なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ416 唯我独尊

2023年05月14日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第416回。令和5年5月14日、日曜日。

8日は月遅れの釈尊花まつり、降誕会でした。
参拝者が花を一本ずつ持参して水盤に飾るのが当山のやり方で、ランダムに集まったそれぞれの庭の花も、活けるとそれなりの作品になるので不思議です。
御詠歌を唱え、お経を読み、甘茶をかけて誕生を祝いました。
お釈迦様が実在の人間であることに喜びを感じます。
伝説では奇想天外な物語が語られていますが、それはその偉大さを強調するために、お釈迦様が亡くなってから創られたものであり、実際は他の人間と変わりなく生まれ、悩み、迷い、決断して出家したのです。
ですから、生まれながらにお釈迦様であったわけではないのです。
成道するまでは、言ってしまえば、我々と同じく凡夫だったのです。
なので、
 仏祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は仏祖ならん (修証義第2章)
と言われるのです。
「唯我独尊」とは、全ての命が誰とも比べることのできない「唯一無二」の存在だという意味です。
現今の朝の連ドラ「らんまん」の主人公も同じような趣旨のことを植物に当てて語っていますね。

地球上の命の誕生から40億年、これまで数限りない命が誕生してきました、いや、形を変えて存続してきましたが、その全ての命が全て違うのです。
我々に蟻の行列の一匹一匹の違いを見分けることはできませんが、確かに違うのです。
全く同じ命はこれまで何一つ存在してこなかったし、これからも存在しないのです。
それが尊いところであり、「唯我独尊」と釈尊が詠嘆したところです。
あなたも私も、過去から未来への命の存在全て、何一つ唯我独尊でないものはありません。
というか、元をただせば、地球上に最初に誕生した一つの細胞が唯我独尊だったのですから、その命をつないできた、枝分かれ枝分かれしてきたすべての命は、その唯我独尊を引き継いできただけで、新たに生まれたものではないのです。
唯我独尊が枝分かれしてきたのです。
そのことがお釈迦様は見えていたのでしょうね。すごいことです。

NHKBSの番組で「生命大躍進」を観ました。
「動物の目は植物の光センサー遺伝子を取り込んで生まれた」
「胎盤はウィルスの遺伝子が哺乳類のDNAに組み込まれて誕生した」など
とても興味深い内容でした。繰り返し何度も観たいと思います。
昨日と今日の時間では違いは見えないとしても、長い時間で見れば、命は確実に変化しているのです。
偶然や「事件」に引き起こされる変化もあります。
我々哺乳類の祖先とされる「ジュラマイア」というネズミのような動物は、熾烈な温暖化の波も恐竜時代の波も乗り越えて生き延びてきました。
その要因の一つに、それまで卵で産んで育ててきた子どもを、安全に育てるためにある程度成長するまで体内で育てるという方法を獲得したからだとされます。
それが可能になったのは胎盤の存在ですが、この胎盤、体内にある胎児という存在は、本来母体にとっては異物なので免疫作用によって攻撃の対象になります。
その攻撃から守っているのが胎盤なのです。
この胎盤の誕生にあるウィルスが関わっているということが最近分かってきました。
「レトロウィルス」です。
1億6千万年前の時代、このウィルスの感染でジュラマイアがほぼ絶滅しました。
わずかに残った固体は、このウィルスが生殖遺伝子まで入り込み、DNAの中に組み込まれていったというのです。
その結果、免疫作用をすり抜ける機能をもっていたウィルスによって、胎盤が母体の中で免疫攻撃から守られるようになったということです。
ウィルスの感染という「事件」があったために哺乳類はその後も進化し、発展してきました。
おそらく、それ以外でも小さな「事件」は数々あったのだろうと推測されます。
現在は「事件という偶然の結果」と言えばそれまでですが、結果から見ればそれは必然だったということもできます。
長い時間で見れば、原点、プロセス、結果、どの視点で見るかによって偶然と必然が違って見えます。
今という視点で見れば、現象は「如是(にょぜ)」であり、それ以外ではありません。
目の前、足元の在り様が真実の姿であり、そこをしっかり見つめていくという向き合い方です。

コロナウィルスが遠い未来人間の体にどんな変化をもたらすのか、知りません。
今、ここに、足をしっかりとつけ、一歩一歩が一歩の意味を持つように生きる。それが禅的な生き方です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。