裁判員制度が適用された裁判が行われた。
わたしは今の「法曹界」と言う名の世界が牛耳る、われわれの世界から見て閉じられた世界を構成する司法制度、そのもっとも頂点に位置する裁判制度は、開かれていかなければならないと思う。そのためには裁判員制度は決して悪いものではないと思う。
しかし今回裁判員制度が初適用された裁判の報道を見る限り、裁判員制度がこのままなら、無くなったほうが良いと思う。
マスコミのかざす正義に振り回され、さまざまな情報化がマスコミという名のフィルターを通してもたらされ、当該事件のマスコミを通した「事実」が先行的に流布して、あらかじめ「被告」であることが確定されてしまった裁判など、無意味であろう。
そして検察の論理によって作り上げられた「事実」に被告人の思いがどれだけ汲み取られているか、私の経験からはとても被告の思いが汲み取られているとは思えない。警察・検察の語る事実、犯行に至る経過、犯行の動機、とっさの思い、どれをとっても被告人の深くて複雑な意識の流れを救い上げるだけのものはないだろう。それだけ、警察・検察の人間理解、人間把握は浅く、一面的だ。
そしてたった数日の審理、これでどれほどの警察・検察の書いたストーリーの矛盾や不自然を暴いたり、被告の思いを引き出すことができるのであろうか。
同時に殺された地被害者の思いや遺族の納得のいく、審理が保障されたというのであろうか。
人の生き死に、人の裁きとはこんなにも軽いものなのか。
この思いについては40年ほど前のことをそのうち掲載することもあるかもしれない。今はただ私の思い・判断として掲載させてもらう。
さらに裁判員が記者会見させられ、感想を述べさせられるなどとは愚の骨頂である。マスコミ流「正義」から少し外れた発言などしようものなら、どのような報道がされたのであろうか。裁判員の判断の自由を保障するなら、このようなあり方は全否定されなければならない。。「守秘義務を配慮し」た会見との設定だが、裁判員の匿名性の担保や、記者会見拒否権も必要ではないか。
記者会見で「(テレビ写りのための)化粧直し」の話をする裁判員がいたり、その他の発言も、いったいこの人たちは判決の15年という長い期間を拘束される被告の人生の重み、同時に殺された被害者の思いの重みにどのようにかかわるのだろうか。
裁判がショー化され、演劇化される今のマスコミの過剰介入による裁判員制度、私はとても否定的だ。百害あって一利もなく、負の遺産だけと思う。
わたしは今の「法曹界」と言う名の世界が牛耳る、われわれの世界から見て閉じられた世界を構成する司法制度、そのもっとも頂点に位置する裁判制度は、開かれていかなければならないと思う。そのためには裁判員制度は決して悪いものではないと思う。
しかし今回裁判員制度が初適用された裁判の報道を見る限り、裁判員制度がこのままなら、無くなったほうが良いと思う。
マスコミのかざす正義に振り回され、さまざまな情報化がマスコミという名のフィルターを通してもたらされ、当該事件のマスコミを通した「事実」が先行的に流布して、あらかじめ「被告」であることが確定されてしまった裁判など、無意味であろう。
そして検察の論理によって作り上げられた「事実」に被告人の思いがどれだけ汲み取られているか、私の経験からはとても被告の思いが汲み取られているとは思えない。警察・検察の語る事実、犯行に至る経過、犯行の動機、とっさの思い、どれをとっても被告人の深くて複雑な意識の流れを救い上げるだけのものはないだろう。それだけ、警察・検察の人間理解、人間把握は浅く、一面的だ。
そしてたった数日の審理、これでどれほどの警察・検察の書いたストーリーの矛盾や不自然を暴いたり、被告の思いを引き出すことができるのであろうか。
同時に殺された地被害者の思いや遺族の納得のいく、審理が保障されたというのであろうか。
人の生き死に、人の裁きとはこんなにも軽いものなのか。
この思いについては40年ほど前のことをそのうち掲載することもあるかもしれない。今はただ私の思い・判断として掲載させてもらう。
さらに裁判員が記者会見させられ、感想を述べさせられるなどとは愚の骨頂である。マスコミ流「正義」から少し外れた発言などしようものなら、どのような報道がされたのであろうか。裁判員の判断の自由を保障するなら、このようなあり方は全否定されなければならない。。「守秘義務を配慮し」た会見との設定だが、裁判員の匿名性の担保や、記者会見拒否権も必要ではないか。
記者会見で「(テレビ写りのための)化粧直し」の話をする裁判員がいたり、その他の発言も、いったいこの人たちは判決の15年という長い期間を拘束される被告の人生の重み、同時に殺された被害者の思いの重みにどのようにかかわるのだろうか。
裁判がショー化され、演劇化される今のマスコミの過剰介入による裁判員制度、私はとても否定的だ。百害あって一利もなく、負の遺産だけと思う。