なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ448 日本人は何者か

2023年12月17日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第447回。令和5年12月17日、日曜日。

東京に来ています。
昨日仲間とのミーティングがありました。
場所は甥っ子がやっているもつ焼き屋のテーブルを開店前に借りてのこと。
甥っ子は同じ業態の2店舗で修行の後、若くして独立、自分の店を持ちました。
ちょうどコロナが始まった年で厳しいスタートとなりましたが、前の店からの常連さんがついてきてくれたりして何とか乗り切ってきたようです。
ミーティングの後、逞しい甥っ子の姿を見ながら酒と肴を堪能しました。
因みに店は駒込駅近くの「もつ焼き高賢」です。旨いと評判の店です。

南直哉著の『正法眼蔵 全新講』第1巻を落手。読み始めました。
完成すれば全15巻に及ぶ大事業ですが、既に巻割はできているようなので、おそらくは執筆のあらかたは終わっているのではないかと思われます。
南師は「『眼蔵』を読むとは自分なりの読み方を発見することであり、その「参考書」に過ぎない」と述べておられますが、その文章はいつもながらの明解でキレのいい論説で読んでいて気持ちがスッとします。
しかし、もちろん、『眼蔵』そのものが難解で、その「読み方の参考書」を読んでもその意味を理解するのはそう簡単ではありません。
まさに読む側の力量分しか受け取ることはできないことです。
それでも繰り返しその「読みよう」に触れていると、論理の受け止め方に慣れてくるということはあります。
骨髄まではいかなくとも内臓程度までの理解はできるのではないかという感触を得ています。
この1巻を読了するだけでも相当な時間がかかりそうですが、15巻全部を読むとなれば寿命との伴走になるかと思われます。
途中で命尽きたとしても、本だけ残っていれば後世の人の「参考書」にはなるでしょう。
この大事業とリアルタイムで伴走できることは、いい時代に生きたと喜びに感じるところです。
南師とは永平寺のお勤め時代にご一緒しました。
永平寺から帰ってからも、当時の同僚諸師方との交流が続き、松林寺の晋山式や集中講座にも2回来山いただきました。
南師が院代を勤める恐山の例大祭の講師に呼ばれて3年務めました。
逆に、山形市の連続講座「心のセミナー」の講師として、3年私の後任を務めていただいています。
その頭脳は、現代の禅僧の中でも卓抜な存在ですが、仏教界のみならず現代社会においても「禅の鬼才」と評される注目の存在です。
今後の動向に関心を寄せています。

NHKのドキュメンタリー番組「FRONTIERS」の第1回「日本人とは何者なのか?」を観ました。
「日本人はどこから来たか」は私の興味あるテーマです。
今、DNA解析技術が進んで古代の骨からも詳しい情報が得られるようになってきました。
日本人のルーツは、南方と北方からやってきた人々が「縄文人」として生活し、そこに朝鮮半島を経由してやってきた大陸の人々との混血が現在の日本人だ、というのが定説になっていました。
しかし、DNAの解析から縄文人はタイの山の中で暮らす「マニ族」に近いと。
それは、アフリカで生まれた人類が東南アジアと北方樺太を経由して極早い時点で移動してきた人類であるものと推測されると。
当時は氷河期で日本列島もほぼ陸続きだったが、その後気温が上昇し島となり孤立状態で独自のDNAが残ったのではないか。それが縄文人。
縄文人と現代日本人のDNAを比べると、アイヌ人の7割、琉球人の3割、現代日本人の1割が縄文人と一致する。
更に現代日本人のDNAを他の人類と比べると、縄文人が1割、弥生人が2割、他の多くはどこにも属さない。
弥生時代以降に何があったのか。
日本の古墳時代、中国の戦国時代に戦乱を逃れて海を渡った人類が多くいたのではないか。
それは多種のDNAを持つ人類だった。
それが現代の日本人を作り上げてきたのではないか、という推測でした。
しかし、そのベースとなっているのは縄文人のDNAで、それが日本人特有の文化を形成してきたという見解です。
長い縄文時代の中で自然を崇拝し万物に神が宿ると受け止め、渡来した多様な人々をも受け入れ、寛容の文化を作り上げてきた。そこに日本人としての自己肯定を感じます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。