なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ448 羅針盤を持て

2023年12月24日 05時00分39秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第448回。令和5年12月24日、日曜日。

世間はクリスマスイブということでしょうか。
それぞれ楽しい夜を過ごしてくれればいいと思います。
仏教徒、就中お寺のお年寄りは漬物の粕煮でも食べていつもの夜を過ごすことになるでしょう。

老化現象でしょうか、朝起きると自分の口臭にめまいがするようなことがあります。
寝る前に歯を磨き、舌苔も除去し、さらに口内除菌のケアもして寝るのですが、寝ている数時間の間に口の中で何が起こっているのかと不思議でなりません。
先日ある方にそのような話をすると、歯のケアはしているのですかと。
お陰様で歯だけは丈夫で、歯医者に行ったのはもう5年前のことです。
歯石だとか歯周病だとか、虫歯でなくとも口臭の原因になっているものがあるかもしれません。
ということで早速歯科医院に行ってきました。
結論は、虫歯の詰め物も問題ないし、歯周病にもなっていない、誰にでもある程度ではないですか、とのこと。
歯石を除去して終了となりました。
他にも老化現象はあちこちに出てきました。
食べ物をこぼす、これは数年前から出てきた現象です。
茶碗を持って普通に食べているつもりなのですが、見ると服やひざ元にポロポロ食べ物が落ちているのです。
以前に父親を見て困ったものだと思っていた状況に自分がなってきました。
ちょっとしたことで足元がふらつくこともあります。体幹と足の筋肉が衰えているのでしょう。
おしっこが我慢できなくてちびるということも度々あります。
我慢できないだけでなく、キレが悪いので残尿が下着を濡らすことも度々。
夜中にトイレに立って、その後しばらく眠れなくもなりました。
寝つきはよくて、枕に頭がつくかつかないかに寝入ってしまうのですが、一旦起きるとしばらく目がさえて眠れないという、若い頃には考えられないことを経験するようになってきました。
2階に上がるのが億劫なので、今は事務室にベッドを置いて寝ているのですが、これが便利なのですよ。
夜中に目が覚めて、考え事をしていると、文章が浮かんで来たりやりたいことのアイデアが浮かんで来たりしてさらに目がさえてくるのですが、そこは事務室なので、起き上がればすぐに机に向かえるのです。
1時間2時間パソコンに向かって、眠くなってきたらまたベッドにもぐりこむ、とても便利な環境になったと喜んでいます。
夜の睡眠時間の不足を補うのに昼寝は欠かせません。朝食後の朝寝をすることもあります。
すっかり老人サイクルですね。
そういえば同じようなことを前にも書いたような気がする、すぐ忘れることはもう日常茶飯事です。

最近、無駄なものは何一つない、と強く思います。
先日檀家とのお茶飲み話で、「息子が浪人して留年して別の大学に入学して今1年生。無駄な時間を過ごした」というような話をしました。
私は即座に「無駄な時間なんてない」と答えました。
失敗も過ちも何一つ無駄なものはない。人生はみな素人による本番一発勝負。
生きているということは全て本番なのだから、自分でやってみなければ分からない。
やってみて分かったことは無駄ではない。
後悔や自己嫌悪も無駄な時間ではない。そういう本番なのだ。
「過去の過ちが無駄ではなかったと思えるように今を生きることだ」というようなことを言う人もいますが、そうではないでしょう。
何かのための今ではなく、今そのものが本番であり、悩んでいる今も、悔やんでいる今も、泣いている今も、それでいいんだ。
みんな素人なのだから、みんな初めての経験で生きている。
監督も脚本家も演出家もいない。リハーサルなし。一発本番。
泣きたい今は泣けばいい。泣く本番なのだ。
無駄なもの、無駄なこと、無駄な時間、それは何一つない。
全ては一つの細胞から分かれて、全てが関わり合って、変化と選択を繰り返して今がある全ての生命。
無駄なもの、無駄な時間などありようのない世界。
誤解を恐れずに言えば、戦争も紛争も裏金も不正も事故も災害も、ある意味必然なのだろう。
それに対する、抵抗も抗議も怒りも反発も造悪も修善も、必然に違いない。
社会の中で生きている人間ですが、究極的には「自分はどうなのか」ということに尽きるのだと思います。
時間の縦軸と社会の横軸の接点に自分は生きています。全ての命はその通りです。
その接点をどこに向けて行くか、それがその人の本番です。
仏教を信じた人はその教えの羅針盤に随って向きを定めて行くのです。
羅針盤がないと、どこに向かって行けばいいのか迷ってしまうかもしれません。
羅針盤を持ちましょう。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。