なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ438 一周忌の母

2023年10月15日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第438回。令和5年10月15日、日曜日。

12日は母の命日でした。
亡くなってしまうと本当に早いですね。
1周忌法要は、家族の都合に合わせて9日に勤めました。
本寺様に導師をお願いし、家族、親戚に集まってもらい懇ろに勤めることができました。
母が亡くなるのと相前後してひ孫が3人産まれ計6人になり、全員参列できました。
会席もとても賑やかで、その様子を見て母は、きっと目を細めて喜んでくれていたと感じました。

あれは本当に突然のことでした。
お盆前、出産のために長女が里帰りしてきて、間もなく次女も出産里帰りの予定でしたので、お盆もあるから大変だということで、寝たきりの母を施設にお願いすることになりました。
ひ孫の顔を見るのを楽しみに、孫に見送られ手を振って入所したのでした。
8月末、長女が無事に出産し、退院して顔を見せにいく予定をしていました。
ところが、ちょうどその時、施設内でコロナ感染が発生し、面会ができなくなりました。
9月中旬に次女の子どもも生まれ、面会できる日を待っていました。
10月12日午後、施設から電話がありました。
「具合が悪くなって病院に運んだのですぐに来てください」と。
病院に駆け付けると、緊急治療室前で施設の職員とケアマネジャーが沈痛な顔をして待っていました。
「午後の見回りをしたときに呼吸をしていなくて、すぐにここに運んだ。今心臓マッサージをしている」とのことでした。
「心臓マッサージ」と聞いて、心肺停止になったんだと悟りました。
以前肺炎に罹って入院したときに、「ひどくなると呼吸が止まることがある、その時に心臓マッサージを施すかどうかを事前に聞いておきたい、施せばこの年齢だから肋骨は折れるし、肺炎が悪化しているので呼吸が戻っても回復することは難しい」と判断を求められ、「しなくても結構です」と答えていたのでした。
それが今、同意もなく蘇生をしているということは緊急のことであり、最後の手段なのだろうと理解できました。
間もなく医師が顔を見せ、「20分蘇生を試みましたが未だ呼吸は戻りません、これ以上続けても回復の可能性は低く、たとえ回復したとしても元の状態に戻ることはないと思われます。処置を終わらせてもいいでしょうか」という、家族へ同意を求めるというか、最期の通告でした。
長男として、その判断の責任は自分が負わなければならないことであることは納得できます。
「はい」という一言が母の命の停止ボタンを押すことになりますが、それ以外の選択肢がないことも分かりました。
電話をもらってから15分ほどの出来事です。
施設の職員は深々と頭を下げ謝罪を口にしました。
しかし、おそらくは昼ご飯を食べ、昼寝をしたまま逝ったのでしょうから、誰の責任でもありません。
もう少し早く気がついていたとしても、眠りから揺り起こされて機嫌が悪くなったかもしれません。
きれいな顔をしていたので、昼寝のままの旅立ちだったのだろうと受け止めました。

思えばその2週間ほど前に、大変良くしてくれたケアマネさんから電話があったのです。
「施設に様子を見に行くと、非常に調子が良くてとてもよくしゃべるので、話をしてもらおうと電話しました」。
カミさんと出産したばかりの娘が電話に出ました。
生まれたひ孫の名前が「照(てる)」だと聞いて、「じいさん(義照)の名前つけだのか、うまくつけだな」と喜んだと。
あの時は何だったのでしょうか。
ここ半年ほどは言葉を発することもほとんどなく、表情を作ることも難しくなってきていました。寝たきりの介護ベッドから車椅子に移し、食事を口に運んでもその途中に寝てしまうこともしばしばで、脳の萎縮が進行していることは明らかでした。
それが、突然スイッチでも入ったように脳が活性することもあるのですね。ひ孫のパワーだったかもしれません。
そんな思い出を遺し母は、あっけなく逝ってしまいました。
集まってくれたみんなの心に温かいものを遺してくれたことは間違いありません。
葬儀に会葬くださった方がその時のことを詠まれた短歌が山形新聞の文芸欄に載りました。

 最高の母と述べたる喪主の謝辞 小春日和の葬静かに終わる(結城伸子)

このブログの場で身内のことを語るのは控えたいと思っていますが2週続けてそのようなことになってしまいました。
個人的なことで相済みません。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。