Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

裁判員制度

2009年08月09日 21時42分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
裁判員制度が適用された裁判が行われた。
わたしは今の「法曹界」と言う名の世界が牛耳る、われわれの世界から見て閉じられた世界を構成する司法制度、そのもっとも頂点に位置する裁判制度は、開かれていかなければならないと思う。そのためには裁判員制度は決して悪いものではないと思う。
しかし今回裁判員制度が初適用された裁判の報道を見る限り、裁判員制度がこのままなら、無くなったほうが良いと思う。
マスコミのかざす正義に振り回され、さまざまな情報化がマスコミという名のフィルターを通してもたらされ、当該事件のマスコミを通した「事実」が先行的に流布して、あらかじめ「被告」であることが確定されてしまった裁判など、無意味であろう。
そして検察の論理によって作り上げられた「事実」に被告人の思いがどれだけ汲み取られているか、私の経験からはとても被告の思いが汲み取られているとは思えない。警察・検察の語る事実、犯行に至る経過、犯行の動機、とっさの思い、どれをとっても被告人の深くて複雑な意識の流れを救い上げるだけのものはないだろう。それだけ、警察・検察の人間理解、人間把握は浅く、一面的だ。
そしてたった数日の審理、これでどれほどの警察・検察の書いたストーリーの矛盾や不自然を暴いたり、被告の思いを引き出すことができるのであろうか。
同時に殺された地被害者の思いや遺族の納得のいく、審理が保障されたというのであろうか。
人の生き死に、人の裁きとはこんなにも軽いものなのか。
この思いについては40年ほど前のことをそのうち掲載することもあるかもしれない。今はただ私の思い・判断として掲載させてもらう。
さらに裁判員が記者会見させられ、感想を述べさせられるなどとは愚の骨頂である。マスコミ流「正義」から少し外れた発言などしようものなら、どのような報道がされたのであろうか。裁判員の判断の自由を保障するなら、このようなあり方は全否定されなければならない。。「守秘義務を配慮し」た会見との設定だが、裁判員の匿名性の担保や、記者会見拒否権も必要ではないか。
記者会見で「(テレビ写りのための)化粧直し」の話をする裁判員がいたり、その他の発言も、いったいこの人たちは判決の15年という長い期間を拘束される被告の人生の重み、同時に殺された被害者の思いの重みにどのようにかかわるのだろうか。
裁判がショー化され、演劇化される今のマスコミの過剰介入による裁判員制度、私はとても否定的だ。百害あって一利もなく、負の遺産だけと思う。

福島・仙台へ

2009年08月09日 19時00分56秒 | 山行・旅行・散策
夏休みを利用して、夫婦で山行(東吾妻・安達太良)を目論む。

この間は読書は無し。

8月6日
新幹線とバスにて福島県の高湯温泉へ。
8月7日
タクシーで不動沢まで行き、一切経山-東吾妻-幕川温泉をめざす。
ところが不動沢についてみると「火山ガス発生につき立入禁止」の看板。最新版の登山地図にも記載されていなくて唖然。
やむなく吾妻スカイラインを浄土平まで歩く。途中「この先1km火山ガス注意」の看板が林立、2~3度硫化水素が鼻を刺激した。
浄土平にて昼食、天候の回復を期待したが雨はやまず、吾妻小富士も断念し、樋沼-吾妻小屋-鳥小平まで山道。鳥子平からはスカイラインを再び歩くも、雷も鳴り始め、雨脚が大変強くなる。
途中から幕川温泉に下りる山道に再び入る直前に、雨の中、車道の端に座り、おにぎりで腹ごしらえ。休むまもなく、雷の音にせかされるように山道に。鬱蒼とした樹木にさえぎられホッとするも、この道は草が道を覆い、運動靴の妻は難儀。
30分のコースタイムをオーバーし45分かけて、ようやく幕川温泉着。
8月8日
雨やまず。安達太良登山はあきらめ、鷲倉温泉まで送ってもらい、路線バスにて昨日のコースを逆に浄土平-高湯経由で福島駅着。
在来線の快速にて仙台着。市内ホテルにて1泊。
8月9日
妻の実家の法事に参加後、新幹線にて帰京。赤羽近辺はドシャ降り。

帰宅直後、ニュースにて赤羽の豪雨を知る。その直後、震度3の地震。福島浜通りで震度4との情報。新幹線も一時ストップとのこと。山の中であればどうなったかと、ホッとするも山中の被害が心配。

今回は妻との山行だったが、9月までには単独の山行に行きたいので、晴れることをひたすら祈るしかない。

万緑や吾妻の噴気を寄せ付けず
梅雨深し噴煙分かち難き雲
うぐいす鳴く霧濃き森の四方より
ひたすらに梅雨振り込めて沼に鳥