葬儀がこんなに大変だったのかと改めて知りました。
住職は全てお膳立てが調ったところに呼ばれていくので、その内情を知らなかったのです。
13年前父を送りましたが、その記憶はほとんどありませんでした。13歳若かったので身体的にそれほど大変ではなかったのかと思います。
葬儀の日はとても暖かい日で、本堂の窓も開けて勤めることができました。
思い出してみれば、父の葬儀の日も11月でしたが小春日和の暖かな日でした。
天気がいいだけでうれしくなりました。
もちろん、その人の人生と天候には何の因果もありません。
天気が良いとか悪いとか、それは勝手な人間の損得勘定です。
それでも遺族としてはうれしかったことは事実です。
コロナによって中止されていた前晩の「念仏」も勤めることができました。
45年前、当寺に梅花講を結成してそれまでの流派の念仏から梅花流に変えたのは母と父でしたから、できれば梅花講の皆さんで勤めて送って欲しいとお願いしました。
未だ感染が収まってはいないので可能な方だけでと思っていましたが、現在の講員のほとんど全て50名ほどが集まってくれました。
葬儀も制限を設けず、時間の許す方には本堂に入って参列いただきました。
そろそろ、コロナ前の形態に戻したいという思いもありました。
人は、家族だけで生きてきたわけではないので、ご縁がありお世話になった方々に、一人ひとりお礼を述べてお別れしたいというのが旅立つ人の願いだと思います。その願いを汲み取って故人になり代わりその場を設けるのが遺族の務めだと思うのです。
全てとは言えないでしょうが、多くの方々に弔問においでいただき、顔を見ていただける方には母の顔を拝んでいただいてお別れすることができました。
「生きている時より美人だ」とお褒めの言葉をいただき、母も喜んで?いたと思います。
先週のブログをご覧になった多くの方からお悔やみのお言葉を頂戴し、恐縮にもありがたく思いました。
こういう時に、お言葉の一つもかけていただくことがこんなにもうれしいのかと思いました。
自分はそういうひと手間に無頓着、不精だったとひとしきり反省。
今後はそのお返しをしていきたいと思います。
子どもの頃、母の日に姉と二人で贈った記憶があるサトウハチローの詩集『おかあさん』が手元にあります。
その中から一篇
『母を慕う』
母を慕う
わが心 すなおなり
母にそむく
わが心 いがむなり
このふたつ
いつも母の姿につながり
からみあいて この年までつづきぬ
あわれにしておかし
さて、今日は郡内寺院の晋山結制があります。
その後法事を1件勤め上京。明日から5日間布教師養成所です。
終ってそのまま新潟へ。友人の寺の400年祭と晋山退董式に呼ばれています。
母との思い出を抱いて出かけてきます。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
未だに涙がこぼれてきません。
感情に蓋をしているとか、我慢しているとかではありません。ショックで穴が空いているというのでもありません。
何故か感情がこみ上げてこないのです。
檀家の葬儀を勤めながら、孫のお別れの言葉に誘われて涙を流すこともあるのに。
フェイスブックなどで友人の投稿を見ても、これまでのように心が動かされることがなくなりました。無味乾燥に感じます。
無感情人間になったのでしょうか。
住職として、これまで数多くの葬儀に携わってきましたが、家族の葬儀がこんなに大変だったのかと改めて知りました。
住職は全てお膳立てが調ったところに呼ばれていくので、その内情を知らなかったのです。
13年前父を送りましたが、その記憶はほとんどありませんでした。13歳若かったので身体的にそれほど大変ではなかったのかと思います。
葬儀の日はとても暖かい日で、本堂の窓も開けて勤めることができました。
思い出してみれば、父の葬儀の日も11月でしたが小春日和の暖かな日でした。
天気がいいだけでうれしくなりました。
もちろん、その人の人生と天候には何の因果もありません。
天気が良いとか悪いとか、それは勝手な人間の損得勘定です。
それでも遺族としてはうれしかったことは事実です。
コロナによって中止されていた前晩の「念仏」も勤めることができました。
45年前、当寺に梅花講を結成してそれまでの流派の念仏から梅花流に変えたのは母と父でしたから、できれば梅花講の皆さんで勤めて送って欲しいとお願いしました。
未だ感染が収まってはいないので可能な方だけでと思っていましたが、現在の講員のほとんど全て50名ほどが集まってくれました。
葬儀も制限を設けず、時間の許す方には本堂に入って参列いただきました。
そろそろ、コロナ前の形態に戻したいという思いもありました。
人は、家族だけで生きてきたわけではないので、ご縁がありお世話になった方々に、一人ひとりお礼を述べてお別れしたいというのが旅立つ人の願いだと思います。その願いを汲み取って故人になり代わりその場を設けるのが遺族の務めだと思うのです。
全てとは言えないでしょうが、多くの方々に弔問においでいただき、顔を見ていただける方には母の顔を拝んでいただいてお別れすることができました。
「生きている時より美人だ」とお褒めの言葉をいただき、母も喜んで?いたと思います。
先週のブログをご覧になった多くの方からお悔やみのお言葉を頂戴し、恐縮にもありがたく思いました。
こういう時に、お言葉の一つもかけていただくことがこんなにもうれしいのかと思いました。
自分はそういうひと手間に無頓着、不精だったとひとしきり反省。
今後はそのお返しをしていきたいと思います。
子どもの頃、母の日に姉と二人で贈った記憶があるサトウハチローの詩集『おかあさん』が手元にあります。
その中から一篇
『母を慕う』
母を慕う
わが心 すなおなり
母にそむく
わが心 いがむなり
このふたつ
いつも母の姿につながり
からみあいて この年までつづきぬ
あわれにしておかし
さて、今日は郡内寺院の晋山結制があります。
その後法事を1件勤め上京。明日から5日間布教師養成所です。
終ってそのまま新潟へ。友人の寺の400年祭と晋山退董式に呼ばれています。
母との思い出を抱いて出かけてきます。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。